第38話 学生三人組の文化祭
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
「……は?」
思わず、手にしていた伝票を落としそうになった。
夕暮れというには少し早い時間の『びみょる』
他にお客さんがいない店内に、突如として場違いな緊張感が漂う。
フロアのど真ん中で深々と頭を下げているのは、ニューイブスキの中学校に通う三人組ーー通称トン、チン、カンだった。
いつもはジュース一杯で数時間も粘り、オーナーの適当な地球知識に面白半分で乗っかるお調子者たちが、今日に限っては借りてきた猫のように神妙な顔をしている。
ちはるは警戒を隠さず一歩身を引いた。
「何ですか、藪から棒に。……まさか、また変な炭酸飲料の試作品を持ち込んだりしていませんよね?」
「違いますって、ちはるさん!」
リーダー格のトンが顔を上げる。
「俺ら、今度の文化祭で出し物をやることになったんすよ。それで……『びみょる風カフェ』をやりたいんです!」
「びみょる風、カフェ?」
「はい! つきましては、あの、その……」
大人しいカンが、もじもじしながらトンの背中に隠れた。
代わりに、普段から調子のいいチンが、これ以上ないほど真剣な目でちはるを見つめてくる。
「ちはる先生! つきましては、雰囲気作りのために、その素敵なメイド服を三着ほどお借りできないでしょうか!」
「断固拒否します」
ちはるは食い気味に、両手で大きなバツ印を作った。
(三十路の私がオーナーの趣味で着させられているこの服を、多感な男子中学生に貸せるわけがないでしょ!)
「ちはる先生が直接教えてくれるなら、コイツ、毎日でも居残り練習するっすよ!」
チンがニヤニヤとトンの背中を指さす。
トンの背中の陰から「し、しねぇよ!」と情けない声が上がった。
「君たちの動機が不純なのは一瞬でバレていますよ。あと『先生』はやめてください」
頭痛をこらえるように額を押さえる。
やれやれ、いつものコメディが始まった。
「とにかく、私なんかじゃなくて、まことさんかオーナーに頼んでください。私はただのアルバイトですし、人に教えるような大層な技術なんて……」
(私はただ、言われた通りに動いているだけの「気にしい」な主婦だから)
だが、三人組は冗談を言う時の顔ではなかった。
トンが真っ直ぐにちはるを見て、言い切ったのだ。
「ダメなんです。オーナーの接客はなんか次元が違うし、まことさんは厨房だし……俺らは、ちはるさんの接客がいいんです。あの、なんか、ほっとするやつ!」
「え……」
逃げ場を失った。
まさか、この子たちにそこまで見られているとは思わなかったのだ。
「教える側」へと無理やり押し出されるように、ちはるは小さく息を吐いた。
「……分かりました。メイド服は絶対に貸しませんけど、それでもいいなら」
「「「しゃおらぁ!」」」
三人が一斉にハイタッチを交わす。
こうして、閉店後の『びみょる』を使った秘密の特訓が始まった。
◇
「ーーはい、そこ動かない! お釣りを選ぶ時に手元ばっかり見ないの。硬貨の手触りで、五百か百かは分かるでしょう?」
「効率悪っ! ちはるさん、これ無理っすよ!」
開始わずか十分。
手書きの伝票に注文を書き込み、暗算でお釣りを渡す練習だけで、三人組は机に突っ伏した。
ニューイブスキの外から通ってくるこの子たちの街では、情報端末による決済や注文が当たり前だ。
若い世代にとって、ニューイブスキの「現金文化」や「アナログな接客」は、単なる古臭い不便でしかないのがリアルな本音なのだろう。
「端末で注文取れば一瞬じゃん!」
「自動釣銭機とか借りてくればよくないっすか?」
文句を言う三人を前にして、ちはるはハッと胸を突かれた。
(……あぁ、そうか)
教えようとして、初めて気づく。
アルバイトを始めたばかりの頃、ちはるは伝票一枚書くのにも手が震え、コインを落としては泣きそうになっていた。
それなのにーー。
「私はもう、見なくても常連さんの注文が言える。お釣りの計算だって、手が止まらない」
ぽつりと呟いた言葉に、三人が顔を上げる。
「お客さんが入ってきた時の、カウベルの音の響き。歩く速度。椅子の引き方。背中の丸まり方。……それを見ているとね、『今日は話しかけていい日か、そっとしておいてほしい日か』が、なんとなく分かるようになるの。全部、この不便なやり取りの中で覚えたことよ」
(できなかった頃の私が、今の私を支えている)
自分がいつの間にか身につけていたものを言語化していく過程は、そのまま自分の「棚卸し」になっていた。
そこへ、厨房から焼き型のプレートを持ったまことが顔を出した。
「皆さん、お疲れ様です。文化祭用の、失敗しにくい丸パンのレシピを持ってきました」
「まことさん!」
三人が救いを求めるようにすがりつく。
まことは優しく微笑み、パンの技術ではなく、ひとつの「姿勢」を彼らに手渡した。
「……もし、形が歪になって美味しくなさそうに見えたら、『ごめんなさい』って正直に言えば大丈夫ですよ。それよりも大切なのは、焼きたてをそのまま渡すことです。その熱さは、どんな高級な機械でも作り出せませんから」
まことの言葉が、ちはるの心にも心地よく響いた。
◇
「ねぇ、どうして『びみょる』風にしたいの?」
休憩中、冷たい麦茶を差し出しながら、ちはるは気になっていたことを尋ねた。
もっと若者受けする、派手で効率的な出し物なんていくらでもあるはずだ。
トンがグラスを転がしながら、拙い言葉を絞り出すように言った。
「……学校の奴ら、ほとんどこの店を知らないんすよ。何か、俺らだけの秘密の場所って感じで、ずりーなって思ってて」
「そうそう。ここ、なんでか知らないけど、時間経つの速いんだよな」
チンが同意し、最後にカンがいつになく真面目な顔で、小さな声で言った。
「……落ち着くんです、ここ」
大人びた名言ではない。
けれど、彼らの等身大の実感。
それを聞いて、ちはるは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……じゃあ、仕上げのコツを教えるね」
ちはるは三人の目を見て、かつて自分がまことからもらった大切な魔法の言葉を、彼らのために翻訳して手渡した。
「接客のコツはね、お客さんの『いつもの』を覚えること。……先回りって、自分の心配のために使うと空回りするけれど、お客さんのために使うと、素敵な魔法になるんだから」
◇
文化祭当日。
文化祭は街の人に開放されているらしく、ちはるは一人の客として、こっそり彼らの教室を覗いていた。
看板には手書きで『びみょる風カフェ』とある。
室内にはレトロな椅子が並び、手書きの伝票が飛び交っていた。
「は? 端末注文できないの? 効率悪っ」
入ってきた同級生たちが、口々に囃し立てる。
この街で端末が使えないことは、通っている全員が知っている。
それでもつい言いたくなるのは、自分たちの住む街では当たり前のことだからだ。
けれど、チンが丁寧に手書きで注文を取り、カンがぎこちなくもお客さんの様子を窺いながらお釣りを手渡し、トンがまこと直伝の、湯気の立つ丸パンを運んでいく。
「おい、これ端末決済ないの不便すぎだろ」
わざとらしく肩をすくめてみせる客に、トンが胸を張って言い返した。
「不便だけど、そのほうがなんか、うまいんだよ!」
廊下の陰から見ていたちはるは、思わず口元を片手で覆った。
大人の言葉じゃない。
けれど、彼らが自分の言葉で見つけた「不便の楽しさ」
その確かな芽吹きが、そこにはあった。
◇
後日。
放課後の『びみょる』に、勢いよくカウベルを鳴らして三人組が飛び込んできた。
「ちはるさん! パンもコーヒーも全部完売しました! みんな喜んでくれました!」
トンの報告に、ちはるは我がことのように歓声をあげる。
すると、三人はビシッと一列に並び、深く頭を下げた。
「「「ちはる先生、本当にありがとうございました!」」」
「せ、先生はやめてって言っているでしょう……!」
顔がカッと熱くなるのが分かる。
そんなちはるを見て、チンがまた調子に乗って一歩踏み出してきた。
「先生! コイツ、卒業したら先生と結婚するって言ってまーー」
「言ってねぇって!」
「お前は最後までそれかよ!」
真っ赤なカンとトンに両脇を抱えられ、チンがじたばたと引きずられていく。
店内には、いつもの呆れたような、けれど温かい笑い声が響いていた。
カウンターに手をつき、ちはるは去っていく彼らの背中を見送る。
教えることは、教わり直すことだった。
このアルバイトを始めた頃、伝票一枚で泣きそうだった。
情けないほどの遠回り。
けれどそれはいつの間にか、次の世代へ笑顔で手渡せる、大切な宝物になっていた。




