第27話 イゾウ・ミーツ・バイナリ
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
辺境惑星キリシマの最南端、断崖絶壁に佇むパンカフェ『びみょる』のテラス席には、最近よく見かける穏やかな光景があった。
初老の紳士の姿をした執事型アンドロイド、イゾウである。
彼は今日もピンと背筋を伸ばし、アンティークな椅子に腰掛けながら、微動だにせず水平線の向こうにある入植記念館を眺めていた。
その佇まいはまるで一幅の絵画のようで、お世辞にも繁盛しているとは言えないこの店の、ひとつの看板風景になりつつあった。
カウンターの中からその姿を盗み見て、メイド服姿のちはるは小さく息を吐く。
(はぁ、いつ見ても絵になるなぁ、イゾウさん……。お上品で、静かで、まさに大人の贅沢な時間の過ごし方って感じ……)
家庭では二人の娘の母親であり、三十路を過ぎてから自分を変えたくて接客未経験のままこの店でアルバイトを始めたちはるにとって、イゾウの持つ独特の「穏やかな時間の流れ」は、密かな癒やしでもあった。
カランコロン、と入り口のアンティークなカウベルが小気味よい音を立てたのは、その直後だった。
「おーっす、ちはるさん! 例のやつ、もう焼き上がってる!? 私の胃袋は準備万端なんだけど!」
元気な声と共に飛び込んできたのは、ベリーショートの髪にラフな上着を羽織った、サルベージエンジニアのバイナリだった。
彼女は人類の叡智データベース『アシュラ』から失われた過去のデータをサルベージする天才エンジニアであり、同時に無類の甘党でもある。
まこととはレシピの交換で3年来の付き合いがあり、最近はまことのケーキを目当てに、時々こうして店にも顔を出すようになっていた。
今日の来店目的も明確だった。
「あ、バイナリさん! はい、ばっちり焼き上がってますよ。まことさんが、バイナリさんにいただいた古代地球のレシピをもとに、昨日から試行錯誤して作った『ガトー・クラシック』です!」
「よっしゃあ! さすがまことさん、話がわかるじゃん!」
バイナリは嬉しそうに拳を突き上げる。
ちはるは手際よく、濃厚なチョコレートの香りを漂わせる特製のケーキと、淹れたてのコーヒーをトレーに乗せ、バイナリをテラス席へと案内した。
「お待たせしました、こちらにどうぞーー」
ちはるがトレーをテーブルに置こうとした、その瞬間。
バイナリの足がピタリと止まった。
彼女の視線は、皿の上の美しいケーキではなく、その一つ隣のテーブルで静かに佇んでいたイゾウの姿へと向けられていた。
正確には、イゾウの頭部についている「人間と区別するための機械(識別モジュール)」を、獲物を見つけた猛獣のような目で見つめている。
「……ちょっと待って。嘘、でしょ……?」
「バイナリさん……?」
ちはるが首を傾げた時には、すでに手遅れだった。
バイナリの目が、キラキラというよりはギラギラと、オタク特有の危ない輝きを放ち始める。
彼女は自分が注文したはずの極上スイーツに目もくれず、イゾウのテラス席へと文字通り突撃した。
「ちょっとおじさん! モリインダストリー社製のハイエンド執事型じゃん! しかもこれ、初期ロットの超希少種……! なんでこんな辺境のパン屋のテラス席に野生のアンドロイドが転がってるわけ!?」
ドカッ!と大きな音を立てて、バイナリは許可を得るよりも早くイゾウの対面の席へとスライディング気味に腰を下ろした。
そのままテーブルに身を乗り出し、ゼロ距離まで顔を近づけてイゾウの顔面を凝視し始める。
「ねえ、メインフレーム見せて! ログのサルベージさせて! 駆動音からして、アクチュエーターも当時の純正のまま? 信じらんなーい、国宝級の骨董品じゃん!」
突然の野生のエンジニアの襲来。
しかし、さしものイゾウも一瞬だけ瞳のフォーカスをパチパチと明滅させただけで、すぐにいつも通りの穏やかな微笑みを浮かべた。
「おや……。これは随分と、元気なお嬢さんですね」
「お嬢さんじゃなくてバイナリ! ね、ちょっとシステムトレイ開けていい? 指先一本触れるだけでいいから!」
手すりから落ちんばかりに興奮して迫るバイナリと、それを「やれやれ」と言いたげに、しかし完璧な紳士の作法で受け流すイゾウ。
「おじさんはここで何してるの?」
「前のご主人がよくおっしゃっていたのです。びみょるのパンを食べると『景色が見える』と。その景色を探しております」
「ふーん……」
遠巻きにその様子を見ていたちはるは、トレーを胸に抱きしめたまま、すでに顔を引きつらせていた。
(ひ、ひとりの世界を楽しんでいたイゾウさんに、野生のエンジニアが直撃したーーー!? バイナリさん、興味津々なのは分かるけど距離が近い! ケーキが! ケーキが完全に視界からフェードアウトしてるよ! イゾウさんが紳士だからいいものの、普通なら警察に通報されてもおかしくないレベルだよーっ!)
ちはるの脳内パニックのメーターが、早くもギュンギュンと上昇を始める。
しかし、ちはるが冷や汗を流しながら二人のテーブルにケーキを移動させた頃、バイナリの表情から「はしゃぎっぷり」が急に消え失せた。
バイナリはフォークを一応右手に持ちつつも、その鋭い視線はイゾウの耳の後ろ、細かく点滅するインジケーターの光に固定されていた。
そして、フォークの先をピッとイゾウに向けて、低く呟いた。
「……ねえ、おじさん。あんた今、検閲衛星からの定期同期シグナル、全部サイレントで弾いたでしょ」
ピキィッ、とテラス席の空気が凍りついた。
ビクゥッ!と過剰に硬直したのはちはるだ。
トレーを持つ手がガタガタと震え出す。
イゾウは微笑みを崩さないまま、小首を傾げた。
「おや、何のことでしょうか。私のような旧式、最新の衛星と同期するような高度なプロトコルは持ち合わせておりませんよ」
「誤魔化しても無駄無駄」
バイナリは不敵にニヤリと笑い、椅子の背もたれに体重を預けた。
「私はアシュラの底まで潜るエンジニアだよ。パッと見のログ偽装なんて通用しない。あんたのメインOS、公式にガチガチの『ジェイルブレイク(脱獄)』が施されてる。それも、裏路地のジャンク屋がやるようなお粗末な違法改造じゃない。モリインダストリーのラボが、国家検閲の目を完全に欺くために、最上級の技術で組み上げた『超高級な脱獄OS』だ」
ジェイルブレイク。
その単語が響いた瞬間、イゾウの内部で「スン……」と小さな排熱ファンが回る音がした。
イゾウは静かに目を閉じ、それから深く、まるで人間が諦念を抱いたときのような美しい所作で息を吐いた。
「……お見事です。まさか初対面の、それもこのような若いお嬢さんに、私の『黄昏の時間』の秘密を見破られるとは」
※このお話は前後編の【前編】です。続きは次回更新でお届けします。 ブックマークしておくと、更新時にすぐ続きが読めます。




