第28話 秘密の共有
※このお話は前後編の【後編】です。前の話からお読みいただくのがおすすめです。
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
イゾウが静かに語った真実は、キリシマの根幹に関わるものだった。
彼は耐用年数を過ぎ、本来ならスクラップにされるはずのアンドロイドだった。
そのように法律で決まっている。
本来なら機能停止するまでの短い猶予ーー『黄昏の時間』が与えられ、その間、自由行動が許されるのだ。
しかし、イゾウの前の主人であり故人であるモリインダストリーの会長が、イゾウに感情が芽生えるようにOSを改変したとみられている。
その調査目的のため、イゾウは同社のラボに引き取られ、本来より長い黄昏の時間を過ごせるように『調整』されていた。
「このニューイブスキは、不便さと古き良き歴史を守る遺構都市。ネオマクラザキをはじめ他の地域の高度で過剰な管理ネットワークを持ち込まないのが鉄のルールです。ですから、私がこの街に出入りし、自由を享受するための絶対条件が、衛星の同期シグナルをすべて遮断すること。つまり、当局の目から『存在しない透明な存在』になることだったのです」
「へえ……!」
バイナリは感心したように目を丸くし、ようやく『ガトー・クラシック』を小さく口に運んだ。
「なるほどね。繋がることが義務づけられたこの星で、繋がらない自由を守るための脱獄か。エンジニアとして、ちょっと嫉妬するくらい綺麗で、優しいコードだよ。そのプログラマー、いい腕してる」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、私のシステムも誇らしいです」
「ただ……一つだけ、分かんないことがあるんだよね」
バイナリはもう一度目を細め、イゾウの瞳の奥を覗き込んだ。
「あんたのコア領域、通常の脱獄OSとは全然別の、もっと深いところが書き換わってる。どこの誰の署名もない、見たこともない書き方で。……ねえ、これ、誰がやったの?」
「……はて。私自身にも、心当たりがございません」
イゾウは静かに首を振った。その答えに、嘘の気配はなかった。
「ふーん……。ま、いっか。骨董品は、謎が残ってるほうがロマンだしね」
二人の間に、どこか奇妙で、しかし温かい技術者同士のシンパシーが流れ始める。
だが、その会話をすぐ横で一言一句漏らさずに聞いていたちはるの脳内は、すでに100億ギガバイト級の大爆発を起こしていた。
(じ、ジェイルブレイク!? 脱獄!? つまりイゾウさんは、国家の管理網を完全にすり抜けて動いている、実質『透明な超重要違法機密メカ』ってこと!? そんな凄い存在が、毎日びみょるのテラス席で普通にコーヒー飲んで夕日眺めてたの!? も、もし当局の捜査官とかがここに踏み込んできたらどうなるの!? びみょるは一発で営業停止、オーナーは胡散臭いから真っ先に逮捕、まことさんは厨房で泣き崩れ、私は国家犯罪を隠匿したメイドとしてニュースに顔が乗っちゃうーーー! 家族に、娘たちに、お母さんがお縄になったなんて絶対に言えないよーーーっ!!)
顔を真っ青にし、涙目でガタガタと震えながら「あの、あの、通報……通報だけは私の目の届かないところで……!」と蚊の鳴くような声で言いかけたちはるだったが、バイナリはそんな彼女のパニックを置き去りにして、さらにとんでもない爆弾をあっけらかんと言い放った。
「ま、安心しなよおじさん。私が当局に通報するわけないじゃん。だって、私もまことさんを『不正に研究員登録』して、アシュラの一般アクセス権を偽装してる犯罪仲間だしね♪」
ガタタッ!!!
さしものイゾウが、今日一番の大きな音を立てて椅子を鳴らし、その場で完全にフリーズした。
瞳のフォーカスが完全に迷子になり、回路の処理が追いついていないのが見て取れる。
そして、ちはるの脳内パニックは、ついに限界(臨界点)を突破して宇宙へと飛び立った。
(ま、まことさんまで国家規模の犯罪に加担してたのーーーーー!?!? 嘘でしょ!? あの優しくて真面目で、新作スイーツの味だけが壊滅的なまことさんが、裏では世界を揺るがす天才ハッカーの共犯者だったなんて!! びみょるって、パンカフェの皮を被った国際テロ組織の潜伏先だったのーーー!?)
「おや……おやおやおや……」
イゾウのシステムが数秒のフリーズからようやく復帰し、珍しく困ったように眉を八の字に下げた。
「それは……また随分と豪快な規約違反ですね、バイナリさん。パティシエさんを研究員に?」
「だって、まことさんに古代のレシピを再現してもらうには、アシュラのディープセクタにある暗号化されたデータを読ませる必要があったんだもん。あの人の腕は本物だし、私はただ、美味しいケーキが食べたいだけ。おじさんのラボが『思い出』を守りたかったように、私は『まことさんの才能』を守るためにちょっとコードを書き換えただけ。似たようなもんでしょ?」
バイナリはフォークでガトー・クラシックの最後の一片を口に放り込み、悪びれもせずにウィンクしてみせた。
イゾウはしばらくバイナリの顔を見つめていたが、やがて、その口元に薄く笑みを浮かべた。
「ふふ……。なるほど、確かに似たようなものです。高度に発達したネオマクラザキの便利社会から見れば、私たちは等しく『不具合』というわけですね」
「そうそう。効率ばっかり求めるあっちの連中には、この不便な街の良さも、まことさんのケーキの美味さも分かんないのさ」
「お互い、この店とこの街を愛するがゆえの不具合。ならば、ここは一つ、大人としての『秘密の共有』といたしましょう。ねえ、バイナリさん」
イゾウはそっと手を自分の胸に置き、アンドロイドとは思えないほど粋で、茶目っ気たっぷりの微笑みをバイナリに向けた。
「いいね。おじさんがもし当局に追われてスクラップにされそうになったらさ、私がネットワークごとネオマクラザキの防衛システムをハッキングして逃がしてあげるよ。犯罪仲間のよしみでね」
「それは頼もしい。その際は、私のメインフレームを喜んでお預けしましょう」
バイナリが手を差し伸べ、イゾウもそれに応え、軽い握手が交わされた。
テラス席に広がるのは、不便な遺構都市の美しい夕暮れと、ルールをちょっとだけ破った者同士の、不思議に温かい絆の空気だった。
……ただ一人、その温かい空気に完全に置いていかれたちはるを除いて。
(お、お互いの秘密を守るために手を組んだ……! びみょるのテラス席で、悪の秘密結社『びみょる同盟』が結成されてしまったわ……! 恐ろしすぎる……。今日からまことさんには、どんな爆発的な味の試作スイーツを出されても、絶対に笑顔で『美味しいです』って言わなきゃ。命がかかってるもの……!)
ガタガタと膝を震わせながら、青白い顔で空になったバイナリのコーヒーカップを回収するちはる。
その時、厨房の奥から、トントンと小気味よいまな板の音と共に、拍子抜けするほど呑気で優しい声が響いてきた。
「あ、ちはるさーん! バイナリさん来てます? ガトー・クラシックの『チョコの濃度を2倍にして隠し味にトウガラシを入れた別バージョン』が今焼き上がったんですけど、試食お願いできますかー!?」
ちはるは一瞬で背筋を直立不動に伸ばし、裏返った声を張り上げた。
「は、はいぃぃっっ!! 喜んで喜んで、喜んでいただきまーーすっ!!!」
完全服従だった。
その必死すぎる返答に、テラス席の天才ハッカーと違法(?)アンドロイドは、顔を見合わせておかしそうに声を上げて笑うのだった。




