第5話 カフェ巡りのミワ
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
パンカフェ『びみょる』はランチ時間帯を終えようとしていた。
アルバイト開始から2週間ほど経過した頃。
色々だいぶ慣れてきたけど……
いまだ慣れないのはレジ打ち。
痛む右腕をさすりながら、ランチ最後の客を見送ると店内は誰もいなくなった。
いつもの光景。
「掃除でもしようかな……」
と、動き出そうとしたときカウベルが、一人の女性の来店を告げた。
初めての客がするように一歩店内に入り、ぐるりと視線を動かした。
どういうシステムなのかを察すると、自ら窓際の席に腰をかけた。
お客様だ……
すぐにお冷用のコップを取り出した。
氷とよくわからない高級そうな浄水器のついた蛇口から水を注ぎ、ウェルカムスマイルを用意した。
「いらっしゃいませ、メニューはこちらです、お決まりになりましたらお呼びください」
事務的と言えば事務的な文言だ。
マニュアルが無いというオーナーの指示通り、自分で考えた。
ちなみにオーナーからは「古の地球では、おかえりなさい、と言って迎えていたのだよ」と力説されたが、まったく合点がいかなかったので不採用にした。
ここは帰るところじゃないよね……
コースターとお冷を置いている間、その女性がどんな人か横目でチェック。
髪型や服装から年齢や人となりを想像していた。
はじめてかしら……
ママさんなのかな……
歳はわたしより下かも……
着飾ってるわけでもなく、シンプルでいて、でもおしゃれ……
こういうコーディネートができる人、羨ましいわ……
レジ横の定位置に戻ってからも妄想の手を緩めることはしなかった。
そこでハッとした。
その女性が手を上げていたのだ。
いけない!
どのぐらい気づかなかったのかしら……
お客さん怒ってるかな、怒ってるよね……
情けなさと恥ずかしさと血流が共に頭に上がった。
熱い風呂に入っているような感覚。
表に出さないように、ぎこちないスマイルで応対した。
「ホットコーヒーとアップルパイを、お願いします」
はー、よかった。
特に指摘されなかった。
なるべくその女性を意識しないように作業をしていた。
しかし意識しないようにと思えば思うほど意識してしまう。
そんな心のカラクリから逃れることができなかった。
女性はアップルパイを半分ぐらい食べかけたところで、手帳のようなものを取り出した。
そしてペンを片手に思案を巡らせているようだった。
何か思いついたのか時々手帳に書き込んでいる。
店内のすべてのものを一点一点査定するかのような眼差しでペンを走らせたりもしている。
そしてまたリズミカルにペンを顎に向かって動かし店内を物色する仕草。
これはもしや……
雑誌か何かのモニターというやつかしら……
それとも覆面調査ってやつ?
いつもなら情報補助デバイスで「カフェ 覆面調査 特徴」とか検索できるのに!
そうに違いないわ、ああ、どうしよう……!
きっと店員欄に「ボーッとしてる店員、最悪」とか書かれちゃうんだわ!
そうしたらお店の評判が下がって、売り上げが下がって、廃業しちゃったりしたら、私の責任だわ!
オーナーやまことさんに顔向けできない……
どうしたらいいの……
いつもは猫背になりがちな背中をピンと伸ばし姿勢を正した。
このままでは最低の店になってしまう……
なにかアピールポイントはないかしら?
パンもスイーツもとびきり美味しいの! 何かパンをサービスで持って行こうかしら。
いや、明らかにいやらしい賄賂だわ……そんなことしたらもう拭い去れない汚名をいただくことになるわ!
テラス席を勧めてみようかしら、ここは断崖の上から臨む絶好の場所、遠く水平線まで何も遮るものがないのよ!
いや、自分から窓際を選んだのだし、今更テラスに誘導したら不自然よね……
対応策を決めかねていると、その女性は手帳を閉じた。
バッグから薄手のストールを取り出すと、両腕をテーブルの上にクロスさせ、その上に慣れた手つきで広げた。
そして、頬を乗せるように頭を預けた。
どうしたのかしら?
丸くなった背中が薄い吐息とともにゆっくり上下に動き出した。
まるで日向に佇む猫のように。
寝た? 寝たの?
完全に目を閉じ、存在そのものが消えてしまうような堂々とした寝姿。
寝たのね、確かにちょうど良い気温だし、寝るには最高。
疲れていらっしゃるのかもしれない、そっとしておかないといけないわ。
覆面調査員は疲れるよね……
いや待てよ……
これも調査項目なの?
そうよ、少し前まであんなにメモ帳に書き込んでいたのに、パタリとやめてすぐに寝るって、普通出来る?
うん、怪しいわ、大いに怪しい……
これも試されているんだ。
寝た客の応対についての項目があるんだわ!
だとして、どうしたらいいのかしら、寝た客にはどうすれば、またしても検索できない!
快適に眠ってもらうには……
まず店内に流れる音楽のボリュームを少し絞った。
アンプについている大きな金属のツマミを、音をたてないように慎重に、左へ少しだけ回す。
他にできることはないかしら……
そうだ、ブランケット! 毛布! 寝ている人には毛布だわ!
しかし近くにあるはずもなく、自分は試験応対中のため持ち場を離れられない。
ここはまことさんを頼らねば。
厨房への通信手段がないので視線をじーっと送り続けた。
はやく気づいて! まことさん!
スイーツの製作作業をしていたまことが何やら感じたのか、フロアへ顔を向けた。
(まことさん、ブランケット持ってきて!)
と、必死に口の形だけで訴えかける。
しかし、まことはなんのことかわからず?マークを生やして首をかしげるだけだ。
ちはるはさらに口を大きく開けて、
(ブ、ラ、ン、ケ、ッ、ト!)
と全力で口パクを繰り返した。
なんでわからないのよーー!
そこでジェスチャーを思いついた。
両手を合わせ顔の横につけ目を閉じて寝入る様子をした後、毛布を自分にかけるような仕草を繰り返す。
毛布を指先でつまんでいるように人差し指と親指をつけて、お腹のあたりから肩甲骨あたりまで引き上げる。
(ブ、ラ、ン、ケ、ッ、ト! ブ、ラ、ン、ケ、ッ、ト!)
何回も繰り返してるけど……
必死になっても伝わらない、なんてもどかしい伝言ゲーム。
まことは笑いを抑えることができなくなった様子で、腹をかかえている。
なに笑ってんのよーー!
無駄に時間だけが過ぎていく。
もうどうにもならないと思い、自分で取りに行こうかと思った矢先、女性の体が起き上がった。
自分の心拍が一気にかけ上がる音が聞こえた。
女性は目をこすり腕時計を見た途端、声を上ずらせた。
「いけない! もうこんな時間!」
その女性は急いで食べ残したアップルパイを頬張り、残っていたコーヒーを飲み干し、手帳とストールをバッグに押し込み席を立った。
ちはるは耳から心臓が脈打つ音が漏れてしまいそうになりながら、レジで準備をした。
脳内はほぼ機能停止をしていたが、腱鞘炎の記憶だけでレジを打ち、おつりを渡した。
するとその女性は、キラキラした表情で話しかけてきた。
「とても美味しかったわ! それにとても居心地がよかったの!」
「私がカフェで寝れたのがその証拠よ! 寝ようとした時にボリュームを落としてくれるお店なんてはじめてだわ!」
何を言ってるのかわからない。
「私、最近こっちに引っ越してきたの。転勤族で……で、ここら辺でくつろげるカフェを探しているところだったの! それが見つかったわ!」
「はぇ?」
自分の脳がようやく回転しはじめた。
「これからも来るわ! よろしくね!」
脳がやっとはじき出した疑問を口にしていた。
「あ、あの、覆面調査員では……」
「ふくめん……?」
「いや、あの、何か手帳に書き込んでいらしたので……」
「ああ、これね、日記よ、カフェで美味しいコーヒーを飲みながら、日記を書いたり読書したりするのが趣味なの……あと、もちろん昼寝もね……」
と、かわいい笑顔を見せる女性は続けた。
「私の名前はミワ、これからも来させてもらうわ、よろしく!」
ミワはつむじ風のように去っていった。
扉の鐘の揺れを呆然と眺めていた。
「な、なんだ……なんでもなかったのね……一時はどうなることかと思ったわ……」
転勤族って言ってたな……
私と似ているのかも。
知らない街に来て、自分の居場所を探してたんだ……
安堵が手土産をもってちはるの心にお見舞いにやってきた。
胸をなでおろし、後片付けに入ろうとした時に、はっと気がつき、厨房へ向かう。
「ちょっと、まことさん! なに笑ってるんですか!」
「ブランケット取ってきてって伝えているのに!」
スイーツの仕上げをしていたまことは手を止めた。
「ん? ブランケットだったのですか?」
「そうですよー」
「あれは先週の週刊サルベージでやっていた古の地球の『ベテラン女芸人のギャグ』にしか見えなかったですよ、めちゃくちゃ似てましたよ!」
と、腹を抱える仕草をして、少しいじわるな笑顔を見せた。
「もー」
少しふくれながらテーブルに戻り、皿やコップを片付け、テーブルや椅子の位置を直しつつ拭いてまわった。
でも、ミワさんは褒めてくれた……んだよね……
いつしか安堵が去り、心地よさが訪れた。
自然と笑みがこぼれた。
オーナーに常連を捕まえたから、時給を上げてくれって交渉しようかしら。
静かな午後が、またゆっくり流れ始めた。
店内の音楽のボリュームをすこしだけ戻し、曲目を変えた。




