第24話 ユッキと夏祭り
【夏祭り編 その1】
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
「連れてって! ユッキも、ユッキもお祭り連れてって!」
朝の『びみょる』の厨房に、お転婆な少女の叫び声が響き渡っていた。
声を張り上げているのはユッキ。
普段はちはるにしか姿が見えない「窯の妖精」なのだが、今日ばかりは我慢がならなかったらしい。
いつもならちはると二人きりのときは「わしも連れてけぇ!」と叫ぶところだが、厨房にはまことやユラもいるため、必死に「10歳の女の子」を演じている。
「夏祭りでしょう!? 屋台が出るんでしょう!? お留守番なんて絶対に嫌! 焼きとうもろこし! わたあめ! ユッキも行くの!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてユッキちゃん! 暴れると粉が舞うから!」
ちはるは両手をパタパタと振って宥めた。
今日、パンカフェ『びみょる』は、地域の一員として『ニューイブスキ最南端町内会』が主催する神社の夏祭りに出店することになっていた。
周囲には、ユッキはちはるの「姪っこ」で、今は一時的に店に預けられているというテイで説明してある。
「おやおや、賑やかですねぇ」
厨房の奥から、まことがお盆に乗せて運んできたのは、目が覚めるほど鮮やかな、藍色のレトロな浴衣だった。
「ユッキちゃん、これ。僕の実家にあったやつなんだけど、サイズが合うかと思って持ってきてみたんだ」
「ま、まことさん……っ」
それまで地団駄を踏んでいたユッキが、一瞬にして借りてきた猫のように大人しくなった。
顔を真っ赤に染め上げ、ちはるの背中にずるずると隠れる。
まことのことが大好きな彼女は、彼を前にすると急に喋れなくなってしまうのだ。
「まぁ、可愛い! 素晴らしいわ、まことさん。よし、ユッキちゃん、おばちゃんが最高に可愛く着付けてあげるからね!」
本音は「お姉さん」と言いたかったけど、設定を遵守してあげたわ!
そしてちはるの「お母さんスイッチ」がカチリと入った。
実体化したユッキの身体は、驚くほど軽くて少しひんやりとしていた。
けれど、お祭りを楽しむために役に徹しようとするその健気さに、ちはるの胸は温かくなる。
「あ、そうだ。これ、オーナーからユッキちゃんにって、預かってたんです」
まことが思い出したように、小さな木箱を差し出した。
蓋を開けると、そこにあったのは小さなクロワッサンを模した、驚くほど精巧で可愛い木彫りの髪飾りだった。
「うわぁ……! これ、オーナーが作ったんですか?」
「ええ。僕たちの制服も全部オーナーの仕立てですし、本当に手先が器用な人なんですよね」
ちはるは改めてオーナーの底知れない職人技に感嘆しながら、その美しい髪飾りをユッキのストレートの黒髪に挿してあげた。
ユッキは鏡を見て、嬉しそうに何度も首を傾げている。
「ふふ、とっても可愛いお嬢さんですね!」
そこへ、新入りのパティシエールであるユラが無邪気に笑顔を向けてきた。
途端、ユッキの目がキッと釣り上がる。
まことの隣にいる優秀なユラを、ユッキは一方的に敵対視しているのだ。
「ふんっ! お姉さんに褒めてもらわなくても、ユッキは可愛いもん!」
ツンとそっぽを向いて、ちはるの手をぎゅっと握る。
ちはるの脳内では「妖精・ユッキ」が不満げに腕を組んでいた。
「よし、それじゃあ出発しようか。オーナーは……ええと、例のごとく『あとはよろしく』とのことです」
まことが苦笑しながら、お祭り限定の『特製あんコッペ』や『お祭り特製サンドイッチ』が詰まったコンテナを持ち上げる。
こうして『びみょる』の、少し奇妙で賑やかなお祭り出張が始まった。
◇
びみょるのある場所から数分ほど下ると、比較的広い平地が広がっていた。
ニューイブスキ最南端町内会が誇る『平地神社』だ。
普段は波の音しか聞こえない静かな境内が、今夜ばかりは数百の提灯で赤々と照らされ、お囃子の太鼓の音が響き渡っている。
「すごーい! 人がいっぱいです!」
ユラが目を輝かせ、まことと共に『びみょる』の屋台テントの準備を始める。
限定のパンをお目当てに、開店直後から町の人々が列を作り始めた。
「ちはるおばちゃん、みんな大忙しだね」
屋台の横で、ユッキがソワソワと足を踏み鳴らしている。
「ユッキちゃん、売り子は私たちがやるから大丈夫。ほら、これでお祭りを楽しんでおいで」
ちはるは自分の財布から数枚の硬貨を取り出し、ユッキの小さな手のひらに握らせた。
「えっ、いいの!? ありがとう!」
嬉しそうに顔を輝かせたユッキは、人混みの中へと走っていった。
一人になってようやく、ユッキは「ふぅ」と大きく息を吐いた。
(ふぃ〜、人間の子供のフリをするのも楽ではないわい。しかし、夏祭りは最高じゃな!)
一人で露店を回るユッキにとって、見るものすべてが新鮮だった。
普段は薄暗い石窯の前にいる彼女にとって、人間の作り出すお祭りの熱気は、少し眩しくて、だけどたまらなく魅力的だった。
ラムネの瓶を買い、シュワシュワとはじける炭酸に目を丸くする。
しかし。
楽しさも束の間、ユッキの足元に異変が起きた。
「うぅ……痛い、ぞ……?」
実体化した人間の身体は、妖精の時とは違って実に不便だった。
履き慣れない下駄の鼻緒が、右足の親指と人差し指の間に容赦なく擦れ、ズキズキとした痛みを訴え始めている。
ついに歩くこともままならなくなり、ユッキは境内の端にある、薄暗い古い石段のふもとで、下駄を脱いでうずくまってしまった。
「痛いのは嫌いじゃ……やっぱり人間になるなんて、不条理極まりない……」
ポロポロと涙がこぼれそうになった、その時。
「……おい。大丈夫か?」
頭上から、少しぶっきらぼうな、だけどよく通る声が降ってきた。
見上げると、そこには首に町内会の手ぬぐいを巻いた、白いシャツ姿の男の子が立っていた。
年齢は12歳くらいだろうか。
ユッキより少し背が高く、どこか大人びた雰囲気を纏っている。
「足、痛いんだろ。見せてみなよ」
「な、なんじゃお主、無礼者め! わしに気安く触るな!」
つい素の口調で威嚇してしまったが、少年はふっと呆れたように笑うと、ユッキの前に膝をついた。
「ほら、じっとしてて」
少年はポケットから手慣れた様子で清潔な絆創膏を取り出すと、ユッキの小さな足の指の、赤く擦れた部分にそっと優しく貼り付けた。
「……あ」
ユッキは言葉を失った。
絆創膏を通じて伝わってくる少年の手の温もり。
妖精の時には決して感じることのなかった、人間の「肉体の不便さ」を、人間の「優しさ」が包み込んでいくような、不思議な感覚だった。
「はい、これで大丈夫。この神社、砂利が多いから下駄だとキツいんだよね。……俺はここの宮司の息子のレン。君、見かけない顔だけど、どこの子?」
「わ、わしは……」
ハッと我に返り、ユッキは慌てて口調を「10歳の少女」へと切り替えた。
「ユッキ、です。『びみょる』のちはるおばちゃんの、姪っこなの」
「びみょる? ああ、あの美味しいパン屋の。そっか」
レンは立ち上がると、ユッキに向かって少し照れくさそうに手を差し伸べた。
「下駄に慣れてないなら、裏道を案内してあげるよ。静かで、歩きやすいところがあるんだ」
ユッキは差し出されたその手を、恐る恐る、だけどしっかりと握った。
◇
レンが連れて行ってくれたのは、お祭りの喧騒が遠くのBGMのように聞こえる、境内の裏手の散歩道だった。
断崖の縁に沿って作られたその道からは、ニューイブスキの夜景と、その下に広がる真っ黒な海が綺麗に見渡せた。
並んで歩きながら、ユッキは足元の痛みがすっかり引いていることに気づく。
誰もいないこの場所なら、少しだけ素に戻っても大丈夫だろう。
「……なぁ、レン。ここ、不思議な場所じゃな。こんな崖だらけの街なのに、ここだけ平らじゃ」
ラムネの瓶をチリンと鳴らしながらユッキが尋ねると、レンは少し誇らしげに、夜の境内を振り返った。
「よく気づいたね。これ、この神社の裏設定なんだ」
「うらせってい?」
「あ、いや、街の古い歴史っていうかさ。昔、このニューイブスキに地球から入植してきた最初のご先祖さまたちは、本当に過酷な絶壁だらけの土地を見つけて、必死に生き延びたんだ。で、ようやく見つけた、この一番広くて安全な『平地』を、自分たちの家にするんじゃなくて、まず神様を祀る社にしたんだって」
「家より先に、神社を?」
「そう。普通なら、自分たちが住む場所にするじゃん? 利便性を考えたらさ。でも、当時の人たちは、生きるための便利さより、みんなで集まって感謝する場所を大切にしたんだ。不便なのに、変な大人たちだよな」
レンは少し背伸びをするように、遠くの灯りを見つめて笑った。
その言葉が、ユッキの胸に深く、優しく染み込んでいく。
「……ううん。変じゃないぞ」
ユッキは、髪に挿したまことのパンの髪飾りにそっと触れた。
「人間って、時々すごく不条理で不便なことをする。でも、わしのお店の人たちも、みんな不便なのにすっごく優しいんじゃ。だから、そのご先祖さまたちと同じ。心の拠り所を、みんなで守っているんじゃな」
どこか神秘的な、年齢に合わない響きを持つユッキの言葉に、レンはドギマギとしたように目を見開いた。
そして、見る見るうちに耳まで真っ赤にして、そっぽを向いた。
「……君、やっぱりなんか、普通の子と違うな」
「ふふん、当然じゃ! わしを誰だと思っている!」
ユッキはお転婆に笑い、二人は夜風に吹かれながら、冷たいラムネを分け合って笑った。
お祭りの夜だけの、ちいさな、特別な秘密の時間がそこにあった。
◇
「……あ、遠くで片付けの音が聞こえる」
楽しかった時間はあっという間に過ぎ、お祭りの終了を告げるアナウンスが境内に響き渡った。
夜空に、最後の小さな打ち上げ花火がパッと咲いて、儚く消えていく。
「もう行かなきゃ」
ユッキが寂しそうに呟くと、レンは名残惜しそうに、だけど男の子らしくしっかりとユッキの目を見つめた。
「あのさ、ユッキ。また、お参りに来てよ。俺、いっつもここにいるから。……君が来たら、また裏道案内してあげる」
「……! うん、約束ね!」
最後はしっかり「人間の女の子」の笑顔で元気に頷き、ユッキは下駄の音を軽やかに響かせながら、まことたちの待つ屋台へと走っていった。
『びみょる』のテントでは、限定パンが綺麗に完売し、ちはるたちが片付けをしているところだった。
「あ、ユッキちゃん! おかえり!」
戻ってきたユッキの顔を見て、ちはるは思った。
これは何かいいことあったのね……
少し名残惜しそうで、だけど頬を上気させ、どこか誇らしげな、大人の階段を少しだけ登ったような少女の顔。
髪飾りは、走ったせいで少しだけ傾いている。
何も野暮なことは聞かない。
ただ、頑張って歩いたユッキの前に優しく屈み込むと、浴衣の裾についた砂埃をそっと手で払ってあげて、そのまま小さな身体をぎゅっと抱きしめた。
「楽しかった? ユッキちゃん」
「うん……!」
ユッキはちはるの腕の中で、嬉しそうに目を細めた。
そして、耳元でだけ、ちはるにしか聞こえない小さな「妖精の声」で囁いた。
「人間のお祭り、ちょっとだけ足が痛かったけど……すっごく温かかった。わし、この街がもっと、もっと好きになっちゃったぞ」
「そっか。良かったね」
ちはるは優しく微笑み、ユッキの頭を撫でた。
いつもは石窯の裏方として影から支えてくれる妖精が、人間の街の歴史に触れ、人間を愛おしいと思ってくれた。
そのちいさな、だけど確かな成長が、ちはるにはたまらなく愛おしかった。
「さぁ、帰ろうか。まことさんが、お疲れ様会の特別なケーキを店で用意してくれてるって」
まことの名前が出た途端、ユッキはパッとちはるから離れ、また「10歳の姪っこ」の顔に戻って声を張り上げた。
「まことお兄ちゃんのケーキ!? やったぁ! よし、ユラお姉さんには一口もあげないんだからね!」
「ええ〜!? 私も食べたいですユッキちゃん〜!」
お転婆な少女の怒鳴り声と、パティシエールの笑い声が、夜陰に包まれていく平地神社に賑やかに溶けていく。
不便だけど、どこまでも優しいニューイブスキの夏祭りの夜が、静かに更けていった。




