第20話 押しかけパティシエール・ユラ
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
短い夜が明け強烈な朝陽がニューイブスキの断崖を照らし出す頃。
パンカフェ『びみょる』の早朝店頭販売は、今日も無事に終了を迎えようとしていた。
「ふぅ……。今日も朝からよく売れましたね、まことさん」
ちはるは額の汗をぬぐいながら、かごやテーブルを綺麗にしていた。
レジ用端末を愛おしそうに抱えた厨房担当のまことが、ほっとしたような笑顔を見せる。
「そうですね。常連の皆さんが『ここの朝のサンドイッチを食べないと一日が始まらない』って言ってくださるのが、何より励みになります」
二人がそんな穏やかな反省会を始め、残ったテーブルを片付けようとした、その時だった。
「ーーっ、私を!! 弟子にしてください!!!」
ニューイブスキの朝の空気を震わせるような、張り詰めた大声が響き渡った。
「は、へっ!?」
まことが素っ頓狂な声をあげた。
抱えていたレジ端末を落としそうになりながら、自分の足元を見て完全に固まった。
そこには、一人の若い女性が、コンクリートの床に額を擦りつけている。
見事なまでの「土下座」の姿勢。
「ちょ、ちょっと、あの……ええっ!?」
「で、弟子……っ!?」
ちはるも持っていた雑巾を落としそうになりながら絶句した。
女性は小柄だが、きゅっと結んだ髪と、仕立ての良いシンプルな服から、ただならぬ本気度が伝わってくる。
「ま、まずは顔を上げてください!」
「こ、こ、ここ、ここでは困ります……! 誰かに見られたら、僕が何か酷いことをしたみたいじゃないですか……!」
まことが顔を真っ赤にして周囲を見回し、激しく混乱している。
そりゃそうだ、朝の清々しい空気の中でいきなり若い女性に土下座されては、訳が分からない。
けれど、ちはるはその女性の背中から立ち上る、尋常ではない「真剣さ」に目を留めていた。
この人、冗談やからかいでやってるんじゃないわ。
目つきが……ううん、全身から放たれる熱量が、本物だもの。
「まことさん、一旦、店内で話を聞く、というのはどうですか、ね?」
ちはるがそっと助け舟を出すと、まことは救世主を見るような目で何度も頷いた。
「は、はい! そうしましょう、そうさせてください!」
「さあ、お嬢さん。顔を上げて。どうぞ、中へ」
ちはるが優しく声をかけると、女性はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、驚くほど真っ直ぐで、そして少しだけ潤んでいた。
店内の奥のテーブル席へ促し、ちはるは冷たいお水を差し出した。
「どうぞ。まずは落ち着いてくださいね」
女性は「ありがとうございます……」と蚊の鳴くような声で呟き、差し出されたコップを両手で包み込むように持った。
まことが外の片付けを急いで終わらせる間、ちはるはその女性と二人きりで向かい合う形になった。
気にしいの脳内センサーが、早くもフル稼働を始める。
どうしよう、何を話せばいいのかしら。
こういう時、気の利いた大人の女性ならお天気の話題から入るものなの?
でも彼女、ものすごい緊張してるみたいだし……
「ようこそ、びみょるへ。……ここは、初めてですか?」
「…………」
「あの、お名前は、なんとおっしゃるの?」
「…………」
……なんの反応もない。
古の地球ではこれを、タダノシカバネノヨウダ、と言うらしいけど……
女性はじっと、手の中のコップの水面を見つめ続けている。
ひえええっ、無視!? 嫌われちゃった!?
私の聞き方が悪かったの?
それとも三十路のメイド服が痛々しくて視界に入れたくもないとか!?
ちはるが脳内で大反省会を開催し始めた頃、パタパタと急ぎ足でまことがやってきて、対面に腰掛けた。
すると、それまで石のように固まっていた女性が、弾かれたように背筋を伸ばし、きりっとした視線でまことを見つめたのだ。
「と、突然、押し掛けるような真似をして申し訳ありません!」
「あ、いや、それはもういいですから……」
「ぜひ! 私をまことさんの弟子にしてください!」
「だから、ちょっと落ち着いて……。まずはお名前を教えていただけますか?」
青年パティシエの困惑した声に、女性は深く一礼した。
「ユラと申します」
「ユラさん。……どうして、僕なんかの弟子になろうと思ったんですか?」
まことの問いに、ユラは小さく息を吸い込み、ぽつりぽつりと語り始めた。
「私はこれまで、別の街の、それなりに大きなお店でパティシエとして働いていました。技術も叩き込まれましたし、お給料も悪くありませんでした。でも……なんだろう。なんか、違うんです」
「違う、とは?」
まことが首を傾げる。
「効率ばかりが求められて、全然楽しくないんです。ベルトコンベアみたいに流れてくるお菓子を、ただ機械的に仕上げていくだけ。それを買ってくれるお客様がどんな顔をしているのかもわからない。本当に喜んでくれているのかどうかも、何も……」
ユラの言葉に、まことは少し寂しげに、けれど深く頷いた。
「なるほど。……でもね、ユラさん。まず、効率を求めるのは決して悪いことじゃないよ。それだけコストが下がって、たくさんの人に、手軽に美味しいものを届けられるってことだからね」
「は、はい。頭では、わかっているんです。でも……」
ユラはギュッとコップを握りしめた。
「お客様の顔が、見たいんです。私、子供の頃に初めて手作りのお菓子を作った時、おばあちゃんが涙を流して喜んでくれたんです。その笑顔が嬉しくて、私はこの道に入ったんです。でも、仕事にしてみると、誰も喜んでいるのかどうかが分からない。……もちろん、前のお店でも、上司に『お客様の反応がわかる仕組みを作ってほしい』ってお願いしてみたんです」
「お店は、取り合ってくれなかったの?」
ちはるがつい、身を乗り出して尋ねた。
ユラはかぶりを振る。
「そういうわけではないです。上の人も一応、私の意見を聞いてくれて、購入者の評価や簡易レビューが端末で見られるようにしてくれたんです。……けど」
「けど?」
「反応が、なかったんです。良いも悪いも。ただ、数字が淡々と並ぶだけで。血が通っていないというか……そこに『人』がいる実感が、どうしても持てなくて」
「……ふむ……」
まことが腕を組み、静かに考え込む。
「そんな時……」
ユラの目が、急に熱を帯びた。
「この『びみょる』を紹介しているブログを見つけたんです。ミワさんという方が書いている記事を」
あああ、またミワさんのブログか。
ちょっと前にもひと騒動あったんですけど……
「そこに載っていた写真の、お客様や、スタッフの皆さんの顔が……すごく、美味しそうで、楽しそうで。紹介しているミワさん自身が、心の底から笑顔だったんです」
わかる。
たしかにミワさんの笑顔は、心から笑っている感じがするんだよね。
だから信頼しちゃう。
ユラは身を乗り出し、机を叩かんばかりの勢いで続けた。
「だから、ここなら! びみょるでなら、本当にお客様を笑顔にできるお菓子が作れるんじゃないかって、居ても立っても居られなくなって……。お店を辞めて、ここに来ました!」
「「や、辞めた!?」」
ちはるとまことの声が見事にハモった。
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