ささやかな変化
それから午前の学校カリキュラムが終了して昼休みになる。
それぞれ教室や学食で昼食を取ったり、午後の就業カリキュラムの就業先に行って昼食にする者、ひとまず一旦家に帰る生徒など様々だ。
紀一郎も出島機関へと向かった。
「ご苦労様です」
いつもの様に職員達に声を掛けながら向かうが、今日は何故かすれ違う人々から微妙に睨まれたりドヤ顔でニヤけた顔をされる。
「お帰りー、もう来ると思って待ってたよ」
何故か調整官室の前に明石が立っていた。
そしてその隣には透き通ってしまうのではと錯覚してしまう程、透明感のある銀色の髪を湛えた美しい少女も……。
「どうしました?」
「今日から調整官室担当の雑務係りになったエレオノーラちゃんだ。まあ、一人で全員の聴取をやったんだから知ってるわな」
初日という事で部屋の主たる紀一郎に紹介する為に待っていたとの事だ。
ただ彼女の仕事事態は午前中でまず終わるので、学校に行っている紀一郎とはほとんど顔を合わせる事が無いだろうとの事も。
だがそう言って説明をする明石も微妙にドヤァっとした表情をしていて、さっきから周りの人間が紀一郎に悪意を向けていたのはこれが理由なのだろうと理解する。
それくらいエレオノーラの見目は他に郡を抜いて優れていた。
「分かりました。まあ居ない時に入られても困る様な物は置いてませんから、気にしないで下さい」
なるべく童貞力を見抜かれまいとさらっと流そうとするが、それでもずっと彼女の方は見れない。
「何だ…… もっとこう、激しく動揺すると思ってたのに」
「無茶を言わないで下さいよ」
いまいちノリの悪い紀一郎に飽きたのかそのまま帰っていった。
予期せずエレオノーラと二人きりになってしまいう。
儚げな美少女との会話術など一切持っていないため暫しの沈黙が流れる。
内心いっその事『じゃあ私帰ります』と言って帰ってくれた方がありがたいとも思ったくらいだ。
仕方が無いので頭を捻り会話を捻出して、恐る恐る声を掛ける。
「今日はもう良いんですか?」
「はい。こちらのお部屋で何をするのかは教えていただきました」
ものすごく畏まって説明し始めた。
作業のほとんどは掃除なのだが、それに加えて消耗品や接待用と称する食料品の補充などだ。
しかしすぐに会話がなくなる。
しかもエレオノーラが支給されて着ている服は元々夜の仕事用の服なのだろう、色彩こそ大人しいが大胆に開いた肩と胸元に視線と意識が行ってしまい、正直それどころではない。
彼女もそれが分かっているのだろう、恥ずかしそうに手と腕で隠している。
「まあほとんど僕とは会う事は無いみたいですけど、何か困った事があったら言って下さい。メモに書いといて貰えれば読みますんで」
気を使って言ったつもりだったのだが、エレオノーラは少し困った顔をする。
それを見た紀一郎は内心でしまったとつぶやいた。
「あの…… 申し訳ありません。私は字が書けません……」
やっぱり、と後悔する。
日本ではありえない話なのだが、こちらの世界ではごくごく当たり前の話だからだ。
失念していた訳ではないのだが、エレオノーラの前でいつもの調子を崩してしまっている。
「その…… それは、ごめんなさい……」
「お気持ちは感謝いたします」
気使い屋の紀一郎の話を聞いて彼女は少しほっとした表情を見せる。
「僕じゃなくても他の職員に相談してくれれば対応しますから。その、我慢したり溜め込んだりせずに話して下さいね」
話が終わったと思ったのだが、エレオノーラはそれでも動かずにその場に立ってこちらを見ていた。
よくよく考えると彼女は紀一郎の許し無しではこの場を離れられないのだろう。
「今日はもう戻っていいですよ。明日からよろしくお願いします」
「はい、失礼いたします」
紀一郎が促すと一礼をしてさっさと帰ってしまう。頭では分かっていたが自分には気が無いのだと言われた気がして何ともがっくりしてしまうが、ある事を思い付いた。
「あっ、ちょっと待ってて下さい」
そういって調整官室に入ると何かを手に持って戻って来くる。
それは紀一郎がちょっとした防寒用に使っていた薄手の黒いブランケットだった。
「これ使って下さい……。洗濯したばかりだし、あんまり使って無いんで綺麗ですから」
「え……」
紀一郎は手渡すとそのブランケットを肩に掛ける仕草をして促す。
エレオノーラは言われた通り、ブランケットをストール代わりに肩に羽織った。
「ええ、似合ってますよ」
紀一郎の賛辞に顔を綻ばせる。
正直いうと着古されて生地も色もぼろぼろなビクトリア風味のドレスに漆黒のブランケットはちょっと浮いてしまっているが、美人は何を着ても似合ってしまうものだ。
「とりあえずその服は何とかしますんで、今はそれを使って下さい」
その後エレオノーラは改めて一礼をしてその場を後にした。
翌朝学校へ行くと先に教室にいた鹿野が話し掛けてくる。
何故か昨日見せた明石みたいにニンマリとドヤ顔になっていた。
「カロっち昨日どうだった?」
「昨日? 何の話?」
「会ったんでしょう? あのキンキン・パツパツのカワイ子ちゃん」
一瞬ピンと来ないが紀一郎はすぐさま理解する。
「あれやったのお前か!?」
鹿野はさらに得意気な顔になった。
「なーにぃ、怒ってるフリしちゃって。本当は嬉しいくせに、あんな綺麗な子に部屋の掃除して貰ってー」
「鹿野が変な事をしたせいで、周りから微妙な目で見られてんだぞ!」
「なんで?」
「僕があの人を狙ってて作業の割り当ていじったって思われてるの。それとあれはどっちかというと銀髪だ」
「でも結果的にそうなるんだから良いジャン」
かなり無茶な理屈だが、あながち間違っていないのか紀一郎のトーンが下がっていく。
「狙ってないし、お前が細工したんでしょうが」
「えー、まだあのピンクちゃんの事引きずってるの? もう半年よ?」
「別に引きずっているとかじゃなくて余計な誤解を受けたく無いの。それとまだ三ヶ月だ、六ヶ月じゃない」
「気にしてるじゃない。でも、もうそろそろ諦めて復活しても良いんじゃない? みんな心配してるわよ」
鹿野は鹿野なりにここ数ヶ月の紀一郎の状態を心配していたのだ。
彼女の言に紀一郎は微妙に我に帰った。
「そんなに変かな」
「自覚無いの?」
「ちょっとだけ……、バレてる?」
「うちの生徒ならみんな知ってる」
心の奥底にある図星を指された様で顔が赤くなる。
鹿野は畳み掛けるように言った。
「遠くのピンクちゃんより近くの銀髪美少女って言うでしょ? それにカロっちが告白しても彼女なら断らないわよ」
「言わねぇよ…… それと彼女の場合は断らないんじゃなくて、断れないんだよ」
エレオノーラの限らず居留区の人達と紀一郎は立場や力関係が違うのだ。
誰もが紀一郎の言う事には逆らえないだろう。
「だからさっさとコクっちゃえば良いジャン」
「どうしてそこにいくかな……、それじゃあナイフ突き付けて脅迫する様なもんでしょうが。それは告白じゃなくて強制って言うんだよ」
「良いジャン」
「良く無い! あの人の事を何だと思ってるんだ」
あっさりと言う鹿野に対して理解出来ないと紀一郎が突っ掛かる。
これは男女の考え方の違いだろうか、多分永遠にこの差は埋まらないだろう。
「カロっちぃ……、エレオノーラはずっと辛い思いをしてきたのよ。それに彼女には帰る家なんか無いし、ここを放り出されたらルイセちゃんを連れて生きていけると思ってるの?」
「そういう人にはちゃんとした住み込みの仕事を斡旋を……」
鹿野は溜め息を吐いた。
「この世界にまともな仕事なんかある訳無いジャン。最初は強制でも何でも良いんだって。ちゃんと大切にしてあげれば、その点カロっちMだし絶対大丈夫!」
「大丈夫の根拠がおかしいだろ。彼女の気持ちの事も考えて……」
「あーもう五月蝿い五月蝿い、これだから男子は……」
吐き捨てる様に言うと、自分の席に戻って行った。
その後はいつも通り授業が終わり紀一郎は学校を出ると、校門に黒塗りの車が数台並んでいた。
「カ~ロ、遅いじゃない私を待たせるなんて」
何事かと近付くと車の後部座席の窓が開き、鈴谷が姿を現した。
ついでに隣には鹿野が同乗している。
「何なんですか、この大名行列は」
「今日は出島機関で部隊増設の受け入れ式があるから、授業が終わったら迎えに行くって言ってたでしょ。もしかして忘れてた?」
紀一郎は『あ』という顔をする。
ここ最近の河原崎町への訪問者増加と居留区の救出者の受け入れで出島の運営能力低下に対応する為、今日新たに陸上自衛隊の部隊を編入する事になっていたのだ。
「今朝までは覚えてたんです。だけど学校では授業に集中する為に頭の片隅に追いやってたんですよ」
「乗って」
「はい……」
大人しく車に乗り込み鈴谷が合図すると、まるでマフィア映画の様に車が列を成して進み始めた。




