32 六大対抗戦(21)
「なんで……」
直登を押し倒した少女は、彼の両手を握ったまま動かずにいた。眉間に皺を寄せ、眉をひくつかせ、琥珀色の瞳はその半分を白い涙袋によって隠されている。
なんだ、このぶつけられる感情は。思わず目を背けたくなるほど近く、強い。怒り、哀しみ、怨恨、後悔、その全てが頭上20センチの高さから降り注ぐ。
「なんであのとき、撃たなかったの」
吐息交じりの震え声は、それら全てを押し殺したようだった。
「あのときって———」
あのときって、あのときか。
「あの瞬間、あのまま撃てば私は負けていた。君は見たこともない方法で私に近づいてきて、見たこともない速さで魔獣を封じた。限界なんてとっくに超えてるのに、私の攻撃も躱して、耐えて、凌いで、隙を見せなかった」
「……」
捲し立てるように並べられる言葉に、直登は黙ることしかできなかった。
「それなのに、どうして、最後の最後で結界を解いたの。……ねえ、答えて。なんであの時、手を抜いたの」
なんで、って答えは一つしかない。
「君が、女の子だから———」
両手はいつの間にか解放されていた。その言葉を聞くと、少女は彼に跨ったまま腰をぺたんと下ろし、彼の頭上に広がる白い壁に目を向ける。
「わからない。魔術師の実力に男女の差なんてないのに……(ていうか、この人私より魔法使えないのに)」
「おい、最後」
下腹部に圧を感じながら直登がツッコむと、その上で少女はへへっと笑った。少し落ち着いたのか、その表情からはさっきまでの強い感情は見られない。
「でも本当にそうだよ。ナオトくんと私とじゃ魔術の幅も、魔力量も全然違う。そりゃあナオトくんに人並みじゃない身体能力があるのは認めるし、なにか私達とは違う、それも、それなりに黒い世界で実戦経験があるんだろうってことも分かる―――」
見下ろす少女を上に、直登は思わず感心していた。あんな数十秒の手合わせでそこまで見抜かれてしまうのか、と。魔術に関しては事前にアリアから情報を得ていても不思議ではないが、誰にも話していない過去のことまで当てられるとは思いもしなかった。
「それを踏まえても、私の方が強いんだから。ナオトくんが手加減するのは論理的でも合理的でもないよ」
諭すように語る少女を前に直登は顔を横に振る。
「そういう問題じゃない」
彼もまた諭すような声だった。
「普通、男ってのは女性に手を挙げないものだよ」
それでも、と口を開くルネを片手で制し直登は話を続ける。
「実力とか論理とか、関係ない。俺が君を傷つけて、それで君が悲しい思いをする。俺にはそれが耐えられないし、ここに来るまでに出会った男は皆そうだった。仮に事故や一時の衝動で手を出してしまっても、罪悪感の一つも覚えず、あまつさえ喜びを露にするなんてことは絶対にあり得なかった」
「でも、それはナオトくんのいた世界の女性が弱者だったからじゃ……」
「違うよ。……どれだけ喧嘩が強くても、たとえ武器を持っていたとしても、あの子を……彼女達を、殺めてしまったときはいつも、罪悪感しかなかった———」
それを聞いた時、彼女の目は自然と大きく見開いていた。どこか遠くを見る黒い瞳を前に、言葉が出なかった。
今の今まで、彼女は目の前の男が嫌いでしょうがなかった。あの瞬間に分かった。六大対抗戦という由緒正しき場に、魔術師としての経験も浅い人間が、それも甘ったるい倫理感を持って立っている。子供のころから憧れて、そこに立つために鍛錬を積んできた場所だった。それだけに、戦いを侮辱するようなこの男が許せなかった。
許せないまま、この部屋にきた。その甘く腐った倫理観を根本から叩き直してやろう。説得して変わらなかったら強い言葉を使ってでもいい。それでも治らなかったら、もう一度半殺しにして実力を分からせてやろうか。そうすればこの男も変わるはず。
そう確信していた。彼は間違っていて、何も知らない。自分が正してあげないと、今この瞬間まではそう思っていた。
「なに、してたんだろ私……」
数秒の静寂のあと、投げた言葉は自分に向けられていた。下に敷かれている彼は、過去を思い出すようにまだ淡い目をしている。
「(そもそも、どうして私はこんなに君を)」
思えばそうだ。いつもなら別に他人の価値観なんてどうでもよくて、戦った相手がどんな気持ちかなんて気にも留めなかった。
あの場所だったからだろうか。六大対抗戦の決勝という特別な場所だったから、自分も彼に特別な何かを感じているのだろうか。
「(いや、違うかな……)」
圧倒的な実力差は戦う前から知っていただろう。それなのに、怯まず、全く知らない方法で向かってきた。力の差を体に分からせて、足腰立たないくらいにボロボロにした。
それでも、彼は最後の瞬間まで諦めなかった。満身創痍の状態でも折れずに隙を狙っていた。
そうだ、そんな姿が———
「かっこよかったから———」
沈むベッドの音が再び部屋に響く。感情の揺さぶりは絡み合う舌に乗せられて、二人の奥深くまで届いていた。
もっと、深く。もっと隅まで。分からない事が無くなるまで、つけて、絡めて、離す。体をよじり、布が擦れ、ベッドは鳴くように音を出すが、気にしない。熱く荒い吐息は頬を伝って、また吸い込まれる。
何度も、何度も———
「ッぷはっ……はぁ、はぁ……」
最初に止めたのは直登だった。圧し掛かっていた少女の両肩を手で押し、再び目を開ける。
「これ以上は、流石に良くないと思う……」
彼の目線に合わせて、少女も後ろを振り返る。
時間が止まったような部屋の中、二人の足の先に置かれていたテレビはある少女を映していた。
荒々しく立つ土煙を背景に、傷一つ無く汗すら見せない。
「勝者、アリア・ハワード!」
鮮やかなブロンズの髪の下に澄んだ碧眼を覗かせるその少女を。




