第55話 おもてなしのゲリラ作戦.
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
耐用年数超過機体の一斉回収が「審査中」のまま保留となり、不気味な猶予が与えられた夏の日々が続いていた。
再開発を巡る議論が街を覆う中、ネオマクラザキの超効率化推進委員会から一通の公式通知が届いた。
『遺構地区の現状把握および今後の再開発計画における実現可能性の検証を目的とした視察について』
文章の後半には、視察団の訪問予定先に『パンカフェ びみょる』が含まれていること、そして滞在時間は半日ほどであることが記されていた。
ちはるが通知を読み上げると、カウンターの向こうでミワやウララたち常連客が一斉に色めき立った。
「視察団が来るんですのね! これは街の魅力を全力でアピールする絶好の機会ですわ!」
「スカイトロッコの駅に歓迎の幕を掲げましょうよ。トロッコもピカピカに磨いて!」
「びみょるの店内も、お花で飾って賑やかにしなくちゃ!」
常連たちの善意は一瞬で熱を帯び、アイデアが次々と暴走し始めた。
ちはるも「そうですね、看板だけでも磨いておいた方が……」と一緒に浮き足立ちそうになった、その時だった。
「……やめたほうがいいと思います」
静かな、けれど毅然とした声が響いた。
ユラだった。
普段なら真っ直ぐな情熱で場を活気づける彼女が、困惑する常連たちを遮るように首を横に振っている。
「歓迎されると、疲れるんです」
店内が、一瞬でしんとなった。
ユラはすこし肩を落とし、どこか遠くを見るような目で言葉を続けた。
「ネオマクラザキから来る人たちですよね。ああいう人たち、朝から何軒も回って、同じような説明を何度も聞いて、同じような笑顔を何度も向けられてるんです。どこに行っても歓迎の飾り付けをされて、期待に満ちた目で見られて……」
ユラは小さく息を吐き、自分の胸にそっと手を当てた。
「……私、あの顔を知ってます。……前の私の顔だから」
かつて別の街の、効率優先の大きな店で働き、本部からの巡回や視察を「迎える側」にいたユラの言葉だった。
前職で摩耗していた頃の自分を重ね合わせた一言には、誰も反論できない実感が宿っていた。
「飾り付けもしない、説明もしない、特別扱いもしない。……ただ、いつも通りの店を開けて、いつも通りに迎えるのが一番だと思います」
ユラの提案は、いわば「何もしない作戦」だった。
厨房で話を聞いていたまことが、穏やかに頷いた。
「そうですね。僕も、特別な仕込みはしないでおきます。……ただ、その日の朝に、その日の空気で焼くだけにします」
前日から完璧な準備を整えるのではなく、当日の気温と湿度を手で測り、最高の一皿を焼き上げる。
これまでの経験から培われてきた職人の矜持が、何気ない言葉の中に滲んでいた。
気にしいの私がいつも考えていた『お相手の負担になりたくない』っていう感覚と、ユラさんの言っていること。……すごく似ているのかもしれない。
◇
視察前日の夕暮れ。
準備という名の「特別な掃除」をあえて止め、いつも通りカウンターを拭いていた時だった。
石窯の前に立っていたユラが、ふと振り返った。
「ちはる先輩、まこと先輩。……この窯の石って、本当に地球から来たんですか?」
噂で耳にしていた古い伝承。
まことは片付けの手を止め、愛おしそうに古い石窯の側面に触れた。
「ええ。最初の移民船がこの惑星に降り立った時、地球から運ばれてきた石だそうです」
「船の荷物の中に……わざわざ石を?」
「ええ。厳しい入植の旅でしたから、持ち込める資材の重量には厳しい制限があったはずです。生きるために必要な燃料でも、食料でもない……石なんて、効率で考えたら絶対に積まないものですよね。……でも、誰かがその枠を削って、この石を選んで運んだんです」
まことの視線が、石窯の奥へと注がれる。
「入植の頃から、この場所でこの石が組まれ、煙が上っていた。……その『誰か』が石を運んでくれたおかげで、僕は今、ここでパンを焼くことができています」
まことの言葉を静かに聞いていたちはるは、ふと石の表面に目を移した。
(私たちが守りたいのって……ただの古い建物や、遅いトロッコそのものじゃないんだ)
ふと、窯の奥からユッキの呟きが、ちはるの耳にだけ届いた。
(……ふん。ようできとる石じゃ)
短く照れ隠しのように告げられた言葉に、ちはるはそっと微笑みを返した。
◇
そして、視察当日。
『びみょる』の店内には、看板の飾りも、歓迎の紙も一枚もなかった。
いつも通りの海風が吹き抜け、いつも通りの朝の光が差し込んでいる。
カウベルが鳴り、ネオマクラザキのスーツを着込んだ視察団の一行が入ってきた。
朝からいくつかの地区を巡り、どこに行っても大袈裟な歓迎や必死のアピールを浴びせられてきたのだろう。
ここでも彼らは特に表情を変えることもなかった。
ちはるは過剰な笑顔を浮かべることも、街の苦境を訴えることもしなかった。
ただ、いつも通りの穏やかな声でメニューを差し出した。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
説明も売り込みもない、ただのカフェとしての空間。
視察団のメンバーは戸惑いながらもテーブル席に腰を下ろした。
やがて、まことがその日の朝に焼いたばかりの『シフォン・ド・びみょる』とコーヒーが運ばれていく。
中央の席に座っていた一人の中年男性が、それを訝しげに見つめていた。
少し躊躇したように添えられたフォークを取り、ケーキを慎重に切り分けた。
ゆっくりと口に運んだ。
もうひと口運んだところでーー男性の肩から、ふっと力が抜けた。
ため息とも安らぎともつかない吐息が零れ、固く結ばれていた眉間が緩んでいく。
何も説明されず、何も求められない空間で、焼きたての甘みとコーヒーの香りが、彼の疲れた肉体に染み込んでいくようだった。
だが、その一行の中に、ただ一人、運ばれたコーヒーにもケーキにも最後まで一切手をつけない男がいた。
パリッとしたスーツに身を包み、隙のない眼鏡をかけたその男は、組んだ手の上に顎を載せ、険しい目で店内を観察していた。
(……あの人……)
統合計画の通告を持ってきた、あの委員会の男だ。
ちはるの気にしいのアンテナが反応していた。
男は一切の感情を読ませないまま静かに立ち上がると、会計を済ませて店の出口へと向かった。
ドアに手をかけ、去り際にーー男は一度だけ振り返り、店内の石窯と、そしてカウンターに立つちはるへ視線を投げた。
その強い視線に込められたものの意味を、ちはるはまだうまく言葉にすることができなかった。
けれど、胸の奥で何かが強く引っかかり、目を離すことができなかった。
去っていく男の背中を見送りながら、ちはるは静かに心の中で呟いていた。
(おもてなしって……たくさん差し出すことじゃなくて、その人が何をここに置いていきたいのかを、見つめることなのかもしれない)
視察団の足音が坂の下へと消えていく。
引き締まった緊張感を残したまま、『びみょる』は次の時間へと続いていた。
※このお話は前後編の【前編】です。続きは次回更新でお届けします。 ブックマークしておくと、更新時にすぐ続きが読めます。




