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気にしいメイドと天然パティシエ ~辺境惑星のパンカフェ日誌~  作者: 餅酒むぎ


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32/60

第32話 朝一番の常連さん、リンタ

※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。

「おはようございます! びみょる、開店です!」


 崖の上に佇むパンカフェ『びみょる』の店先で、ちはるは声を張り上げた。


 少しきつめのウエストを意識しながら、メイド服の裾を整える。

 相変わらず少しサイズの合わないメイド服だけど、今の私はもう動じない。


 手元には、焼き立ての惣菜パンと、保温ポットに入った濃いめのコーヒー。

 そしてお釣りの入った木箱。


 アルバイトを始めた頃なら、この時点で緊張のあまり胃を痛めていただろう。


 最初の朝の立ち売りでの大失態ーー


 コインを受け損ねて石畳に転がし、焦って列を滞らせたあの日。


 けれど、今は違う。


「はい、メロンパンとコーヒーですね。お釣りはこちら。いってらっしゃいませ!」


 流れるような手さばきで袋を渡し、コインを収める。

 指先は軽やかで、並ぶお客様たちの動きを先読みしながら笑顔でさばいていく。

 我ながら、ずいぶんと鍛えられたものだ。


 そんな朝の立ち売りで、毎朝決まった時間にやってくるお客様がいた。


 がっしりとした体躯に、少し泥や油の染みた作業着の青年。

 彼は到着するなり、一切目を合わせることなくカウンターを指差す。


 注文はいつも同じ。

 ずっしり重い惣菜パン二つと、濃いめのブラックコーヒー。

 ぴったりのお金を無言で置き、袋を受け取ると、小さく一度だけ会釈をして足早に去っていく。


(……私、何か気に障るようなことしちゃったかな)


 ちはるの『気にしいアンテナ』がネガティブに回り出す。

 毎朝あんなに急いで、目も合わせないなんて。


 本当は来たくないのに、他に店がないから仕方なく来ているのだろうか。


 けれど、毎朝彼を観察するうちに、少しずつ違う景色が見えてきた。


 彼のゴツゴツとした大きな手。

 微かに香る機械油の匂い。

 そして何より、会計の数秒間、彼はいつも、すぐそこにあるスカイトロッコの駅や整備スペースの方向へ、じっと耳を澄ませているのだ。

 びみょるからそこまでは、歩いて一、二分の距離。


(あ……。怒っているんじゃない。この人は、一分一秒を惜しんでいるんだ)


 気づいた瞬間、ちはるの気にしいアンテナの角度が変わった。


 翌朝、駅の方から彼のシルエットが現れた瞬間、ちはるはパンを袋に入れ、淹れ立てのコーヒーを注いだ。

 彼が店先に着くと同時に、ちはるは準備万端の袋を差し出す。


「おはようございます! いつもの、ご用意できています!」


 青年は一瞬ピシリと固まり、丸く見開いた目で袋を見つめた。

 それから無言でコインを置き、いつもより深くペコリと頭を下げて去っていった。


 その翌日も翌々日も、彼の会釈は確実に深くなっていった。


「ちはるさんの先回り、自分の心配に使っているときは空回りしますけど、お客様のために使うと、まるで魔法のようですね」


 店頭に共に立っているまことが微笑んだ。


「えっ、私、また何かやっちゃいましたか!?」


 慌てるちはるに、まことは「いいえ、とっても素敵です」とパンを並べ直した。

 自覚のないちはるを、彼は温かく見守ってくれている。


◇


 そんなある日の朝、崖の上を渡るスカイトロッコの「ゴトゴト」という駆動音が聞こえなかった。


 「遅い、時々止まる」のいつもの不具合らしい。


 そして何より、開店時間が過ぎても、あの青年がやってこなかった。


 スカイトロッコが動き出したようだ。

 通勤客がまばらに去り、取り置いていた「いつもの」を見つめながら、寂しさを感じていた。

 太陽がすっかり昇った頃。


「はぁーっ、ちくしょう、手強いなぁ……!」


 大きな独り言と共に、あの青年がフラフラになりながら現れた。

 作業着は明け方からの緊急整備で油と朝露まみれ、顔にも煤がついている。


 ちはるは取り置いていたパンと淹れなおしたコーヒーを袋に詰めて差し出した。


「お疲れ様でした。……トロッコ、無事に動いて本当によかったですね」


 青年はピタッと動きを止め、驚いたように目を見開いた。


「……えっ!? 見ててくれたんすか!?」


 次の瞬間、彼はそれまでの無口さが嘘のような大声で捲し立てた。


「そうなんすよ! うちの相棒、朝に限ってご機嫌斜めで! でも、夜明け前から『頼むから動いてくれ』って声かけて、なだめすかして叩いてやったら、やっと動き出してくれたんすよ!」


 彼の正体は、スカイトロッコの若手整備士だった。

 朝食の時間すら惜しんで点検に向かうため、朝の彼には一秒の猶予もなかったのだ。


「じゃあ……」


 ちはるはふと思い当たり、去りかけた彼を呼び止めた。


「あの、大嵐でスカイトロッコが大停止してしまった日も……」


「ああ、あの嵐の大停止っすか!? あの時、一晩中架線にしがみついてたのは俺と親方っす! いやー、あん時は相棒が拗ねたなんてもんじゃなくて、本当に心臓が止まるかと思いました!」


 笑う彼を見て、胸がじんわり温かくなる。

 嵐の中、命がけでこの街の動脈を直そうと戦っていた人と繋がっていたのだ。


 すると、青年は急に声のトーンを落とし、深々と頭を下げた。


「……あの、実は。あの日のこと、ずっとこの店の人に詫びなきゃと思ってたんです。あの時、駅が避難用に入りきらなくて、嵐の中で途方に暮れる人たちに『駅を出てすぐのパンカフェやほかのお店に行ってみてくれ』って、勝手にここに誘導しちまったんす。勝手に押し付けて、本当にすみませんでした。ずっと、毎朝チキンになって言えなくて……」


 照れくさそうにする彼を見て、ちはるは思わず息を呑んだ。


 あの日、冷え切った大勢のお客様たち。


 一人で抱え込んで潰れそうになり、仲間を信頼することを教えてくれた、あの大切な一日。

 そのすべての引き金を引いたのは、目の前の整備士さんだった。


 ちはるは、胸いっぱいの愛おしさを込めて微笑んだ。


「謝らないでください。あの日は、私にとって本当に大切な一日になったんです。皆さんの温かさを知って、私がこの店で働く意味を見つけられた日。だから、案内してくださって、本当にありがとうございました」


 青年は驚いたように瞬きをし、それから本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「……そっすか。よかった。いや、本当に、よかったっす」


 肩の荷が下りたように息を吐き、彼はコーヒーを一口すする。


「あ、俺、リンタって言います! 朝イチの一本を動かすのが俺の仕事なんでーー。また明日から、いつもので頼みます!」


「はい! 私はちはるです。リンタさん、明日も『いつもの』をご用意してお待ちしていますね」


 リンタは、今度は元気に手を振って、駅の方向へ走っていった。



 翌朝。

 崖の上を、定刻通りにスカイトロッコが渡っていく。

 その音を聞きながら、ちはるは今日も、惣菜パンを丁寧に袋に詰め始めた。


(私の先読みは、悪いことを心配するためじゃなくて、誰かの朝をちょっとだけ温かくするために使えばいいんだ)


 「いつもの」のお客様が、また一人増えた。


 駅の方から、朝日に照らされたリンタが現れる。

 彼はまだ遠くにいるうちから大きく手を振ってきた。


 ちはるも、コインの入った木箱を片手に、それ以上の笑顔で、大きく手を振り返した。


 潮風が通り抜ける朝の『びみょる』に、いつもの挨拶が響き渡った。

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