第19話 思い出の景色
※このお話は前後編の【後編】です。前の話からお読みいただくのがおすすめです。
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
「実はこのパンは、レーズンから作った天然酵母を使用してるんですよ」
まことがいつの間にか、ちはるの後ろに立っていた。
「今はあまり使われなくなったのですが、昔はよく使われていた時期がありました」
「この天然酵母を使うと少しだけ風味が変わるんです」
「昔ってどれぐらいですか?」
「20年ぐらい前ですかね……」
ちょうど子供の頃だわ……
「その風味を私は覚えていたのね、母の買ってくれたパンとして……そして、その頃の記憶を思い出したと……」
思い出の……仕組み……
「ご主人様はたぶん、昔この風味のパンをどこかで食べたんでしょうね、楽しかった思い出なのかな……」
「それをまことさんのパンが思い出させてくれていたんですね、、景色とは、思い出のことなのかも、、」
でも、何か合点がいかない。
「思い出が……景色」
ちはるが考えあぐねていると、イゾウがつぶやいた。
「アンドロイドには懐かしいという感情がわからず、思い出というものも持っていません。あるのは過去のデータです」
淡々と話すイゾウがより一層悲しげな表情に見えた。
「アンドロイドと人間の違いということですね。思い出が景色ということであれば、私には分からなくて当然でございます」
小雨が降りしきる中、あと少しで日没を迎えようとしていた。
「それではこれで失礼します」
イゾウは立ち上がり礼を言った。
ちはるも仕事中であることを思い出し、すぐにトレーを手に腰を上げた。
「また明日も来てください、もう少しで何かわかりそうな気がします」
何か煮え切らないな……
なんとかイゾウさんの答えを見つけてあげたい。
「いえ、今日の日没をもって私の黄昏の時間は終了です」
数瞬の後、ちはるの落としたトレーの音が雨音にかき消され、オープンテラスは夜陰が何もかも奪い去っていく感覚に支配されていた。
雨雲の向こうにあるであろう夕焼けを思うようなイゾウの目には雨粒が伝う二つの筋が見えた。
その時、冷たい雨の降りしきるパンカフェ『びみょる』に、突然来客を知らせる乾いたカウベルの音が鳴り響いた。
タイトなスーツに身を包んだ女性と作業服を着た男性が扉の前に立っていた。
「ああ、こちらにいました」
男性がイゾウを遠目に確認すると女性に報告し、2人はまことのところに歩いてきた。
そして女性がバッグから名刺のようなものを取り出した。
「あなたがここの責任者ですか?」
不意のことにまことが驚いた。
「いえいえ違います。責任者、ああ、オーナーを呼んできますね」
と答え足早に店の奥に姿を消した。
ちはるは唖然としながら状況を見守っていた。
女性がイゾウに向かい話し始め、男性がカバンから端末を取り出しイゾウの頭部の端子に何かの線を接続していた。
「ここにいたのね、もう時間だわ」
イゾウさんが回収される!?
まさかスクラップにされるの!?
ちはるは反射的に止めに入った。
「待って、イゾウさんはもうすぐでご主人の思い出を理解できそうなの、だから、もう少しだけ、、」
女性は何のことかわからないという仕草をしている。
「ご主人とは、、先日亡くなられた弊社モリインダストリーの会長のことですね? 思い出を理解するとはどういうことですか?」
女性の冷静沈着な話しように薄情さを感じ、ちはるはすこし怒りを覚えた。
「イゾウさんはその会長さんが言っていたという景色を探しにここまで来たの。でも、まだ見つかっていないの、もう少しで見つかりそうなんです!」
女性は迷惑そうな素振りをした。
イゾウは男性に線を繋がれてからピクリとも動かず直立で静止している。
ちはるはイゾウが連れていかれ、スクラップになる瞬間を想像し、さらに悲しみと怒りが湧き出てきた。
「すみません、まだ何のことだかよくわからないのですが、このType-563G4は景色を探してると言っていたのですね」
「すごい、新たなロジックだ!」
男性がコンピュータの端末のようなものを操作しながら、何か手柄を取ったように高揚していた。
「違う! イゾウという名前があるの!」
ちはるは自分では制御できない力が両肩を支配しつつあることにまだ気づいていない。
「私がオーナーです。どういったご用件でしょうか?」
まことがオーナーを連れてきた。
女性が改めて名刺を渡す。
「私はモリインダストリーのラボの者です。こちらは研究主任です。Type、、ああいえ、イゾウさんについて調査をしています。ここで少し作業をさせてください」
「なるほど、黄昏の時間が今日で終わるということで、引き取りに来たということですね」
オーナーも冷静に対応する。
オーナーは受け取った名刺を一瞥し、まことに渡した。
まことは受け取った名刺に、ほんの少しだけ長く目を落としていた。
けれどそれもすぐに終わり、力が抜けていないちはるに優しい眼差しを向け、どのような言葉をかけるか思案しているようだった。
「そうです、時間になっても約束の場所に現れなかったので、位置情報を取得して迎えに来ました」
ちはるは唇を噛み、どこにいるのかを勝手に詮索されてしまう不条理な仕打ちに瞳を潤ませていた。
(イゾウさんは、、道具じゃない、、)
ちはるはそれが間違いであることはわかっている。
イゾウさんは機械である、道具である。
頭ではわかっているが感情では否定したい。
相対する心と感情の扱いに苦慮していた。
オーナーが努めて冷静に続ける。
「なるほどなるほど、、しかしイゾウさんはご主人が生前語っていた景色というものを探しておられるようです。見つかるまでもうすこし時間を頂くことはできないでしょうか」
ちはるは懇願する思いと憎い思いが相乗したキツイ睨みを女性に向けていた。
オーナーはそれに気づき、背の高い自分の肩でさりげなくちはるの視界を遮った。
大粒の雨が降り出し、男性がたまらず声をあげた。
「すみません、中で作業させてもらっても良いですかね、、端末が濡れてしまうので、、」
ちはるは怒りの沸点に達し、一歩、二歩と歩み出て叫んだ。
「イゾウさんは濡れても良いというの!? もう出てってください!」
声を荒げるちはるをとっさにまことが制止し、オーナーもちはるをなだめるように目を見て頷いている。
「それは気づきませんで申し訳ございません。中にどうぞ。ちはるさんは全員分のコーヒーを用意してください」
意識しないと息を吸うことも吐くこともままならないほどだった。
ちはるをまことは厨房に促し一緒に向かった。
大きな雨音は何も消すことなく、何も洗い流すこともなく、全員の心を湿らせて、夜の闇を受け入れることしか選択肢は無いように思わせるだけだった。
まことと共に厨房でコーヒー豆を挽いている。
ちはるはだいぶ落ち着きを取り戻し、オーナーの機転に感謝していた。
雨が本格的に降り出したので、テラスを遮るようにガラス戸を引き出すためにちはるはフロアを横切った。
その時ちはるは、雨に濡れたイゾウの顔や手をタオルでそっと拭いた。
モリインダストリーの2人は端末を見ながらしきりに話しているが内容はよくわからない。
まことはアイスコーヒーと焼き菓子をテーブルに置き事態を見守っていた。
「主任の見解はどう? 意識の芽生えと考えていいの?」
女性は足を組んだまま上半身を端末に覗き込むように屈んでいるため、身体が非常に柔らかく折りたたまれていた。
長い髪を耳にかけるような仕草をしながら答えを促した。
「その可能性は否定できませんね、まだよくわかりません、ラボに持ち帰った方がいいかもしれませんね。耐用年数の件といい、時間までに戻るという命令の優先度が下げられた件について、やはりOSのしかもコアな領域に変更が加えられているようです。それが人為的なのか、アンドロイドが自律的に行ったのか、ちょっとここではわかりません」
女性の方を見ることもなく、端末に表示されているありのままを淡々と答えた研究主任は、諦めながら端末を撫でていた。
イゾウは椅子に座りながらも背筋を伸ばし、窓の外を眺めているようであった。
研究主任に言わせれば電源がオフの状態なのだそうだが、ちはるには信じられなかった。
「意識とは情報が特定の複雑なやり方で処理されるときに生じる感覚であると定義されてますが、この反応が意識なのかどうか、まだなんとも、、OSに意識をもたらすロジックが組み込まれているのか、、現時点ではわかりかねます」
2人のやりとりを眺めていたオーナーがいつになく真面目に話しかけた。
「そもそも、感覚ってなんなんでしょうね、、うーん、なんというか、感覚って証明できるかって言いますか、、」
アイスコーヒーの入ったガラスのコップを傾けて、氷を弄びながら続けた。
「例えばですよ、私が、懐かしいって感覚あります、って話したとして、それをどう証明しますかね、、同じ人間だから感覚を持っているに違いないと、あなたは思っているだけなのかもしれない、、だって、あなたは私ではないから、本当にその感覚があるのかどうかわからない、、」
女性も主任もそれほど耳を貸していないように端末の方を覗いていた。
「つまり、他人がどう感じるかってことですか?」
まことが割って入ってきた。
「なんか哲学になってきましたね……」
「古来より、科学と哲学は表裏一体だよ」
オーナーがいつものようなニヤケ顔になっていた。
ほどなくモリインダストリーの二人はイゾウを連れてびみょるを出て行った。
黄昏の時間をこのような形で終えてしまったことに、悲しみを感じていたちはるは洗い物をするために厨房に入ったが手につかず、考え事をしていた。
人の意識とは何か。
他人から見えない私の意識。
私っていったいなんなんだろう。
結局他人から見た私しかこの世界には存在しないのかな。
イゾウさんはアンドロイドであるけれど、頭部の機械を取り除けば、人と見分けがつかない。
受け答えも人そのものだわ。
いや、人そのものと周りの私たちがそう思わせるの。
うーん、結局どういうことなのだろう……
客が誰もいない店内は雨音で満たされていた。
◇
翌日、からっと晴れたびみょるにちはるは出勤し、いつものように朝の店頭販売を終えテーブルを片付けていると、ふと声をかけられた。
ちはるは振り向いて一瞬絶句したのち、喜びの声を上げた。
「イゾウさん!」
「おはようございます、ちはるさん」
「イゾウさん! どうしてここにいるの?」
持っていたテーブルを落とさないようにゆっくり置いた。
「解明できない部分があるとのことでもう少し私を調査するんだそうです。黄昏の時間は延長され、この街でも自由に行動ができるようになりました」
相変わらずイゾウは無表情でちはるに説明していた。
「ほんとに! よかった! どうぞ! テラスの席へ!」
ちはるはイゾウの腕を捕まえ、思い出の特等席へ誘った。
イゾウは椅子に腰を下ろし、昨日と同じように水平線へ顔を向け、そして静かに口を開いた。
「昨日とは、景色が違って見えます」
青空のもと、さわやかな風が吹き抜けた。
イゾウの眼は海鳥の戯れを追いかけているようだった。
それが空のことなのか、海のことなのか、それとも思い出のことなのか、ちはるにはわからなかった。




