馬鹿々々しい頼み事
受け入れから数日が経った午後、授業が終わり本庁舎の総督室に来ていた。
「鹿野ちゃんこれを十枚ずつくらいに拡大コピーして下に届けてくれる?」
本革の高級そうな椅子に深々と鈴谷が腰掛て言う。
「これ何なんです?」
見ると現地の文字で書かれた表らしきものが書かれている。
「居留区にいる人達の区画内作業割り当て表」
渡された書類を頑張って解読するが、衣類の洗濯や居留区内の掃除だけでなく、調整官区の掃除割り当てが書かれていた。
「これ手書きですか……」
「当然、この世界の文字フォントなんて無いんだから」
その通りだと関心しつつも、見覚えのある筆跡に鹿野は同じ事務官仲間の作だと気付いた。
「でもトイレ掃除の当番までこっちで決めなくても」
「最初だけよ、下は男の人ばかりだから色々と気を使ってるみたい」
出島機関の暑苦しい連中の顔を思い浮かべると、その中で一番童貞臭い人間の顔が頭のイメージに止まる。
それと同時に少しの親切とおせっかいと、その十倍の下世話な事を思い付いた。
「割り当て勝手に変えたら怒られます?」
「どうして?」
「せっかくだから楽しくした方がいいと思って」
鹿野の提案に部屋に居た全員の目が鈴谷を向く。
「良いんじゃない? どうせ誰も名前と顔なんて覚えていないでしょ。何を思い付いたのか後で教えてね」
「かしこまり~」
「おーい、取り込んできたぞ」
物干し場から洗濯物を取り込んでいたマリシアが戻って来た。
「ありがとうマリシア」
「ありがとうマリシア」
中で待っていたエレオノーラが妹のルイセと出迎える。
もう一人の住人ライナはここの所、陽が出ている間ずっと外を出歩いていた。
あくまで出歩ける場所だけだが……
「ほら、お前の分だぞー」
「だぞー」
最近は何かと口真似をしてくるルイセに乾かしていた服を被せると、何とも嬉しそうにはしゃぐ。
「しかし二日に一回は洗濯しろだなんて、変な事をいうよな」
マリシアは面倒だと言わんばかりにぼやいた。
日本人感覚では信じられないのだが、この世界では上層階級を除いて服を頻繁に洗濯するという習慣が無い。
衛生観念が乏しいのと、そもそも下の階級は衣服を複数所持している事は稀なのだ。
しかしこの居留区では病気の蔓延を防ぐ為に、衛生上シーツと衣服を各テントで洗濯を義務付けている。
河原崎町との関係性上、彼女達は断れないので、それぞれ思う事はあるだろうが行われている。
「ごめんなさいね、私達の分まで」
「良いって、どうせ暇だし。でも明日からうちら働かなきゃならないからなぁ」
今日の朝にいつも点呼を取る出島の職員が言っていた事を思い出した。
彼らが言うにはいくつかの場所で掃除やいくつかの作業をするだけらしいのだが、詳細は明日にという事だったので何とも中ぶらりな感じになっていたのだ。
「ええ……」
特にエレオノーラは不安そうだった。
ルイセがまだ小さくてまともに働けるような年齢ではない為、その分のペナルティがどうなるのか心配だったのだ。
「大丈夫だって! ルイセの事でエレオノーラが何か受けるならカロ様に直訴してやるし、うちが二人分働いてやるよ」
マリシアは胸元をポンと叩いた。
翌日、学校の休み時間に紀一郎の級友達が次の休日に何をして遊ぶか話が盛り上がっていた。
「カロカロ氏、葉木氏の家で集合という事で良いでありまつか?」
ダメ元で聞いてきた揚屋に紀一郎はいつもの返事を返す。
「悪い、俺はパスだわ。もうちょっと余裕が出来たらね」
「カロカロ氏、町の仕事はこれから増える事はあっても減る事は無いでありまつから、力を抜く時は抜かないとダメでありまつよ。あ、これは下ネタではないでありまつっ!」
申し訳無いと内心思いつつ、寒いセルフ突っ込みに苦笑いした。
紀一郎は河原崎町に戻って来て以来、多忙を理由に友人の誘い断り続けていたのだ。
しかし揚屋自身はいつもテンパっている紀一郎に比べ、町の転移事象を調査するのに町の隅々を歩き回って異変が無いかを毎日調べている。
彼が今まで靴を何足履き潰したと自慢話げに話していたのを紀一郎は思い出した。
単純な体力の消耗という事では紀一郎よりも激しいはずなのだが、学校・仕事・趣味・友達付き合いと、そつ無くこなしているのには賞賛に値する。
それは紀一郎だけの評価では無く、以前は気持ち悪いオタクとして周囲から浮いていたのだが、今ではクラスでも一目置かれる存在となっていた。
「本当に今は下が大変なんだよ。冬休みには何とかするから、そん時遊ぼう」
「了解でつ!」
これ以上言っても仕方が無いと、紀一郎はひとまず置いて話を戻すが、その中の一人が思い出した様に声を上げた。
「あれ? 次って移動教室じゃね?」
そこに居た全員『あっ』とした表情になる。
周りを見渡すと彼ら以外のクラスメイトは移動して誰も居なくなっていた。
次の移動教室は紀一郎達のいる敷地ではなく、高等部にあるので急いで行かないと間に合わなくなってしまうのだ。
急ぎ全員がキャノンボール方式で教室を飛び出した。
それぞれの脚力には個人差があり文化部気質の紀一郎は揚屋がいるので最下位ではないが下から二番目を走っている。
階段を下り下駄箱付近に差し掛かった時、不意に声を掛けられて足を止められた。
クラスは違うが同級生の男子生徒だ。
「え、どうした?」
息が上がっているのと不意だったので、普段はしない反応をしてしまう。
「移動教室?」
「次移動だって忘れててさ」
普段話をする男子生徒ではないので何か頼み事なのだろうと察しが付いた。
「カロカロ氏、お先でありまつ!」
足が遅く一番後ろを走っていた揚屋が追い付き紀一郎に声を掛ける。
「俺もすぐに追い付くよ」
当たり前だが薄情にも紀一郎を置いて走り去って行った。
「で? どうしたの」
息を整えながら話を聞く事にする。
すると目の前の男子生徒は両手を合わせて紀一郎を拝み倒す様にして話し出した。
「頼むカロ! うちのプロレス研で興行を打たせてくれ!!」
突拍子も無い話に一瞬頭が白くなるが、すぐに彼がプロレス研究部に所属しているのを思い出す。
「やれば? 体育館の使用申請は俺じゃなくて生徒会へ……」
何となく嫌な予感がしたが、それに気付かないふりをする。
「そうじゃない、学校じゃなくて下に居るお姉様達の前でやりたいんだよ」
「なんで?」
「プロレス界じゃ被災地の避難所で慰問興行なんかは良くあるんだよ。何も娯楽の無い所にずっと居たら気持ちが滅入っちゃうからな」
しょうも無い理由と動機付けにガクッとなったが、そもそも聞ける話では無い。
「無理だよ」
「何で?」
「僕にそんな権限は無いから」
「総責任者だろ!?」
「校長先生が授業内容を全部決めてる訳じゃないだろ? 僕はそういった事を決めれる権限は無いんだよ」
生徒会と出島機関で鍛えた口八丁で言いくるめる事にした。
彼はそれ以上何も言い返せなかったがまだ諦め無い。
「じゃあ誰にその権限があるんだよ」
「さあ? そんな事誰も決めた事無いから」
「鈴谷先輩なら出来るのか?」
鈴谷の名前が出た途端紀一郎の表情が曇る。
同時に男子生徒もしまったと内心でつぶやいた。
「鈴谷総督がこんな事に関わら無い。僕だってそうだ。無理だから諦めて体育館でやってくれ」
鈴谷八重を煩わせる者を許さない。
それがかつての旧生徒会メンバー鉄の掟で、全校生徒はもちろんそれを知っている。
そしてこうなると紀一郎はシャットアウトしてしまい話を聞かないからだ。
男子生徒は肩を落とし諦めようとした時、別の方向から天使の声が聞こえて来た。
「私がどうかした?」
聞き覚えのある声に男子二人は文字通り鳩が豆鉄砲を撃たれた様な顔になった。
鈴谷が現れたのだ。
「おはようカロ、お友達?」
見覚えの無い男子生徒に興味を示した。
「三年五組、プロレス研究部の相模です! おはようございます!」
「おはよう」
食い入る様に近寄る相模から守る様に紀一郎は間に割って入る。
「おはようございます、移動教室ですか?」
「ええ」
「僕もですよ、相模君も教室に戻りますので……」
紀一郎は追い払おうとするが、
「鈴谷先輩!! どうかお願いします!」
相模はその場にDOGEZAで鈴谷へ談判し始めた。
こうなると紀一郎は止められなくなり、顔を覆いながら状況を見守るしかなかった。
「良いんじゃない? やっても」
案の定予想していた鈴谷の安請け合いに内心で溜め息を吐く。
「待って下さい、外の人達と不必要な文化接触は禁止です」
すると鈴谷はクスクスと吹き出した。
「プロレスなんてパンツ一枚で飛んだり跳ねたりするだけジャン。こっちの世界に影響なんて与える訳が無いでしょ、考えすぎよ」
「いや、しかし」
「後はカロが相手をするわ。それと二人とも授業に遅れない事」
そう言うと鈴谷は去って行った。
「という事なんで、よろしく!」
次いで相模も上機嫌でサムスアップをして戻って行った。
紀一郎は言いたい事もあったのだが、自身も移動教室に間に合うかギリギリだったのを思い出して走り出した。




