第42話 まことの自信、爆発する試作
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
「……まことさん、火、強くないですか?」
石窯の前に立つまことの背中に向かって、ちはるは思わず声をかけていた。
閉店後の『びみょる』の厨房には、すでに香ばしい香りが満ちている。
香ばしい、というよりは、少し焦がしたような、強烈な茶の匂いだ。
「大丈夫ですよ、ちはるさん」
まことは振り返り、いつもの優しげな微笑みを浮かべた。
その手には、昨日ユラが買い出してきたばかりの茶葉の袋がある。
「今回の新作は、ユウトさんがサルベージデータの中から見つけてくれた『ほうじ茶のシフォンケーキ』です。でも、肝心の茶葉の焙じ方の部分が、データの欠損で読めなくなっていて……」
「だからってまこと先輩、その火力は攻めすぎです!」
横から口を挟んだのはユラだ。
腕を組み、真剣な眼差しで石窯の炎を見つめている。
「火は僕の領分ですから」
まことは、どこか誇らしげに胸を張った。
そこには、かつてAIの最適解に疲れて店に逃げ込んできた頃の弱々しさはない。
少しずつ、でも確実に育ってきた「作ること」への自信が、その瞳に宿っていた。
「欠けたレシピの空白は、僕が埋めてみます。香りを極限まで引き出すために、茶葉をしっかり深く焙煎して、量も少し多めに生地に混ぜ込んでみました」
「ほうじ茶のシフォン……」
ちはるはカウンターの端に置かれたユウトの手書きメモに目を落とした。
見出しとタグを整理するのが得意な彼が、サルベージデータの端っこに添えてくれた注釈だ。
『※シフォンは古い言葉で「絹」のことらしいです』
絹。
軽やかで、柔らかく、肌を滑るような繊細な布。
「さあ、焼き上がりましたよ!」
まことが石窯から取り出した型を逆さに立てて冷ます。
……たっぷり待ってから、手際よく型から外す。
現れたシフォンケーキはーー息をのむほど美しかった。
高く、均一に膨らみ、ナイフを入れるとすうっと刃が吸い込まれていく。
断面を見れば、まさにキメの整った「絹」そのものだ。
「見た目は……完璧ね。さすがまことさん」
いつの間にかテラス席から入ってきていたバイナリが、目を丸くして感心している。
「見た目『は』、とおっしゃいました?」
まことが首をかしげながら、四人分の試食用のお皿に切り分けた。
「さあ、ちはるさん、一番目の試食をお願いします」
「あ、はい……! 今回も光栄です……たぶん」
ちはるは小さく独白しながら、フォークを取った。
まことさんは断れないと分かっていて私に試食を頼む。
それはこの店のいつもの光景で、私も嫌いじゃない。
フォークを差し込むと、しゅわっと心地よい音がした。
生地の弾力は申し分ない。
ちはるは一口、口に運んだ。
ーー次の瞬間。
ちはるの脳内で、小さな爆発が起きた。
「……っ!?」
舌の上に広がるのは、強烈な苦味と、喉を刺すようなえぐみ。
香ばしさを通り越して、まるで黒焦げた炭をそのまま口に含んだかのような衝撃が、口内を支配する。
「何これ、信じらんない。舌の概念が更新されたんだけど」
隣で一口食べたバイナリが、一切オブラートに包まずに淡々と呟いた。
データ報告のような率直さだ。
「せ、先輩! これは……なんというか……すごく攻めてますね! 前衛的です!」
ユラは後輩としての敬語の限界に挑みながら、プルプルと震えている。
「ち、ちはるさん……? どうですか……?」
まことが、不安と期待の混ざった目で見つめてくる。
「お、美味しい……です……」
ちはるは引きつった笑顔で答えた。
味の記憶を今すぐ消し去りたいという本能を必死に抑え込みながら。
その時、ちはるの頭の中に、あの日の声が蘇った。
アルバイトの面接で即採用になったその日、オーナーが言ったひそひそ声だ。
『まことさんの自信をなくしてしまうような言動は、彼にはなるべくしないようにね』
あの日からずっと、ちはるはあのお願いを守ってきた。
まことが落ち込まないよう、言葉を選び、丸く包み込んで、励ましてきた。
だけど。
まことは、自分のお皿のシフォンケーキを一口食べると、がっくりと肩を落とした。
「……生地は完璧だ。膨らみも、口溶けも……僕が『埋めた』焙煎の部分だけが、全部を壊している……」
火の名手が、火で失敗している。
良かれと思って足した情熱が、完全に暴走してしまっていた。
「……やっぱり僕には、新しいものを生み出す才能なんて……」
消え入りそうな声でつぶやくまこと。
せっかく芽生えた自信が、目の前でしぼんでいく。
ちはるの胸が、ぎゅっと痛んだ。
まことが一番好きなのは「誰かが自分の作ったものを食べて、笑顔で喜んでくれる瞬間」だ。
苦い試作に嘘の笑顔を浮かべることは、まことのその大切な一番を守ることになっているんだろうか。
オーナーのお願いは、嘘をついて黙っていることじゃなかったはずだ。
壊さずに、伝える方法が、きっとある。
「……作戦会議を、しませんか」
ちはるは思わず、声を張り上げていた。
「欠けたところを、みんなで埋めるんです。閉店後のケーキ会議です!」
カウンターに試作用のお皿を並べ直し、みんなで腰を下ろした。
「火力を落とせばいいんじゃない? データの温度設定を再試算してみるわよ」とバイナリ。
「生地への混ぜ込み方を変えて、香りを閉じ込める手もあります!」とユラ。
みんなが意見を出し合っていく。
ちはるは、言葉を呑み込んだまま、じっとまことの手元を見ていた。
「ちはるさんは、どう思う?」
まことが、優しくちはるを促してくれた。
深呼吸をひとつ。
心の間欠泉からこみ上げてくる緊張を抑え込み、ちはるはまことの目をまっすぐに見つめた。
「……美味しいです。……ううん、違う。あの、美味しい、だけじゃなくて」
もう一度、息を吸う。
「ここを直したら、もっと素敵になると思うんです」
「直す……?」
「はい。さっきユウトさんのメモを見ました。『シフォンは絹という意味』だって。……もし、絹みたいに軽やかで柔らかいのがこのお菓子の本当の姿なら、足すより、引き算をしたほうがいいんじゃないでしょうか」
「引き算……」
「まことさんは、香りを立たせようとして、すごく良い茶葉を深煎りにして、量も増やしましたよね。でも、このお菓子が求めているのは、主張しすぎる強さじゃなくて、ふっと抜けるような優しい香りなんじゃないかって……」
ちはるはカウンターの脇に置いてあった、小さな茶葉の袋を指さした。
昨日、ユラが山あいのおばあちゃんから買い出してきた、あの手揉みの煎茶だ。
「このお茶を、浅く焙じるんです。強火で攻めるんじゃなくて、遠火で、お茶本来の素朴な香りを残すくらいに。そうすれば、生地の軽さと、お茶の優しさが、きっと綺麗に調和すると思うんです」
言い終えて、ちはるはぎゅっと目を瞑った。
言いすぎてしまっただろうか。
まことの自信を、削ぎ落としてしまっただろうか。
静寂が、厨房を包む。
やがてーー
「ーーそれだ」
ぽつりと、まことの声が響いた。
恐る恐る目を開けると、まことはパッと顔を輝かせていた。
瞳の中に、小さな炎のような情熱が再び灯っている。
「引き算……! 僕は香りを残そうとするあまり、足すことばかり考えていました。素材の良さを信じて、火を引く……。それなら、この手揉み茶の柔らかい味が、生地の中で一番引き立ちます!」
まことは勢いよく立ち上がり、ちはるに向かって深く頭を下げた。
「ありがとうございます、ちはるさん。やっぱり僕の試食係は、世界一です」
「えっ……あ、はい……!」
ちはるの胸の奥が、じんわりと温かくなった。
正直な意見が、壊すためのナイフではなく、形を作るための手になれた。
言った言葉が、初めて贈り物として届いた瞬間だった。
カウンターの奥で、いつの間にか戻ってきていたオーナーが、満足そうにニヤニヤと頷いているのが見えた。
◇
翌朝。
試作2号のほうじ茶シフォンケーキは、大成功だった。
深煎りをやめ、浅く焙じたおばあちゃんの手揉み茶の香りは、ふんわりと焼き上がった生地の中で、まさに絹のように軽やかに舞っていた。
再現はまこと、方向性はちはる、知識はバイナリ、技術はユラ。
誰か一人じゃ辿り着けなかった、『びみょる』みんなの答えだ。
「まこと先輩! この子に名前を付けましょう! うーん、そうですね、『シフォン・ド・びみょる』はどうですか?」
「いいですね、それでいきましょう!」
「やった! マカロンに続いて、二つ目です!」
そんな微笑ましいやり取りを横目に朝の立ち売りの準備をしていると、フードを深々とかぶったユウトが、スカイトロッコの駅の方から歩いてきた。
記念館での整理員仕事に向かう途中らしい。
「おはようございます……」
「ユウトさん、おはようございます!」
まことが小箱を持って、嬉しそうに駆け寄っていく。
「これ、食べてみてください。この前見つけてくれたレシピのシフォンケーキです」
「えっ……僕に……?」
「もちろんです。最初の一皿は、このレシピを見つけてくれた人に受け取ってほしかったんですから」
箱を受け取ったユウトは、フードの奥で顔を真っ赤にして、小さく「……ありがとうございます」と呟いた。
彼が持ってきてくれたレシピが書かれた小さな紙が、巡り巡って、こうしてひとつの温かいお菓子になって彼の手元に還っていく。
その光景を眺めながら、ちはるはメイド服の裾を少し整えた。
言わない優しさを三十年やってきたちはるが、今日、言う優しさをひとつ覚えた。
オーナーのお願いは、今も守れていると思う。
(ーーううん、今日、初めてちゃんと守れた気がする)




