07 稲妻の聖魔女
07 稲妻の聖魔女
二年前の今日、アレクは目を覚まし、天使を見た。
その天使は今、彼の髪を撫でながら、本を読んでいる。
「……慈悲深い聖女として人々を癒しながら、その力は世界を滅ぼす魔女にも等しかった」
ロズマリーの声が、静かな部屋に響いた。
スコルピオネス帝国史に記された、『稲妻の聖魔女』の伝説だった。
ほとんどの人は、作り話だと考えている。
しかし、真実だと信じる一派もあると、本には記されていた。
「聖魔女は、その傍らに立つ者へ、最大の加護を与える……」
ロズマリーはそこで、少し声を落とした。
「ただし、聖魔女と、その傍らに立つ者は、同時には存在できないという」
アレクは目を開けた。
何度聞いても、不思議な一節だった。
傍らに立つ者へ加護を与えるのに、同時には存在できない。
続きを読んでも、その理由ははっきり書かれていなかった。
「『稲妻』という二つ名は、魔法の姿に由来する。稲妻のような、美しい光が走ったと伝えられている……」
ロズマリーの指が、アレクの髪を梳いた。
この伝説を聞くと、心が浮き立った。
何でもできる気がする。
その一方で、何故か切なくなった。
(どうしてだろう)
答えを探すように、アレクは目を閉じた。
街で聞いた、邪魔者たちの話が浮かんだ。
領主も、ウィルも、キャシーの兄も、もう以前のようにはロズマリーへ近づけない。
(殺してもよかったが……まあ、いいか)
彼女の邪魔をしなくなったのなら、それでいい。
次に浮かんだのは、冒険者たちだった。
喫茶店で交わした質問と、その答えを思い返す。
(僕を探しているのか?)
確かめる必要があった。
だが、ロズマリーを一人で残したくはない。
(眠らせて、家の時間を止めておけば……)
彼女は何も知らずに、ここにいてくれる。
(もう、あの家を継ぐことなんてどうでもいい。放っておいてくれればいいのに)
窓の外へ目を向けると、軒先のハーブが風に揺れていた。
魔法を使えば、乾燥などすぐに済む。
けれど、ロズマリーと一緒に束を結び、干し具合を確かめる時間が好きだった。
「ロズマリー」
呼ぶと、彼女は本から顔を上げた。
「何?」
「そろそろハーブを取り込んで、食事の支度をします。ロズマリーは、ゆっくりしていてください」
彼女は微笑んだ。
「ありがとう。それなら、私はこれを仕上げようかしら」
本を閉じ、裁縫道具を取り出す。
「もう少しで、あなたのシャツができるのよ」
アレクは、その手元を見た。
思ったとおりの返事だった。
「楽しみにしています」
そう答えて、彼女のそばから立ち上がった。
ソファに戻ったロズマリーが針を持つ。その手が、一針進めたところで止まった。
まぶたがゆっくり下りていく。
アレクは指先を軽く動かし、窓辺の光と、外で揺れていた葉の音を止めた。
眠った彼女の肩に、そっと毛布をかけた。
◆◇◆◇◆
『風雲のハヤブサ』は、森の奥で魔物を討伐していた。
五人にとって、難しい相手ではなかった。
討伐を終えてドロップを回収し、野営地で夕食を済ませる。焚き火を囲む頃には、仕事の緊張も解けていた。
話題は、森に住む姉弟へ移った。
「あの弟、年は合っているな」
一人が言った。
「二年ほど前に引き取ったんだろう? 姿を消した時期も合う」
「本当の姉弟じゃないって話だしな」
リーダーは、火の中へ小枝を投げた。
「だからといって、すぐ報告するのは危ない。依頼人の様子を見ただろう」
誰も、すぐには答えなかった。
人探しというには、条件が物騒だった。
居場所を知らせるだけでは足りない。
首を持っていけば、破格の報酬が出る。
「……あの金があれば、故郷で土地を買える」
別の男が呟いた。
「俺は店を持てるな」
「五人でやれば、難しくないだろう。相手は子どもだ」
「問題は、そのあとだ」
リーダーが低い声で言った。
「首を渡したあと、俺たちまで始末されるんじゃないか」
焚き火が音を立てた。
全員が、同じ不安を抱いていた。
「それで、姉のほうはどうする?」
その問いに、男たちは押し黙った。
ロズマリーの顔を、それぞれが思い出していた。
報酬を手に入れ、彼女を連れて故郷へ帰る。
その考えを口にすれば、仲間と取り合いになるとわかっていた。
沈黙に耐えかねた一人が、わざと軽い口調で言った。
「娼館に売れば、いい金になるだろうな」
別の男が、薄く笑った。
「その前に、俺たちが――」
言葉は途中で途切れた。
焚き火が消えた。
風が吹いたわけでも、水をかけられたわけでもなかった。
一瞬で辺りが暗くなり、続いて淡い霧が広がった。
「何だ?」
男の一人が立ち上がった。
木々も、荷物も、地面の起伏も、白い霧の向こうへ消えていく。
その中に、一人だけ立っている者がいた。
あの弟だった。
「お前……」
男が剣へ手を伸ばした。
アレクは、その動きを冷ややかに見ていた。
「お前たちが、彼女を見たり、言葉にしたり、思ったりすることを許さない」
喫茶店での丁寧な話し方は、跡形もなかった。
「償ってもらう」
剣を抜こうとした男が、突然膝をついた。
次いで、別の男が胸を押さえた。
五人が次々に倒れ、地面を転がり始める。
体の内側から焼かれるような痛みだった。逃れようとしても、身の置き場がない。
「やめ……やめてくれ……!」
一人が手を伸ばした。
アレクは、少し首を傾けた。
「しっかり痛みと向き合って。それが罰だよ」
誰かが叫び、誰かが許しを求めた。
アレクは淡々と続けた。
「時間は十分あるからね」
白い霧の中で、五人の声だけが響いていた。




