第4話 再会
『晴香、好きだよ』
ただ隣で、触れられる距離にいられればいい。そう思っていた。
でも、溢れ出した想いは止められない。
腕の中にあるこの温もりを、離したくなかった。
『…碧斗?』
困ったようで、悲しそうにも見えるその表情すら愛おしい。
頬を撫でてから唇が触れ合うと、キスに熱が帯びる。
腰元に置かれていた晴香の手が首に回った。
都合の良い夢でも見てるんじゃないかと思うくらい、幸せだった。
アラーム以外で目が覚めるなんていつぶりだろう。
少し目を開くと、いつもとは違う壁紙が見える。俺をまたいでいく人影もあって____と考えているうちに頭が冴えてきた。実家に行く前に晴香の家で一泊させてもらったんだ。
だが、ゆっくりと右側を向いて、もう1つ布団が敷かれていることに気が付く。その瞬間、焦りと不安に襲われた。
「あ、起こしちゃった?ごめん」
声に反応して体がビクッと震える。そこには、寝癖がついたままの晴香が立っていた。
やばい。何も覚えてない。
布団が並んでいる理由も。昨夜何があったのかも。
念の為布団に潜って服の有無を確かめるが、特に問題はなかった。でも、心臓は高鳴るばかり。
「…私は仕事だけど、まだ寝てていいよ」
そう言ってパタンとドアが閉まる音がしてから、ひょっこり顔を出す。
時計の針は午前6時31分をさしていた。
記憶を辿っても辿っても、夕飯は鍋だったという場面で止まる。お酒を嗜んだ感覚もあるが、それ以上は思い出せない。その後が肝心なのに。
考えているうちにも時間は流れていき、俺は諦めて布団から出た。
リビングのドアを慎重に開けると、晴香がサンドイッチを持って立っていた。
「っ!?おはよう!」
静かに入りすぎたからか、目をまるくして晴香がこちらを見る。
サンドイッチを皿に置いてから持ち、机に運んだ。
「え、何固まってんの?」
俺は深呼吸してから恐る恐る聞いた。
「あの、昨日の夜って…」
何食わぬ顔をしていた晴香だが、思い当たる節があるのか、視線を逸らされた。
ただ黙っているだけなのに、心音が変に高鳴る。
「…俺、やらかした?」
晴香は深いため息で返事をした。
グレーだったものが一瞬でブラックに変わり、頭を抱える。
「ごめん、本当にごめんなさい」
即座に近寄って謝罪すると、額を人差し指でぽんと押された。
「昨日、キスしたじゃん」
そう言われると、夢で見た生々しい情景が飛んできて、顔が熱くなる。
「ああ、もう!キスはしてない!嘘!」
睨みながら晴香は昨夜のことを話し始めた。
「酔っ払って急に“一緒に寝たい”とか言い出して、私にずっとくっついてきたの!剥がすのにどれだけ時間かかったことか…碧斗のせいで筋肉痛だから!」
残念ながら記憶は曖昧なまま。それがより羞恥心を煽る。どうにかなるとは思っていないが、キッチンに戻る晴香を追って歩いた。
「ご迷惑おかけしました。何か奢らせてください」
頭を下げながら晴香の顔色を伺った。ちらっと見えた限りだが、まだ怒っていそうだ。
「…もういいよ」
ゆっくり頭を上げると、晴香は二の腕をさすりながら言った。
「ここ痛いけどね!」
いつもの明るさに戻って食器棚からコップを出した。
「お茶でいいでしょ?早く入れて」
「はいっ」
俺が急いで冷蔵庫からコップを出すと、晴香が口を覆って笑っていた。時々、手の隙間からくすっと聞こえる。
「おい、どの辺がおもしろいんだよ」
「ごめんごめんっ…全部かも」
今度は歯を見せて笑い始めた。
それにつられて、俺も自然と笑みがこぼれた。
植物園のような家の前に立つと、安心感よりも緊張感が漂う。
「もう、さっさと行っちゃいなよ」
「は、ちょ!?」
そう言って晴香はインターホンのボタンを押してしまった。
悪戯な笑顔で手を振って、晴香はそのまま出勤した。まだ心の準備ができてないのにと思いながら、その後姿を見送った。
もう、とため息をついて俯いた途端、懐かしい声が聞こえる。
「碧斗」
久しぶりに聞く穏やかな声の方に顔を向けると、優しく微笑む母が立っていた。
「おかえりなさい」
そう言う母は、いつの間にかしわが増えていた。
少しの間をあけてから、俺はここにふさわしい言葉を出した。
「…ただいま」
7年ぶりに敷地をまたいだ。
外側はあまり変わっていなかったが、冷蔵庫やテレビが大きくなっていた。
「見てよ。これだけ大きければクーラーボックスいらないでしょ?」
立派に立つ冷蔵庫を見て、少しずつ記憶が蘇る。
「うん…確かに」
俺も弟も食べ盛りの頃、小さい冷蔵庫には入り切らないほどの食べ物を買ってくれた。だから、キッチンにはクーラーボックスがいつも置かれていた。母より先に帰った日には、そこから惣菜を出して温めて食べていたことを思い出す。
「お父さん、そろそろ帰って来るからね」
父が出てくるだけで動きがぎこちなくなる。それに気がついた母が肩をぽんぽんと叩いた。
「そんなに気を張らなくていいの!ほら、聞きたいことがいっぱいあるから」
背中を押されてソファに誘導され、勢いのまま座った。古いからか、少し体が痛く感じる。
そして、いつの間にか用意されていたココアが出てきて、母が隣に腰掛けた。
「もう25歳だっけ?あっという間ね…あ、そうだ」
マグカップを置いて母は立ち上がった。
急に何だろうと思っていると、ニヤニヤしながらお菓子の缶を持ってきた。
「朝ごはん食べたばっかだからいらないよ」
「違う違う。お菓子は入ってないの。見て」
そう言って開けられた缶の中には、PRISM CROWNのグッズが綺麗に入っていた。しかも、数量限定品まである。
「集めてたの?」
「これはお父さんのコレクション。私にも秘密で買ってたみたい」
目に入るのはだいたい瑠璃か想介のグッズで、俺のはあまりない。結局俺のことは嫌いなのかと呆れる。
けど、1つだけ、目に留まったものがあった。
「…すごいじゃん。これ当てたんだ」
俺のサイン入りのチェキ。抽選で5名様にプレゼントだったが、そのうちの1人が父だった。チェキはわざわざケースに入れられて、缶の1番底にしまわれていた。
ライブで瑠璃や想介の家族と挨拶するたびに言い聞かせていた。
俺はどうせ家族の誰からも推されないから、どうでもいい。
でも、この宝箱を見てしまったら、もうそんなことは思えない。
すると突然、ガチャと玄関が開けられる音がした。
「あら、お父さん帰ってきたわ。これ、そこの棚に片付けておいてくれる?」
「分かった」
母が玄関に行っている間、俺は棚の隙間に缶をはめてしまった。
「お前、そんなところで何してるんだ」
掠れ気味の低音が響いて、反射的に立ち上がった。正面には、相変わらず無愛想で不機嫌そうな顔をした父がいる。俺の中では大きいイメージだったが、身長が伸びたからか、父が少し小さく見えた。
「勝手に背伸ばして、生意気だな」
いざ声を聞くと、心に冷たさが触れた。
「ったく、いきなり戻ってきやがって…有名になったから、歓迎されるとでも思ったのか」
「ちょっとお父さん!」
その目と言葉を受け取ると、僕も同じだと思った。好きな人に普通に好きって言えないところ。こういう短所が似てしまった。
「歓迎されると思ったよ。だって僕は、一生お父さんの息子だから」
捨て台詞のように言ってから、階段を上って自分の部屋に入った。ほんの数秒、父の目が揺れたけど、別に気にすることではない。
ベッドと机だけが置かれた静かな部屋は、朝日が差し込んで妙に綺麗だった。




