第7話 窯の妖精ユッキ
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
早朝、焼きたてのパンが美味しそうな香りと共に店頭を彩る頃。
今日もちはるは出勤した。
メイド服にもだいぶ慣れてきた。
まだちょっときつかったり、胸元が余裕あるけども……
素早く着替え、朝の店頭販売の準備に入る。
パンカフェ『びみょる』には、移民船で地球から持ち込まれた貴重な石で作られているという窯がある。
その煙突から立ち上る一筋の白く細いゆらめき。
今日も美味しい焼きたてのパンがあることを、客たちに告げていた。
厨房の窯の厚い鉄の扉が少し開けられ、余熱を漏らしていた。
ちはるが店頭にパンを運んでいる時、ふと何かが見えた。
なんだろう、窯の奥の方……何か動いてるような……うーん
あれ、何もない、気のせいかな?
今はとにかく店頭販売に集中しなきゃ……
◇
朝の忙しい時間帯を終えた。
片付けと少しの休憩を挟み、まことはちょっとした買い出しのため店を出ていった。
オーナーは相変わらずどこにいるのだろうか、姿が見えない。
いつものように誰も客もいない時間。
アルバイトちはるのワンオペレーションタイム。
時間給でお給料をもらっている以上、手持ち無沙汰で時間を過ごすのが申し訳ない。
こんな時はいつも掃除だけど、そんなに広くない店内はあっという間に終わってしまう。
さて、どうしたものか……
厨房を掃除してみようかしら。
私に与えられた仕事ではないけど、2人ともいないし、私がやっても同じだよね。
と厨房に入ると、まことの性格なのか早朝からの仕込みを終えたとは思えないほどきれいだった。
どこから手をつければいいかな。
と、あれやこれや考えていると窯の鉄の扉が目に入り、朝、目にした動く影が頭をよぎった。
熱は完全に冷めているようだ。
全開になった扉から中を恐る恐る覗き込んだ。
ここから掃除しようかしら。
窯の掃除はよくわからないけど。
まぁ黒く煤けているところを水でゴシゴシやればいいよね。
この前の『週刊サルベージ』で、古の地球の『年末の大掃除』というのをやっていた気がするし……たぶん、こんな感じ。
バケツに水をたっぷり入れた。
水を窯の中にかけようとした瞬間ーー
「ちょっとお主! なにをしておる! やめんか!」
突然どこからともなく聞こえた声に驚いた。
硬直した腕先からバケツを床に落としてしまった。
ずぶ濡れの足元の冷たさに我に返る。
「い、今のは、なんだったの!?」
店の外から聞こえたの!?
この混乱をどうにか抑えようと必死だった。
体勢とバケツをもとに戻し、床の水を掃くためにモップを探しすぐに見つけた。
え? 何? ええ?
焦る気持ちを必死に抑えつつ、床に溢れた水と心をなんとか落ち着かせた。
もう一度、窯の奥をじーっと見つめた。
すると暗がりの奥の方で何かが動いた。
「ひえっ!」
脊髄反射。喉を素通りしたような悲鳴だった。
その黒い影の揺らめきが濃さを増し、窯の奥からこちらに近づいてくる。
混乱した心のほころびから恐怖が漏れ出そう。
「ーーお主、わしの姿が見えるのか?」
濃い影がしゃべりかけた。
「ひい!」
その影はさらに近づき、窯の入り口辺りで厨房の光がその姿を捉え始めていた。
恐怖に支配されながらも、ちはるはその影を凝視した。
「お主、水をぶっかけようとしたじゃろ。それ、一番やってはいかんやつじゃ」
声の主は窯の扉より少し小さな人のような姿をしていた。
黒い影と思っていたものは、黒い服のようだ。
体は膨れた風船のような極度な肥満体型。
「な、なに? おばけ? 妖怪?」
とにかく定義したかった。
この世界で目に見えるものをすべて定義したかった。
定義できないものは受け入れられないし何より怖い。
怖いものには触れたくないし、触れられたくない。
だからまずは定義しないことには、この状況は乗り切れないと思った。
妖怪であるとわかれば、その対処方法は……
いや、なにも思い浮かばないけど……
「違うわい! 失礼な、この小娘が!」
「妖精じゃ! 窯の妖精じゃ!」
「美味しいパンやお菓子が焼けるのも、わしがこの窯の管理をしてやっておるからなのじゃぞ!」
その妖精の紅潮した小さな顔に見入っていた。
「しかし、お主、わしが見えるのじゃな。この星でははじめてじゃ、わしを見ることができる人間に出会うのは」
人間のようであり、太った男性のようでもある、その小さな妖精は名乗った。
「わしの名はユッキ、窯の妖精じゃ」
「窯の管理をして、この窯で作られるパンやお菓子を美味しくするのが仕事じゃ。報酬はたまにそのパンやお菓子をいただいておる」
思い当たる節があった。
まことがたまにパンの数が合わないことを漏らしていたのだ。
メイド服の大きく開いた胸のスペースを埋めるためにパンを拝借している(ちゃんと購入している)身なので、私のことかと思い肩身の狭い思いをしていた。
「犯人はあなただったのね!」
パン泥棒の嫌疑が晴れた。
そうか、私じゃなかったのか。
毎朝、胸元に忍ばせるたびに感じていたあの罪悪感は、取り越し苦労だったのね……
恐怖は和らぎ、じっくりと観察し、言葉に耳を傾けることができるようになっていた。
「犯人とは何じゃ! わしのおかげで美味しいパンが焼けるのじゃぞ!」
ユッキは譲らなかった。
その必死さに、少し笑ってしまった。
「何がそんなに可笑しいのじゃ!」
恐怖の反動からか、笑いが止まらなくなっていた。
笑いが喉の奥に収まってきた頃、このおかしな状況も飲み込もうとしていた。
夢だろうか?
こうして恐怖し、そして止まらなくなる可笑しさに、夢だろうと現実だろうと関係ないと思った。
感動はどちらの世界でも、同じように作用するものだから。
「だから水をぶっかけてはいかんと言うておるのじゃ」
ユッキは未熟な部下を諭すような口調で語りかけた。
当初の目的を思い出し、床に散らかったバケツとモップを片付けて、改めてその小さな妖精の姿を見ていた。
「ジロジロ見るでない!」
また怒り出したが、笑い出しそうになるのを耐え質問した。
「窯を管理してるってどういうことなの?」
「なんじゃこの小娘、いきなり質問とは図々しいのう」
「まぁよい、わしを見ることができる数少ない人間じゃからな、特別に教えてやろう」
ユッキは腕を組み直して、踏ん反り返っていたが、その姿に再び笑いそうになる。
「石の窯で料理をするというのはな、ほんとうはすごく難しいことなのじゃ」
「火の調節だけでなく、気温や湿度などたくさんの要素が複雑に絡み合っておる」
「だから毎回同じように焼けるよう、わしが微調整しておるのじゃ」
ユッキは、胸を張り誇らしげな顔をした。
「火の調整は、まことさんがしているんじゃないの?」
ユッキの眉毛がすこし反応したのを見逃さなかった。
「か、かか、彼は窯の扱いがとても上手じゃし、よくやっておる。じゃが、それでも難しい微調整が必要なのじゃ」
「なるほどね……全ての窯に妖精がいるの?」
「全てではないぞ。妖精は気に入った窯があれば、そこの管理をするようになるのじゃ」
「へー、ということは、ユッキはこの窯が気に入ってるんだ」
ユッキは顔面を真っ赤にさせながら反論した。
「そ、そんなことないわい! し、仕方なくやってやっておるだけじゃ!」
この反応。
ははーん、なるほど。
すこし意地悪な質問をしてみた。
「まことさんが上手なら、もうこの窯の管理はしなくていいんじゃない? 別の窯のところに、、」
と続けるのをユッキは声を大きくして遮った。
「彼はまだまだじゃ! とにかくわしはここにおる! 小娘のお主に何がわかる!」
ひどく動揺しているのが手に取るようにわかる。
両手を振り上げながら訴えるその顔は、さっきよりも赤みを増していた。
あれ、これってもしかして……
「あなた、、まことさんのことが好きなのね?」
その瞬間、激しい閃光が厨房内にパーッと放たれた。
目を細め身構えた。
黒い影のような妖精の姿は消え、目の前に肩をいからせた10歳前後の女の子が現れた。
「違うもん!」
反抗期の子どもを前にしたかのような既視感。
「お、女の子!?」
主婦であり母親でもあるちはるの『お母さんスイッチ』が、強制的にオンにされた瞬間だった。
「あなた、ユッキなの!?」
「べ、別に好きでこの姿になったわけではないぞ!」
「人間の前では、その人間が一番受け入れやすい姿をとるのじゃ」
目の前の少女をまじまじと見た。
「……これが私にとって受け入れやすい姿?」
「子どもは得意じゃろ、お母さん」
さらさらの黒く長い髪の毛に、白いワンピースからのぞく細い手足。
妖精の姿と差がありすぎる可愛らしい女の子の姿に驚きを隠せない。
そんな時、店の来客を告げるカウベルが聞こえた。
厨房のカウンターから覗きこむと、まことが帰って来たのだ。
ユッキはちはるの背後に回り、抱きついた。
「どどど、どうしよう……」
2人分の焦りが厨房を駆け巡った。
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