↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気にしいメイドと天然パティシエ ~辺境惑星のパンカフェ日誌~  作者: 餅酒むぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
58/60

第58話 先人が最初に置いたもの

※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。

 住民説明会から数日が過ぎていた。


 採決が先送りされたとはいえ、街に垂れ込める暗雲は晴れたわけではない。

 決定が保留にされただけの宙吊りの時間。

 じわじわと、しかし確実にその期限を削り取っていた。


 それでも、パンカフェ『びみょる』の店内は妙なほど静かで、穏やかだった。


 ちはるはメイド服の上のエプロンの紐を固く結び直し、磨き上げられたトレイにカップを並べる。


 やるべきことは、もうあの日すべて出し切った。


 自分がこの街で見てきたもの、大切にしてきたものを、あの広いホールで言葉にして置いてきた。

 だから今は、ただ目の前の仕事に手を動かすことしかできない。


 常連たちの表情にも、悲壮感はなかった。

 どこか吹っ切れたような、静かな諦観と覚悟が混ざり合った独特の空気が、焼き立てのパンの香りとともに店内に漂っている。


 その静寂を破ったのは、唐突に勢いよく開いた入り口のドアだった。


「ーー入社以来の大発見! ううん、惑星キリシマの開拓史上、最大の灯台だよこれは!」


 カウベルの音をかき消す勢いで飛び込んできたのは、バイナリだった。


 肩で息を切りながら、大きめのメガネの位置を何度も直している。

 目の下にはくっきりとクマが残っていたが、その瞳は見たこともないような熱量で怪しく発光していた。


「バイナリさん……? 落ち着いてください、お水持ってきますから」


「水はいい! 違うの、ちはるさん! 今週の『週刊サルベージ』の生放送枠、穴があいたの! 急遽差し替えのサルベージ解説枠が、まるまる三十分浮いてるんだよ!」


 まくし立てる早口に、常連たちが一斉に首を巡らせた。


「あの番組の……生放送枠ですか?」


「そう! 私、あそこにはアシュラの発掘成果を提供する正規のエンジニアだからね! 企画さえ通せば、私が直接、全画面で生解説できる資格があるの!」


 バイナリはカウンターにババァンと両手を突いた。

 オタク気質が暴走している時のバイナリは、距離感のバグった距離まで顔を寄せてくる。


「いま、このタイミングで全国に届く電波がある。使わない手はないでしょ!」


「でも……」


 ちはるは注ぎかけたコーヒーの手を止め、そっと胸の奥で考えを巡らせた。


 街の窮状や、不便さの魅力をどれだけ画面越しに訴えたところで、ミワのブログのようにメディア記事と同じ壁にぶつかるだけではないだろうか。

 委員会や世間からは、また「感情論だ」「一部の住民のエゴだ」と一蹴されてしまうかもしれない。


「ただの反対運動や、お願い運動なら、誰も見向きもしないでしょうねぇ」


 奥からゆったりとした足取りで現れたオーナーが、髭を撫でながら楽しそうに目を細めた。


「『週刊サルベージ』の視聴者層は、偏屈で、マニアックで、けれど本物への執着だけは並外れています。この店に流れてきたマニアの諸君のようにですね。……ふむ、いいタイミングですね。ちょうど私にも、昔の伝手というものが一つありましてね」


 オーナーはそれ以上、何も明かさなかった。

 いくらちはるが首を傾げても、飄々とした笑みを浮かべるだけで、ポケットから取り出した古い通信端末を短く一回叩いただけだった。


「枠の確保は、私が受けて立ちましょう。あとはバイナリ君、君が『何を掘り出すか』です」


◇


 番組の生放送は、統合計画への反論としてではなく、ごくありふれた「学術的サルベージ成果の発表」として始まった。


 店の小さなモニター画面には、アシュラのデータ構造を示す無機質な図形と、バイナリの横顔が映し出されている。

 彼女は一切の感情を排した、淡々とした研究者の口調で語り始めた。


「……人類の叡智データベース『アシュラ』から復元される情報には、長年解明されていない大きな偏りが存在します。古の地球、それも西暦2000年前後のデータが、全体の八割以上を占めているという点です」


「単なるサルベージの不完全に起因するものだとされてきましたが、データパターンを解析した結果、明確な『意図』が確認されました。膨大な記録の『どこから先に読めるようにするか』を選び取った先人がいた痕跡が見られました。これがいつ選び取られたかまでは、わかりませんでした」


 静まり返る店内で、古時計の秒針の音だけがチクタクと響いていた。


「選ばれていたのは、最新の軍事技術でも、高効率な生産プロセスでもありませんでした。手紙の書き方。手でこねるパンの焼き方。古い喫茶店での接客の作法。祭りの飾りの作り方ーー人間が、ただ人間としてそこに存在し、誰かと出会うための、極めて非効率で無駄な記録ばかりが優先されていたのです」


 バイナリは、カメラをまっすぐに見つめた。

 そこには、反論も、怒りも、悲しみもなかった。

 ただ、掘り出した事実を置く、静かな確信だけがあった。


「先人たちが未来へ遺したのは、知識ではありません。順番です。……そして、この惑星キリシマの最南端にある遺構都市ニューイブスキは、過去の遺物ではありません。先人たちが最初に置きたかったものが、そのまま生き続けている場所です」


 ちはるは息を呑み、画面から目が離せなくなっていた。


 バイナリは別の資料を提示して、さらに続けた。


「モリインダストリー社の、創業期の公開記録です」


「創業当時の社是は、こうです。ーー『効率で笑顔を。その人にとっての笑顔を。』」


「なぜ近年この後半部分が抜け落ちているのかはわかりません。効率を測る指標にできなかったのだと思います」


 掘り出すとは、ただ埋もれたものを引っ張り出すことではない。

 そこに込められた本当の意味を見つけることなのだと、彼女の背中が教えてくれていた。


 画面が切り替わった。


 事前に録画された一分足らずの短いコメント枠。

 そこに画面いっぱいに映し出されたのは、仕立てのいいスーツを着た、一人の青年、ハヤトの姿だった。


 効率化の権化のような大手企業から視察に訪れ、かつてこの店で名前を名乗って去っていった青年店主。


「……効率化を推進する立場として、一言だけ発言の許可をいただきました」


 彼の声は、かつてと変わらず冷徹で、丁寧語という甲冑を完璧に纏っていた。

 どこまでも効率主義者としての佇まいを崩していない。


「数字とロジックこそが、組織における唯一の正義です。それは現在も変わりません。……ですが」


 ハヤトは、画面の向こうでほんのわずかに視線を落とし、そしてまっすぐに前を向いた。


「あの店で提示された一杯のコーヒーと、その場所の時間は、いかなる計算式を用いても数値化できませんでした。私は、それを削減対象として算出することに失敗したという事実だけを、ここに報告いたします」


 それ以上、彼は何も言わなかった。


 統合への反対も、街への擁護も口にしなかった。

 ただ、一人の効率主義者として、自分が遭遇した「計算不能な事実」を一つだけ残して、画面はCMへと切り替わった。


 画面の中の彼は、確かに名前を持った一人の人間としてそこに立っていた。


 放送が終わった。


 店内にいた常連たちは、誰も歓声を上げなかった。

 立ち上がって拍手をすることもなかった。


「……ああ」


 誰かが小さく、深く息を漏らしただけだった。


 けれど、その静かな空気は、決して敗北の重苦しさではなかった。

 波紋が水面に広がるように、電波に乗った言葉たちが、画面の向こうにいる無数の「誰か」の心に届いていく気配が、肌を刺すように伝わってきた。


 住民説明会の場で自分のすべてを言い切った私は、今日もただメイド服を着て、空になった常連のカップに温かいコーヒーを注いで回っていただけだ。


◇


 やがて常連たちが静かに去っていった店内には、静寂が降り積もっていた。


 すると控えめな音色でカウベルが鳴った。

 放送を終えたバイナリがやってきた。


 バイナリはテラス席に座っていたイゾウの横に座り、いつものコーヒーとチョコレートケーキをオーダーした。


 ちはるがそれらをバイナリに給仕し、声をかけた。


「お二人ともごゆっくりどうぞ」


 バイナリはイゾウに話しかけた。


「イゾウさん、ちょっとお願いしていい?」

「……かしこまりました」


 イゾウの言葉が一瞬遅れたようだった。

 するとイゾウの「かしこまりました」としゃべっているその口から別人の声が発せられた。


『ーーあの店のパンを食べた時、私は初めて、景色というものを見た気がしたのだ』


 バイナリとちはるは、その声に耳を傾けた。


『効率と最適化を追い求め、自分が作ったはずの会社の中に、いつしか自分の居場所がなくなっていった。何のために大きくしたのか、何のために走り続けてきたのか……すべてが見失われかけていた時、あの崖の上の小さな店で出されたパンだけが、私が人間であった頃の記憶を呼び覚ましてくれた』


 それは、告発でも遺言でもなかった。


 効率の頂点に立ち、そして自分自身が作ったシステムに呑み込まれて去っていった一人の男が、イゾウという古い機体の奥深くに、誰にも知られずそっと隠しておいた、個人的な述懐だった。


『このパンを焼いた人物に、一度でいいから会ってみたいものだ……』


 掠れた声が途切れ、静寂が戻る。


 イゾウは何も言わず、ただ静かに佇んでいた。


 その時、厨房の奥から、香ばしいパンの焼き上がる甘い香りが漂ってきた。

 まことが、いつものように完璧な焼き加減で石窯からパンを取り出し、冷ますために急いでトレーに並べている。


 ちはるは厨房のほうを見た。

 それから、使い終えた布巾を丁寧に畳み、カウンターの上に置いた。


 私は今日、何もしていない。


 ただ、みんなが命がけでやってきたことを、一番近くで見届けていただけだ。


 この不便で愛おしい街の物語には、思っていたよりもずっとたくさんの、素晴らしい語り手たちがいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。