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第8話 残陽

 初主演映画公開初日、舞台挨拶が終わって袖にはけながらジャケットを脱ぐ。

「碧斗さ〜ん!」

 ハイヒールをカツカツ鳴らしながら桜沢が駆け寄ってきた。

「もしかして、これからまたお仕事ですか?」

「はい。あと1時間とちょっとでサイン会があって」

「え!そうなんですか!?忙しいですね〜」

 桜沢は、密かに打ち上げを計画していたみたいだ。主演なのに参加できなくて申し訳ないが、大ヒットしたらまた誘いますと言ってくれた。

 荷物をまとめ、急いで山本のいる車に乗り込む。

 シートベルトを閉めていると、なぜか山本がじーっと見てきた。

「お前、何で中途半端な格好でも男前なんだ?」

 暑いからジャケットを脱いでワイシャツで来た。

 確かに質素だが、唐突にかけられた意図の分からない質問に笑いがこぼれる。

「よくわからない疑問を投げかけないでくださいよ!早く行きましょ」

 そう言うと、山本は車を発進した。

 ポケットの中で震えたスマホを出し、名前を見るなり応答する。

「ん、もしもし…お母さん、どうしたの?」

 珍しく母からかかってきて、少し声が上ずった。

「碧斗、今日握手会って言ってたけど、さっきまで舞台挨拶してたわよね。大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。今移動中だし」

 下を向いて視界に入った紙袋を漁って衣装を確認する。

「着替えもすぐできるから。無理なスケジュールは立てないよ」

「あらそう、ならいいんだけど」

 わざわざこのために連絡してきたわけがないと思い、俺からも質問してみる。

「お母さんはこれから何すんの?」

 すると、微妙に間を開けてからこう言った。

「…碧斗の映画、見に行くの。お父さんと2人で」

 声のトーンを聞く限りだけど、母は嫌そうだ。

「本当はね、1人で行こうとしてたのよ。でも、お父さんが無理やり休み作ったから一緒に行くことになっちゃって」

 行動が父らしくて、ちょっと笑ってしまう。

「何だ、俺の映画が嫌なのかと思ったじゃん」

「そんなわけないでしょ!…お父さんと行くのは恥ずかしいのよ」

「ありがとう。夫婦で仲良く見てよ」

 そう言って電話を切ろうとする寸前、聞き逃せない情報が流れ込んできた。

「あ、そういえば、今日のサイン会、晴香ちゃんも行くみたいね!」

 1年ぶりに、心臓がぎゅっと動いた。

「あら、何も聞いてないの?サプライズで行こうとしてたのかしら」

 あの電話以来、晴香の声を聞いていないし、姿も見ていない。

 だから、てっきりファンもやめたのかと思っていた。

「…あーあ、晴香のサプライズ台無しじゃん!」

 わざとらしく大声で言って、無理やり自分を明るくした。

「そろそろ着くから、じゃあね!映画楽しんで!」

 母の声を聞く前に電話を切った。

 すぐにスマホの電源を落とし、運転席を見る。

「あとどのくらいですか?」

「ああ、5分ちょっとだな」

 晴香が来る。そう考えると、緊張が走った。いざ目の前にしたら、いつものように笑えない気がして、心がしぼんでいく。

 今の俺は、どんな顔で会えばいいのだろう。

 ペットボトルの水を口に含みながら息を吐いた。


 綺麗な服をふわふわと揺らしながら、次々に来るファンたち。

 目の前にして涙を流す人や、顔を真っ赤に染める人。昔から追ってくれている顔なじみの人。

 愛に溢れた時間は、回転寿司のように流れていった。

 だが、次に歩いてきた人を見た時、手が止まってしまった。

「…久しぶり」

 ここに晴香が、本当に現れた。

 だが、瞬時に切り替えて、なんとか平常心を保とうと笑う。

「久しぶり!来てくれてありがとう!」

 サインペンを色紙に走らせ、数秒で書き終えたものを渡すために顔を見る。

 色紙を受け取った晴香が、先に口を開いた。

「ごめんね、会えなくて」

 切ない表情で、そんなことを言わないでほしかった。

 もうやめようって言ったのはそっちじゃないか。

 すると、ずっと抑え込んでいたものが動き、外に出ようとする。

 静かな海に風が吹き始めて、勢いのまま声が出た。

「…会いたかったよ。ずっと」

 そう言うと、晴香は目を見開いた。けど、視線を逸らして俯く。

「大好きだから。あなたのことが」

 ふと昔の記憶が浮かんできた。

 俺がアイドルを目指した、本当のきっかけ。

「ねえ、笑ってよ…俺は、あなただけのアイドルだから」

 小学校の帰り道、歌を口ずさみながら歩いていると、突然ランドセルを叩かれた。

 驚いて振り向くと、赤いランドセルの女の子がひょこっと登場する。

『わたしもそのうたすき!もっかいうたってよ!』

 クラスメイトですらないのにと思いつつ、俺はもう1度同じフレーズを歌った。

 すると、その子は目をキラキラさせながら満点の笑顔を見せた。

『やっぱりすごくじょうず!“アイドル”みたいだね!ありがとう!』

 手を振りながら走っていったその子は、俺の隣の家に入っていった。

 あの時から、ずっと考えていた。もっと笑ってほしい。その笑顔を、俺だけに向けてほしいと。

 大人になった晴香は、やっと笑ってくれた。

「…ありがとう」

 俺も笑いかけると、晴香はまた口を開いた。

「私ね、付き合ってる人がいて、プロポーズされたの」

 晴香は幸せそうに目を潤ませたままで、手が震える。

「これからも応援するね。()()

 晴香は彼を強調するように声を出した。その一瞬で、キリキリと内側から痛みが広がる。

 何も言えずに固まっていると、イヤモニ越しに終了の合図が聞こえた。

「…おめでとう。じゃあね」

 できる限りの笑顔を作って、そう言った。

 少し、声が震えていたかもしれない。アイドルなのに、それらしく笑えていないかもしれない。

 それでも晴香は、またねと手を振りながら去っていった。

 心は音も立てずに崩れ、剥がれていく。

 次のファンが来た時には、また穏やかに時間が流れ始めた。


 目を閉じて浮かんだのは、結婚式場だった。

 晴香はウェディングドレスを纏い、俺の隣を通り過ぎた。

 そして、別の人の元に歩いていく。____

 ぱっと目を開けて見回すと、狭いロケバスの中にいた。

 想介は俺の左肩を使って寝ていて、瑠璃はアイマスクをつけて窓にもたれかかっている。

 さっきまで大勢のファンと会っていたというのに、脳内で再生されたのは嫉妬心でできた妄想だった。

 ああ、アイドル失格だな。

 胸の中で自嘲しながら何気なく右側に視線を移すと、水色とオレンジが混じり合う空が見えた。

 この2色は反対側にあるのに、時間の経過とともに綺麗さが増していく。

「…羨ましい」

 この呟きが無音の車内に響いた。

「ん…何が?」

 アイマスクをずらして瑠璃がこちらを向くと、想介も目をこすり始めた。

「ごめん、起こした?」

「俺は目閉じてただけ」

 瑠璃がそう言うと、想介は俺の左肩を離れて逆側にある肩を使って寝始めた。

「…こいつは寝相が悪いな」

 少し迷ってから、僕は口角を上げた。

 もやの残る感情も、小さい笑い声で中和されていく。

 この傷が消えてほしいとは思わない。思い出が痛みに変わることも、きっとない。

 たぶん、誰かから忠告されているのだろう。独り占めするなって。

 俺は、誰かのものにはなれない。本当に欲しいものも、何も手に入らない。

 だけど、そうじゃないあなたは、どうか幸せになって。

 そう願いながら、日が沈むのを待った。

 葵と申します。碧斗編を読んでくださり、誠にありがとうございました。

 今作は、アイドルとの禁断の恋を私の想像で描いております。そのため、実際のアイドル事情は一切知りません。ご承知おきください。

 晴香編は後日配信いたしますので、楽しみに待っていただけると幸いです。

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