第3話 抱擁
山本の運転が心地よくて、つい眠ってしまう。
「おーい。碧斗ん家ってここであってんのか?」
その声で慌てて目を開くと、懐かしい住宅街が広がっていた。外壁が新しくなっていたり、なくなったりしているところもあるが。
家々を眺めていると、植物園のような家に目が留まる。
「はい…俺の家、あれです」
若干震える指を差して山本を見る。
「へぇ、ちゃんと手入れしてるんだな」
「ですね」
車から出た途端、山本は背中をバチンと叩いてニヤッと笑った。
山本は実家との仲を知っている人の1人で、たぶん頑張れという意味を込めてくれているのだと思う。
「ありがとうございます」
俺の言葉をなぜかグッドサインで返し、山本は戻って車を発進した。
久しぶりの3連休。たぶん、メジャーデビューしてから初めてだ。
車が見えなくなってから、俺は綺麗に整えられた草木を素通りして隣にある淡い白を基調とした家に足を踏み入れた。
インターホンを押そうと手を出すが、その前にスマホの通知音が鳴る。
画面を開くと、晴香からのメッセージが届いていた。
《着いたなら傘立ての底に入ってる鍵使って》
玄関の周りを見渡すと、水玉柄の傘が1本刺さっている傘立てを見つけた。傘を抜くとすぐに銀色がギラリと光る。
傘を戻して鍵を開け、慎重にドアノブを掴む。
ゆっくり動かして中に入った直後、晴香がひょこっと出てきた。だけどその表情はむすっとしている。
「入るまでが遅すぎる」
「ごめんごめん!緊張してて」
靴を脱いで洗面所に誘導された後、晴香はココアを出してくれた。
「おっ!いつものやつ覚えてたんだ!」
「まあね。雑誌でもよく言ってたもんだから忘れらんなかったし」
「確かにそうか…あ、お父さんとお母さんは元気?」
「うん、今日本縦断旅行中だからしばらく帰ってこない」
昔からアクティブな親だなとは感じていたが、今も体力は変わりないようだ。
ソファに2人で腰掛けると、晴香の足元に視線が行った。
「…下履いてないの?」
すると、瞬時に晴香の顔が真っ赤になった。
「はぁ!?履いてるし!」
そう言いながら緩いTシャツをめくって涼し気なデニムのショートパンツを見せた。そして、バカと言われながら軽く肩を叩かれる。でも、赤みが収まっていないのがかわいい。
「ちょっと!笑わないでよ!」
「ふふふっ、ごめん」
口を手で覆いながら微笑を漏らしていると、次は腹を狙われる。晴香は頬を膨らませて、太鼓を叩くみたいにぺちぺちと叩いた。
なんだか急に学生に戻った気分になって、ぴりぴりとした痛みすら心地よく感じた。
「ねえ、いつ行くの?」
「1泊してっていいんでしょ?」
夕飯の支度中の会話は自然とそうなった。俺は野菜を切り、晴香は鍋で煮詰める。
「じゃあ朝イチ出発ってこと?」
「アポなし朝イチは迷惑じゃない?」
「なら連絡すればいいじゃん。もう切るものないんだし暇でしょ」
スマホを取り出して、久しぶりに家族のトークルームを開く。
高校生だった弟の陽太は知らぬ間に大学へ進学し、広告会社に就職していた。式典の写真や“合格した!”と喜ぶ文面を見れば分かる。
俺がいない間にも時間は進んでいた。言うまでもなく、そこには俺の名前は全く出てこない。
「碧斗」
呼ばれてすぐ、視線を上げた。
「鍋見といてくれる?やること思い出した」
そう言いながら晴香はエプロンを脱いでスマホを取る。そして、どこかに電話をかけていた。
対して俺は、コンロの前に立って小さい気泡をぼーっと眺め始めた。
しばらくすると晴香が戻ってきて、俺の肩をぽんぽん叩く。
「アポ取れましたよ」
「…ん?アポって何の」
「決まってるでしょ?あなたの実家です」
「え…何で」
「何その反応。家族に失礼だと思わないの?」
そのままの勢いで左腕を軽くグーパンチされて体が揺れる。
「私は未だに仲良しだから、そっちの家族のこともよく知ってるよ。この前もここに4人で集まったし」
俺の家族3人と晴香という組み合わせ。何の集まりだろうと思っていると、晴香はPRISM CROWNの最新アルバムの話題を出してきた。
「MV鑑賞会したの」
「…はぁ!?マジで!」
てっきり勘当されたと思っていたのに、隠れてコソコソと自分のことを見ていたなんて信じられない。でも、晴香がこんな嘘をつかないことも知っているから、頭がごっちゃになっている。
晴香はそんな俺を見て大笑いしていた。
「えぇ!?そんなに驚くの?」
いつの間にか行われたポジションチェンジによって、晴香はおたまでアクを取りながら話し続ける。
「5年前のメジャーデビュー、お父さんなんて泣いてたからね」
再び蓋を閉めてから、晴香は俺をちらっと見てから言った。
「碧斗と離れるのが怖かったんじゃないかな?7年前まで、ただの高校生だったから」
そう言われて、最後に父から聞いた言葉を思い出した。
『お前はバカだ。勉強もろくにできないからそっちに逃げるんだろ』
当時は頭に来て拳を握りしめたけど、この後の言葉の意味がようやく分かった。
『子どものくせに大人ぶるな、バカ。お前は一生、嫌でも子どもだからな』
あの時点できっと、遠回しすぎるけど言っていたのだと思う。
いつでも帰ってこいって。
「え、ちょっ、鍋に当たるところだったんですけど」
無性に人肌が恋しくなって、近くにいた晴香を抱き寄せた。
あの日の父の目が、とても怖かったのだ。錆びついた釘をゆっくり抜いているみたいで。
「ごめん…少しこのままで」
晴香は離れようとするからちょっと力を強める。すると、優しい声が聞こえてきた。
「火は止めさせて…それ以降は何してもいいから」
俺が腕の力をほどいて自由にすると、コンロと換気扇が停止する音がした。
晴香はくるりとこちらを向いて微笑んで、両腕を広げた。
「ほら、おいで!」
吸い込まれるように歩いて、その腕の中に飛び込んだ。
「よしよし〜よく頑張りましたね〜」
心地よいリズムで頭を撫でられる。まるで子どもをなだめるように。
せっかく涙を堪えていたのに、晴香のせいで溢れた。
嗚咽が漏れ出ないように口を閉じ、その首筋に顔を埋めた。
「え、泣いてる?」
晴香が離れようとするから、俺はさらに抱きしめた。
「…何してもいいって言ったじゃん」
「いやぁ、そうは言ったけど」
俺は、その続きを遮るには小さすぎる声を出した。
「ここでしか泣けないんだよ」
そう言ってみてから、俺ってダサいなと思う。
アイドルとして流す綺麗な涙と違って、晴香の肩で泣く俺は、きっと情けない顔になっている。疲れでふやけて制御も効かない。
「うん…なら、仕方ないか」
晴香の声が聞こえた後、そっと俺の背にそっと優しい腕が回ってくる。
それだけで心がほどけた。
ここが俺の居場所。
その温もりに縋るように、俺はまた目を閉じた。




