場面転換・自由都市ワーレン領主より
秋の夜風が冬の冷たさを少しずつ運び始めた。
ボーダーラント王国のナルトラウシュ領に属しながらも独立した行政と自治権を有する自由都市・ワーレン。
美しい海岸線と潮の匂いが特徴の港町で、あるささやかな出来事が領主の居城で起こりつつあった。
深夜遅くに領主の屋敷で働く女給達を束ねる婦長が使用人用の休憩室に姿を見せた。
「エミー、急ぎお嬢様を起こして来なさい」
婦長の表情が事態の深刻さを感じさせる。
「はい、婦長様」
休憩室で一人待機していたメイドが席を立ち部屋を出た。
広い屋敷を足早にワーレン領主の娘エリンシアの寝室に辿り着くと、ノックも何もせず部屋に入る。
このメイドは少し前に屋敷でエリンシア付きの側仕えとして雇われたのだが、お嬢様本人だけでなくどういう訳か領主にも気に入られて娘の寝室への出入りを許されていた。
「お嬢様、起きて下さい」
ベッドで眠る栗色の髪で装飾された幼い体を優しく揺らすと、少女は愛らしい瞳を擦りながら半身を起こす。
「エミーどうしたの?」
外はまだ暗く目覚める時間ではない事に疑問に思ったのだろう。
「お嬢様、お着替えになって下さい。お父様のお部屋へお連れいたします」
「ええ……」
メイドが言う言葉の意味を理解したらしくベッドから立ち上がる。
メイドはテキパキとエリンシアの着替えを行い、準備を終えると急いで父親の元へ向かう。
領主の寝室の前には人だかりが出来ていて、中に入ると医者や執事を始め近しい有力者などが集まっていた。
エリンシアは人を掻き分けてベッドへ近付く。
「お父様!」
父親であり領主のアーネスト・ユクレヒトの手を握った。
「すまないエリンシア……。もっとお前を守ってやりたかった……」
「お父様もう何も仰らないで下さい」
痩せ細った体から搾り出す様な声にエリンシアはかつて力強かった父親の声とのギャップに涙を零した。
それからしばらくは互いに涙を流し合っていたのが、アーネストはすぐ側に迫っている死の足音に、最愛の娘に最後の言葉を残そうと断末魔の足掻きを見せる。
「私が死ねばお前を守る者がいなくなってしまう。お前に降り掛かる災厄を払う者が……」
「お父様、おとうさま……」
「お前を一人にする私を許、して…… く……れ」
娘に謝罪の言葉を残して息を引き取る。
たった一人の肉親を失ったエリンシアはしばらくは父の傍らで泣きじゃくっていた。
「これをお飲みになったら、ベッドにお入りになってもう少しだけお休みになって下さい。朝になったらお嬢様を起こしに参ります」
周りの大人達はとりあえずは朝まで休ませようと、自身の寝室までメイドに運ばせる。
部屋まで送り届けたメイドは快眠効果があるといわれるローズ茶をエリンシアに差し出した。
「ありがとうエミー。でもエリンシアと呼んでって言っているでしょう?」
自室に戻り少しは落ち着いたのか、仲良しのメイドと会話が出来る程には回復したようだ。
「子供扱いされているみたいで嫌なの」
「そういう事を言っている間は子供です」
「エミーはお父様みたいな事を言うのね……」
このキーワードに二人の会話が途切れる。
部屋を微かに照らすろうそくの揺らぎだけが動きを見せる空間の中で沈黙が流れた。
「お父様がいなくなってしまったのね。これからどうなるのかしら……」
感情がまた高ぶったのか涙が流れ出す。
メイドはエリンシアを包む様に抱きしめた。
「大丈夫です、私がお嬢様をお守りします」
「本当に?」
「ええ、アーネスト様との約束でもありますから」
「ならお嬢様は止めてエリンシアと呼んでね」
「なら私をエミーと呼ぶのはお止め下さい。好きな呼ばれ方ではありませんので」
「何故? よくある呼び方だと思うけど?」
「父が呼んでいた呼び名なんです。私は父親に捨てられましたから……」
メイドがそう言うと彼女はそれ以上何も言わなかった。
それからエリンシアを落ち着かせてベッドに寝かせると、メイドは傍の椅子に腰掛ける。
「私が眠るまでここにいてくれる?」
「ええ。エリンシア様」
「おやすみ、エメライン」
メイドは薄暗い部屋の中、ベッドで横になる少女が眠りに付くまで見守っていた。
領主の死を知らせる教会の鐘が鳴り響く。
統治者として領民に必ずしも人気のある人物では無かったが、それでもアーネスト・ユクレヒトに一定の敬意を払い街の人々は別れを惜しんだ。




