第30話 子供たちのお忍び訪問
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
「行ってきますね! お父さんも今日は休日出勤だから、お昼は冷蔵庫のハンバーグをレンジで温めて食べてね。戸締まりしっかりね!」
休日の朝。
ちはるはいつものように、少しバタバタとした様子で玄関を飛び出していった。
家でのちはるは、いつだって「お母さん」だ。
髪を後ろで一つに結び、エプロン姿で忙しなく動き回り、家族のために小言を言いながらも世話を焼く。
娘たちにとって、それが当たり前の母親の姿だった。
ちはるが出かけてから一時間後。
リビングのソファで、中学一年生の長女・アミが、情報デバイスの画面を凝視したまま固まっていた。
「ねえ、ルミ……この前の学校の休み時間にさ、友達が『このデジタル雑誌の特集に出てくる服、すっごいフリフリでかわいいんだよ!』って見せてくれたんだけど……」
「……うん」
「よく見たらさ。この、緊張で顔を限界まで引きつらせて、ドアップで映ってるメイドさん……」
「……うん。どう見ても、うちのお母さんだよね……」
その隣からのぞき込んでいた小学四年生の次女・ルミも少し驚いている。
画面に表示されていたのは『週刊サルベージ』の電子版の記事。
テレビ番組は惑星全域で放送されているものの、ネオマクラザキをはじめ視聴者は少なく、関心は薄い。
オーナーのような一部のマニア向けのコンテンツと化していた。
特集タイトルは『アシュラから紐解く21世紀初頭の地球喫茶店文化』。
そこには、木漏れ日の差し込む美しい窓辺と、慣れないフリル付きのメイド服を着た、自分たちの母親の姿がご丁寧に高解像度で掲載されていた。
友達から見せられた瞬間、アミは心臓が飛び出るかと思うほど驚いたが、「あ、本当だ、かわいい服〜!」と話を合わせ、お母さんだということは秘密にした。
お母さんがこんなフリフリの服を着て働いているなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えない。
「お母さん、ただのパン屋さんのアルバイトって言ってたのに……」
「ねえ、お姉ちゃん。見に行ってみない?」
「ええっ? だって来ちゃダメって言われてるし……」
「でも……この服着て動いてるお母さん、見てみたくない?」
妹の無邪気な一言に、アミの胸の中にも好奇心がむくむくと湧き上がってきた。
ちょっと冷やかし半分、お母さんの恥ずかしい姿を覗き見してやろう。
姉は早速、目的地までに必要なものを頭の中で揃えていた。
「場所はニューイブスキだよね、となると、この情報デバイスや自動温度調整ウェアは持ち込めないよね」
「そうなんだ! 寒くない?」
「多分寒いかもしれないから一枚多めに着ていこう、あと、お金を持っていかないとね」
「お姉ちゃん、お金って何?」
「私も最近授業で習ったばかりなんだけど、ニューイブスキでは丸いコインと四角い紙のお札ってものを使って、物を買ったり、スカイトロッコに乗ったりするらしいの。ほらちょっと前にお母さんが珍しいでしょって持ってきてたでしょ?」
「あー、あれね!」
「たしかリビングにしまってあったよね、それをこそっと持っていこう」
悪だくみには、どんどん拍車がかかった。
「では出発!」
◇
ガタゴトと頼りない音を立てて走る、スカイトロッコ。
窓の外には、きらきらと輝く青い海と、ニューイブスキのどこか懐かしく、少し寂れた古い断崖の街並みが広がっていく。
いつもお母さんが通勤しているルートを、子供たちだけの足で辿る小旅行。
それだけで、二人の胸は冒険に出かけるようにドキドキしていた。
いくつかの駅を乗り継ぎ、崖の上にある終着駅に降り立った。
駅から出て、潮風の寒さを感じるとすぐに、木造の温かみのある建物が見えてきた。
看板には『びみょる』とある。
「あそこだ……」
アミとルミは足音を忍ばせ、テラス席近くの物陰に身を隠した。
そして、店内を窺うようにガラス窓の向こうをこっそりと覗き込む。
いた。
本当に、画面で見た通りの白いフリフリの付いたメイド服を着て、銀色のトレーを両手で持った母親が店内に立っていた。
ルミが「うわ、本当に着てる!」と声をあげそうになり、アミが慌ててその口を手で塞ぐ。
二人は顔を見合わせて、クスクスと肩を揺らして笑った。
けれど。
じっとその姿を見つめているうちに、二人の笑い声は自然と消えていった。
窓の向こうの母親は、家で見る姿とは全く違っていた。
常連らしきお客さんとニコニコと楽しそうにお喋りをしている。
注文を間違えたのか「あちゃー!」と自分の頭を軽く叩いて謝りながらも、眩しいほどの笑顔で店内を忙しなく、生き生きと動き回っている。
「……お母さん」
アミは胸の奥がキュッとなるのを感じた。
家ではいつも忙しそうで、疲れたため息をついたり、小言を言ったりするお母さん。
ここでは一人の女性として、あんなに楽しそうに輝いている。
二人の知らないお母さんの姿が、そこにはあった。
その時、もっとよく見ようと身を乗り出しすぎたルミの足が、テラス席の入り口に飾られていた小さな立て看板を倒してしまった。
ーーガランガラン。
「やばっ!」
アミがルミの手を引いて逃げようとした瞬間、振り返ったちはると、窓越しに完全に目が合ってしまった。
一瞬、世界の時間が止まったかのように、店内の空気が凍りつく。
ちはるは目を大きく見開き、幽霊でも見たかのように硬直していた。
脳内は未曾有の大パニックに陥っていた。
顔がみるみるうちにトマトのように真っ赤になっていく。
アミとルミは観念して、気まずそうにトボトボと店内へ入り、空いているテーブル席へと腰掛けた。
ちはるはトレーを胸に抱えたまま、見たことがないほどガタガタと震え、おかしなポーズのまま完全にフリーズしてしまっている。
口をパクパクさせるだけで、言葉すら出てこない。
その、明らかに「怪しい動き」を、厨房の小窓から察知した人物がいた。
「……ちはるさん? また何かやらかしーー」
心配そうに厨房から出てきたのは、パティシエのまことだった。
まことは、ロボットのように固まっているちはると、テーブル席で身を縮めている二人の少女を交互に見つめた。
そして、少女たちの顔立ちがちはるによく似ていることに気づくと、すべてを察したように優しい目元を緩めた。
「なるほど」
まことはちはるの肩を優しくポンと叩き、「僕が代わるから」と声をかけると、パニック状態の彼女をそっと後ろへ下げた。
そして、アミとルミの前へと進み、穏やかな笑みを浮かべて丁寧に頭を下げた。
「……ええと。いらっしゃいませ、お嬢様方。びみょるへようこそ」
「あ、こんにちは……」
アミが恐る恐る挨拶を返す。
まことは二人の目線に合わせて少し腰を落とすと、トーンの低い、けれどとても聞き心地のよい優しい声で語りかけた。
「アミさんと、ルミさんだね。ちはるさんから、いつも二人の話をたくさん聞いているよ。本当によく似ている、素敵なお嬢さんたちだ」
「え……お母さん、私たちの話をしてるんですか?」
ルミが驚いて目を丸くする。
まことは「ああ、毎日ね」と嬉しそうに頷いた。
「ちはるさんはね、二人のことが大好きで、いつも自慢ばかりしているんだ。……さて、せっかく来てくれたんだ。今日はアップルパイがすごく美味しく焼けたんだけど、よければ二人で食べていかないかい? お飲み物はジュースとアイスティー、どちらがいい?」
「じゃあ……アップルパイと、アイスティーを二つ、お願いします」
アミが緊張をほぐして注文すると、まことは「かしこまりました。少々お待ちくださいね」と優しく微笑み、厨房へと戻っていった。
その去り際、まだ真っ赤になって縮こまっているちはるに、そっと耳打ちする。
「ちはるさん、今日はご家族に、あなたの頑張っている姿を見てもらえる良い日だね。ゆっくりお話しして、おもてなししてあげてください」
その温かい言葉に、ちはるの胸の奥の「メイド服を見られて恥ずかしい」という頑なな緊張が、少し解けていった。
ちはるは深呼吸をし、胸を張って、いつもの笑顔で娘たちのテーブルへと歩み寄った。
「もう……内緒で来るなんて、びっくりするじゃない」
「だってお母さん、こんなかわいい格好してるなんて教えてくれないんだもん!」
ルミの屈託のない言葉に、ちはるは「もう、照れくさいでしょう?」と笑った。
運ばれてきたアップルパイを囲みながら、ちはるは「お味はどうですか、お嬢様?」なんて冗談を言って二人を笑わせ、お店での生き生きとした調子をすっかり取り戻していた。
夕方。
帰り道のスカイトロッコの中。
オレンジ色の夕日に染まる海を窓から見つめながら、ルミがぽつりと言った。
「お母さん、なんか……いっぱいはしゃいで、楽しそうだったね」
「……うん。家だといつも忙しそうだからさ。あんなに笑うんだね、お母さん」
アミは、車内の窓に映る自分の顔を見つめる。
お母さんは家ではいつも、「あー疲れた、今日も空回りだったー」とぼやいていた。
でも、自分たちの目には、彼女は『びみょる』という場所で、誰よりも生き生きと輝く、一人の魅力的な女性として映っていた。
◇
夜、自宅の洗面所。
ちはるは鏡の前で、いつもより少し丁寧に、どこか名残惜しそうにメイクを落としていた。
今日一日のパニックと、それを上回る愛おしさを思い出しながら、ふう、と小さく息をつく。
そこへ、パジャマ姿のアミがふらりとやってきた。
アミは鏡越しにちはるの目を見つめ、ちょっと照れくさそうに、ぽつりと言った。
「……あのさ。お母さん」
「ん? なに、アミ」
「また今度、あのお店のアップルパイ、食べに行っていい? 今度はちゃんとお小遣いためて、お金払うからさ」
ちはるは動きを止め、鏡の中の娘の顔を見た。
アミの目は、母親をからかうような目ではなかった。
一人の働く人間として、母親の場所を認め、応援しようとする、少し大人びた優しい目をしていた。
「……お母さん、メイド服着て、変じゃなかった?」
「うーん、ちょっと笑っちゃったけど。でも、すっごく似合ってたよ」
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
「母親としてちゃんとしなきゃ」という呪縛から、少しだけ救われたような、そんな心地よさだった。
そして、娘たちに自分の仕事を認められたという、小さな、でも確かな誇らしさ。
ちはるは鏡越しに、今日一番の、とびきり眩しい笑顔を浮かべた。
「うん。いつでもおいで。お母さん、世界で一番美味しいアップルパイを用意して、待ってるからね」




