↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気にしいメイドと天然パティシエ ~辺境惑星のパンカフェ日誌~  作者: 餅酒むぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/60

第35話 トキワの古い写真

※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。

 朝から海霧の残る、小雨まじりの日だった。


 こんな日は、パンカフェ『びみょる』の空気もしっとりと落ち着いている。

 窓際の席には、久しぶりにトキワが座っていた。


 霧や雨の日にふらりと現れる、不思議な静けさを纏ったお年寄り。

 彼が静かに紅茶を啜る姿は、まるで店の一部のようだ。


「いやぁ、すっかり濡れてしまいました。雨宿り、させてもらってもいいですか?」


 少し遅れて入ってきたのは、サワムラだった。


 首からお気に入りの光学式カメラを下げ、鞄には現像が上がったばかりの写真の束を大事そうに抱えている。


 定年退職後の日課として、あちこちの街を撮り歩いているというサワムラは、嬉しそうにカウンター席に腰掛けた。


「ニューイブスキは、撮っても撮っても撮り足りないんですよ。私の拙い腕では、この街の美しさを捉えるのに一生かかりそうだ」


 彼がテーブルに広げた写真の束には、ピンボケのトロッコの連写や、自分の指が思いきり写り込んだ崖など、失敗作もたくさん混じっていた。


「あはは、サワムラさん、これもしかして指が入っちゃってます?」

「いや、お恥ずかしい。カメラというやつは、なかなか私の言うことを聞いてくれなくてね」


 無邪気に笑うサワムラ。

 けれど、その束の中に、数枚だけ思わず息を呑むような一枚が混じっていた。


 霧の切れ間を抜けて走るスカイトロッコの車体、朝日に照らされた鋭い崖、そしてーーその崖の上から細く立ちのぼる、びみょるの窯の煙。


 どこか幻想的で、けれど確かにそこで誰かが生きている温もりを感じさせる一枚だった。


「……素晴らしい光景ですな」


 不意に、窓際のトキワが静かに立ち上がり、テーブルの上の写真をじっと見下ろした。


「おや、お目に留まりましたか」


 とサワムラが微笑む。


「ええ。……実は、この場所の姿を、私も持っているのです」


 トキワは上着の内ポケットから、古びた革のケースを取り出した。

 中から慎重に差し出されたのは、セピア色に褪せ、端が少し欠けた古い一枚の写真だった。


「先祖が遺したものです。この街の始まりの頃の姿だそうで」


 サワムラの撮った『今』の写真と、トキワの『始まりの頃』の写真が、びみょるのテーブルの上に並べられた。


 ちはるは驚きのあまり、息をするのも忘れて二枚を見比べた。


 始まりの頃の写真には、組み上がったばかりの粗末な架線と、そこを走る無骨なトロッコ。


 そして、その傍らには少し錆びかけた『あの鐘』が写っていた。

 崖の形は、今と全く同じ。

 そして驚くべきことに、その崖の上には、今と同じように細く立ちのぼる、窯の煙が写り込んでいたのだ。


「この写真の時代は、鐘はただの合図ではなく、文字通りの命綱でした」


 雨霧に包まれた外を眺めながら、トキワがぽつりぽつりと語り出す。


「入植したばかりの先祖たちは、いつ遭難してもおかしくなかった。写真を撮ること自体が贅沢だった時代に、なぜこの場所をわざわざ写真に収めたのか。……たぶん、『私たちはここまで来られた、ここで生きている』という証が欲しかったのでしょうな」


「ーーおいおいおい! ちょっと見せてくれっす!」


 そこへ、午前の点検を終えたリンタが、賑やかに店に飛び込んできた。

 テーブルの上の古い写真を見るなり、リンタの目が皿のようになった。


「これ……うちの相棒(トロッコ)のご先祖じゃねぇっすか!!」


 びみょるの天井が震えるほどの大声に、サワムラがビクッと肩を揺らす。


「うわ、この鐘、こんな形だったんすか。錆びだらけじゃねぇか……。今じゃ俺たちが毎日ピカピカに磨いてるから、いつでもいい音で鳴るっすよ!」


 食い入るように写真を見つめるリンタを、トキワは優しく、穏やかな眼差しで見つめていた。


「あなたのような若い方が、今もあの鐘を磨き続けてくださっている。だからこそ、あの音は今も変わらず、この街の音であり続けているのですね」


 トキワの言葉に、リンタは少し照れくさそうに頭を掻いた。


 歴史を『語る人』と、それを『継ぐ人』。


 このびみょるのテーブルの上で、二人の時間が初めて交差した瞬間だった。


 そしてちはるの視線は、二枚の写真に共通して写っている、あの『窯の煙』に釘付けになっていた。

 この過酷な崖の上で、人々が生き延びるために懸命だった頃から。


 誰かが火を焚き、何かを焼き、あるいは温め、お腹を空かせた誰かを待っていた。


 その煙は、今朝まことが火を入れ、今も私たちの店の煙突から静かに上っている煙と、一本の細い糸のように繋がっているのだ。


(あぁ、そうだったんだ……)


 そして今日、私は分かってしまった。


 歴史は、入植記念館のガラスケースの中にだけあるんじゃない。

 今もすぐ隣で、この店の窯の残り火の匂いの中に、確かに息づいている。


 このびみょるという場所そのものが、長い歴史を受け継ぐ、一つの物語なのだ。


「この煙……私たちの、お店の煙ですよね」


 ちはるが小さく呟くと、トキワは深く深く頷いた。


「ええ。この頃から、ここはお腹を空かせた誰かのための温かい場所だったようですな」


「……よし! これら全てを、一枚に収めさせてください」


 サワムラが興奮した様子で、お気に入りのカメラを構えた。


 テーブルに並べられた、新旧二枚の写真。

 そしてその向こうの窓に広がる、少しずつ雨霧が晴れていく本物の崖とトロッコの線路。


 カシャリ、と静かなシャッター音が店内に響いた。


「現像には一週間ほどかかりますが……もし上手く撮れていたら、この店に飾ってもらえませんか?」


 サワムラの提案に、ちはるは胸を躍らせながら、即座に答えた。


「ぜひ! 一番目立つ場所に飾らせてください!」

「ありがたい。この街の『過去』と『今』が、この素晴らしい店で一つに繋がるわけだ」


 サワムラはとても満足そうに微笑み、写真を大事に鞄にしまった。


◇


 夕方。

 雨はすっかり上がり、また薄い夕霧が街を包み始めていた。


 遠くから、澄んだ、けれど力強い『カーーーーーン』という鐘の音が響いてきた。


 今日の夕方の当番は、きっとリンタだろう。

 窓際のトキワは、優しく目を閉じて、その音にじっと耳を澄ませていた。


 静かになった店内で、ちはるは窯の残り火が放つ、香ばしくて温かい匂いの中に立っていた。


 この街の始まりの頃から、いちばん新しいひと筋の煙を、びみょるは明日もまたこの場所から空へと送り出す。


 自分がその長い長い物語の地続きにいることが、なんだかとても誇らしくて、愛おしい石窯をそっと優しく撫でた。


「ーーこら。くすぐったいじゃろうが」


 窯の奥から、ぷくっと膨れたような小さな声。


 ちはるにしか聞こえないその抗議に、思わず吹き出してしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。