第47話 娘たちの自慢のママ
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
お昼前の静けさが漂う店内で、入口のカウベルが可憐な音を立てた。
「いらっしゃいませ!」
ちはるが笑顔で出迎えると、入ってきたのは見覚えのない母娘の二人連れだった。
スカイトロッコに乗って観光にやってきたのだろうか。
お母さんの方が温かい眼差しで店内を見渡す一方で、小学校中学年くらいのお子さんが、ちはるの顔を見るなり目を見開いた。
「あ! ルミちゃんのお母さんだ! ルミちゃんがいつも自慢してるメイドさんの人!」
「……えっ!?」
指をさされて、ちはるは思わずその場で硬直した。
一瞬、耳を疑った。
ルミちゃん? うちの次女のルミのこと……!?
「コラ、指をさしちゃダメでしょう」
お母さんの方が慌ててお子さんを嗜め、それから申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、この子とルミちゃん、同じ塾に通っていて。ルミちゃんからお伺いしていた通り、本当にとっても素敵なお店ですね。娘がどうしても行ってみたいと言うので、連れてきてしまったんです」
「あ、いえ……ありがとうございます。どうぞ、こちらのテラス席へ……」
接客の言葉を返しつつも、ちはるの頭の中はパニック状態だった。
(し、知らない子に、こんな見られ方をするなんて……! ルミ、学校や塾でいったい何を話してるの……!?)
かつて、この店でメイド服を着てアルバイトをしていることが娘たちにバレてしまったとき、ちはるは血の気が引くほどのショックを受けた。
ネオマクラザキの友達からからかわれたり、恥ずかしい思いをさせたりしていないだろうか。
その夜、自宅に帰って夕食の準備をしている間も、ちはるの「気にしい」なアンテナは空回りし続けていた。
もし、クラスで変な目で見られていたらどうしよう……
『不便な街で、三十路のお母さんがフリフリの服を着て働いてる』なんて、いじめられたりしていないかしら……
一度膨らんだ不安はどんどん先走り、胸の中でぐるぐると渦を巻く。
食卓にハンバーグを並べ、家族で手を合わせたあと、ちはるは意を決して切り出した。
「ねえ、ルミ……」
「ん? なに?」
「あのね……今日、塾のお友達がお店に来てくれたの。……その、ルミは学校とかで、お母さんのこと……何か話したりしてるの……?」
語尾が小さく消え入る。
見透かされたくないけれど、聞かずにはいられない。
ビクビクと反応を待つちはるに対し、ルミは箸を止めることもなく、あっけらかんと言い放った。
「言ってるよ? お母さん、ニューイブスキでメイドさんやってるんだーって」
「えっ……」
「わたしも!」
となりの席で、アミがハンバーグを口にほおばりながら控えめに挙手した。
「学校の友達に、アシュラの番組に出てくるみたいな本物のカフェで、お母さんがおいしいパン運んでるんだよって」
ちはるの予想していた「気を遣っている」「からかわれている」という悲壮感は、どこにもなかった。
二人とも、まるで新しいおもちゃを手に入れた子どものように、心底誇らしそうに笑っているのだ。
(隠したい話だと思っていたのは……恥ずかしいと思い込んでいたのは、私だけだったの……?)
呆然とするちはるをよそに、アミがすっと席を立ち、自分の部屋から小さな金属製の缶を持ってきた。
チャリン、と重みのある音が響く。
「これ、ずっとお小遣い貯めてたやつ」
アミは缶のフタを開け、テーブルの上にジャラジャラとコインを広げた。
「前に言ったでしょ? 今度は泥棒みたいにお忍びじゃなくて、ちゃんとお金払ってアップルパイ食べに行くって。ルミの分も入ってるから」
「わたしも出す! わたしの豚さんの貯金箱からも、ちゃんと出したもん!」
小さな手で大事そうに数えられる、ニューイブスキのコインたち。
スカイトロッコに乗って、ちはるに黙ってお店にやってきたあのお忍び訪問の日。
アミが去り際に残していった言葉は、決してその場の気休めなどではなかった。
二人はあの約束をずっと覚えていて、自分たちのポケットマネーをコツコツと貯めてくれていたのだ。
胸の奥が、じんわりと熱くなった。
「……ありがと。じゃあ、今週末……お客さんとして、待ってるね」
涙をこらえて笑うちはるに、娘たちは「うん!」と飛び切りの笑顔で頷いた。
◇
週末の昼下がり。
二人の「お客様」が、少し緊張した面持ちで『びみょる』のドアをくぐった。
「いらっしゃいませ。二名様ですね、こちらのテラス席へどうぞ」
ちはるはエプロンを整え、プロの給仕として二人を案内した。
家庭での「お母さん」の柔らかさと、店での「ちはるさん」としての凛とした立ち振る舞い。
そのどちらかを偽ることもなく、ちはるは自然体でいられた。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、はい! アップルパイふたつと、アイスティーふたつください!」
アミが背筋を伸ばし、貯金箱から移してきたコインを誇らしげに握りしめて注文する。
厨房の奥では、まことが優しく目を細めて焼き上がったパイを準備し、カウンターの端ではオーナーが胡散臭い笑みを浮かべている。
誰も野暮なちゃちゃは入れない。
ただ、ちはると娘たちの「特別な時間」をそっと見守ってくれていた。
「お待たせいたしました。焼き立てのアップルパイです。お熱いので気をつけて召し上がってくださいね」
お皿を置くと、二人は「わあ……!」と声を弾ませた。
サクサクのパイ生地に恐る恐るナイフを入れ、口へ運ぶ。
ルミが「あっつい」と言いながら、それでももう一口をせかすように頬張った。
「ちはるさん、すみませーん」
テラス席のお客さんに呼ばれて、ちはるはそちらへ向かった。
水を注ぎ、注文を受け、下げたお皿を厨房へ運ぶ。
いつも通りの、なんでもない仕事だ。
ふと振り返ると、娘たちはこちらを見ていなかった。
二人でパイを分け合いながら、何がおかしいのか、ずっと笑っている。
……ああ、そうか。
この子たちは今日、「お母さんに会いに」来たんじゃない。
このお店に、お客さんとして来たのだ。
だから、母親がそばにいなくても、平気な顔をしている。
「ごちそうさまでした!」
ルミが元気に手を合わせた。
おうちと同じ仕草だった。
食べ終えたアミが、コインを一枚ずつ、慎重に数えてカウンターに置いた。
指先が少しだけ強張っていて、ちはるは笑いそうになるのをこらえた。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
娘に、お客さんに使う言葉を使った。
アミは一瞬きょとんとして、それから、ぱっと顔を赤くして頷いた。
あの日「お母さん」以外の自分を探したくて、ちはるは大きな不安の中、この店の扉を叩いた。
でも、ここに来て見つかったのは、どこか遠くにある別の自分じゃなかった。
「お母さん」のままで、ちゃんと胸を張れる、もう一人の、新しい自分だった。




