第14話 もう一度、シャッターを切るサワムラ
※基本は一話完結。スキマ時間にどうぞ。
カランコロンとアンティークなカウベルが、どこか頼りなげな音を立てた。
「いらっしゃいませ!」
いつものように精一杯の声を張る。
三十路を過ぎて始めたアルバイト。
このメイド服にも、ようやく少しだけ馴染んできた……気がする……
時刻は平日の午後2時。
お昼のピークを過ぎ、ニューイブスキの最南端にあるこの小さな店には、穏やかな時間が流れていた。
店に入って来たその男性を見て、私は思わず、あっと心の中で声を上げた。
(あ、あの人……ネオマクラザキの駅でよく見かけた人だ……)
ちはるの自宅があるネオマクラザキは「子育てに最適な街」がキャッチコピーの超近代都市。
身の回りのことはほぼ機械が代行してくれる便利な街だ。
その男性はいつも、高級スーツをそつなく着こなし、情報補助デバイスをフル稼働させて鋭い目を光らせていた。
いかにも「できるエリート」という佇まいの人だった。
けれど、今日の彼は違った。
仕立ての良いスラックスに、なぜかヨレっとしたポロシャツを着ている。
ネクタイを外しただけなのに、まるで借り物の服を着せられているかのようだった。
「……一人だが、いいかね?」
「はい! お好きな席へどうぞ」
男性はぐるっと店内を見まわした。
「外のテーブルでもよいかな?」
「どうぞどうぞ」
男性は見晴らしの良いテラス席に腰を下ろした。
ちはるは、まだまぶしい太陽を避けるため、大きめのガーデンパラソルを準備した。
ほどよい日陰に、ゆっくりとした風、海鳥の声が景色に彩りを添える。
男性はつい情報デバイスを扱うような仕草をした。
しかしすぐにそれがないことに気づき、軽くため息をついた。
ネオマクラザキでは情報デバイスから簡単にオーダーできるので、その癖が出てしまったのだ。
「どうぞ、こちらがメニューになります」
手書きの紙のメニュー札をぼんやりと見つめる彼に、私はお水とおしぼりを運ぶ。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
話しかけすぎるのはお節介。
でも、そっと見守るように。
気にしいで心配症な私のアンテナが、彼のまとっている寂しげなオーラを敏感に察知していた。
◇
それから、男性は毎日のように『びみょる』へやってくるようになった。
いつも同じ、どこかちぐはぐな格好で。
何度か注文を取るうちに、ぽつりぽつりと、身の上を話してくれるようになった。
「……実は……定年、になりましてね……」
ある曇りがちの午後、ブレンドコーヒーを差し出した私に、男性は自嘲気味に微笑んだ。
「私はついこの間までネオマクラザキの全自動・都市物流網の責任者をしていたサワムラと申します」
「一分一秒の遅れも許されない、あの無人搬送機たちのタイムラインを預かっておりました」
たしかにあの1秒も狂いがない搬送機の動き、ここに来るまではそれが当たり前だと思っていた。
ここに来て、とてもすごいことなんだ、と感じるようになっていた。
「なのに……これからは仕事に行くこともなく、朝起きる理由がない……」
サワムラは、自分の大きな、だけど今は何も握っていない掌を見つめた。
「あの便利な街にいると、デバイスの通知がパタリと止まった瞬間、自分が社会からログアウトしてしまったような気分になりましてね」
これもわかる。
常に何かと繋がっている、影響しあっている、それがまるで生きる証のように。
「妻には『家にいられると邪魔』と言われ、子供たちは自立してそれぞれの生活がある」
そう、生きる証が、なぜか「重石」のように感じてくる。
「気がつけば、デバイスの持ち込みが禁じられている、この不便な街へ逃げてきていました」
その言葉が、私の胸にチクリと刺さる。
私だって、二人の娘の母親で、優しい夫の妻だ。
家庭に不満なんてない。
でも、家事のほとんどは機械がやってくれる便利な自宅で、せめて料理だけは、と自分の手で頑張って続けてきた。
「お母さん」でいるための、ささやかな証のつもりだった。
それでも、ふと気づいた時に「私ってなんだっけ」と探したい気持ちになったから、この店に応募したのだ。
情報デバイスを一切使わない、不便の中に、素の自分を探したい、そんな場所。
もし、いつか娘たちが完全に巣立って、私の「母親」としての役割が終わったら。
私は、どうなってしまうんだろう。
サワムラの姿は、未来の私かもしれない。
「若い頃の私なら」
と、サワムラは顔を上げていた。
断崖絶壁に張り巡らされた自走式ロープウェイ『スカイトロッコ』が、遠くの斜面をのろのろと登っていくのが見える。
「こんな街、効率が悪いって怒鳴り散らしていましたよ」
「あの遅いトロッコも、この店の手書きの紙のメニューも、わざわざコインでやり取りする手間も、全部無駄だ、切り捨てろ、と」
サワムラは今度は自分の手を見つめていた。
「……でも、不思議ですね。今の私は、その『手間の中』にしか、居場所がない……」
そして何かをつかみ損ねたように、力なく手を握った。
「サワムラさん……長く続けたものをやめるのって、怖いですよね」
ちはるからそんな言葉が自然と漏れていた。
サワムラは少し目を見張り、それから、ふっと優しく目を細めた。
「怖いですよ」
「仕事を辞めたら、『自分』という存在のデータまで全部消去されて、ただの抜け殻……自分が空っぽに思えて仕方がない」
重苦しい沈黙が流れかけた、その時だった。
「ーーお待たせしましたーっ! 新作の試作、持ってきました!」
厨房の奥から、珍しく元気な声とともにパティシエのまことが飛び出してきた。
ちはるはその手にある皿を見て、本能的に身構える。
まことは真面目で、腕は確かなのだが……
新作スイーツの創作センスだけは、なぜか壊滅的なのだ。
見た目はいつも素晴らしいのに、味が爆発する。
「題して、『コズミック・パウダー・スノー』です!」
「この前の『週刊サルベージ』で紹介されていた、古い地球の食べ物をびみょる風にアレンジしました!」
皿の上には、純白のパウダーシュガーがこれでもかと美しく振りかけられた、実に見事な丸いドーナツが乗っていた。
「わあ、綺麗……」
「そうでしょう! さあちはるさん、そしてお客様も、召し上がってみてください! そしてぜひ率直なご感想を!」
見た目はほんとに綺麗なのです。
も、もしかしたら、今回こそはついに、まことさんの才能が開花しているのかもしれない!
そんな淡い期待を胸に、サワムラと顔を見合わせ、フォークを手に取った。
サクッ、と良い音を立ててフォークを入れ、一口分を口に運ぶ。
ーーその瞬間、私と男性の時が止まった。
「ふんぐっ…………!?」
口の中に広がったのは、優しく甘いシュガーの風味……
を、一瞬で消し飛ばす、地獄のような激痛!
(からっ……!? いや、辛いっていうか、熱い!? なにこれ? チリソース味のメンチカツ……!?)
「お、お水を……!」
「ひゃいっ!」
ちはるとサワムラは、シンクロした動きでグラスの水を一気飲みした。
はーはーと息を荒げる私たちを、カウンターの奥からひげを整えたオーナーがニヤニヤしながら眺めている。
「おやおやお客さん、いい顔になりましたね」
「さっきまで『人類の終焉』みたいな顔をしていましたが、今は実に生命力に満ち溢れた顔をされていますよ!」
「オーナー! からかわないでください! まことさん、これ、外側甘くて中身が超激辛ですよ!?」
「えっ!? 脳の活性化を狙って、糖分とカプサイシンを限界まで融合させたのですが……だ、ダメでしたか……」
ガーンと効果音が聞こえそうなほど激しく落ち込むまこと。
なぜにそんな融合を思いつくのよ……
その様子を見ていたサワムラが、突然、お腹を抱えて笑い出した。
「ははは! ははははは!」
「いや、失礼。効率最悪どころか、バグそのもののような食べ物だ! 素晴らしい、頭が完全に覚醒しましたよ!」
声を上げて笑うサワムラの顔から、いつの間にか「居場所のないおじさん」の陰気さは消えていた。
高度なテクノロジーから遮断され、非効率で、無駄で、だけどやたらと人間臭いこの空間が、彼の張り詰めていた肩の力を、すとんと抜いてくれたのかもしれない。
けれど、笑いが収まった後の彼の目の奥には、まだ小さな翳りが残っているのを、ちはるは見逃さなかった。
一口のスイーツで、すべてが晴れるわけじゃない。
◇
数日後。
サワムラは、ずっしりと重い、金属製の四角い塊を抱えてやってきた。
「サワムラさん、それは……何ですか?」
ちはるが不思議そうに尋ねると、サワムラはそれを掲げながら答えた。
「古い地球の、光学式カメラというやつです」
ちょうど来店したばかりの常連客、ミワがサワムラの手元を覗き込んだ。
「わあ! すごい、可愛いカメラですね!」
カフェ巡りが趣味の彼女は、新しいものや面白いものへのアンテナが人一倍鋭い。
「ニューイブスキって、断崖絶壁とか、スカイトロッコから見える水平線とか、デジタルデバイスじゃ収まりきらない『写真に撮りたくなる景色』ばっかりじゃないですか。私、そのカメラで撮った写真、すごく見てみたいです!」
「私の……写真をかね?」
「はい! 絶対素敵ですよ! 私もブログに写真載せたりするんですけど、結局、心が動いた瞬間って、便利な機材より、こういう不便な道具の方が上手に切り取れる気がするんです」
ミワの他意のない、真っ直ぐな言葉。
それがサワムラの胸の奥に眠っていた小さな火種に、ぽっと温かい風を吹き込んだようだった。
「……そうか。役に立たない無駄なものだと、思っていたがね」
サワムラはカメラを愛おしそうに構え、ファインダーを覗いた。
その指先は、もう震えていなかった。
夕暮れ時。
びみょるのテラス席の外には、息をのむような絶景が広がっていた。
ゆっくりと時間をかけて沈んでいく巨大な夕日は、世界のすべてを黄金色に染め上げていく。
サワムラはテラスの端に立ち、カメラを構えていた。
カシャリ、と、デジタル音ではない、泥臭くて心地よい機械音が響く。
ゆっくりとレバーを巻き上げる、その背中は、スーツを着ていた頃よりもずっと小さく見える。
けれど、そこにはもう「寂しさ」はなかった。
何かに夢中になっている少年の躍動感が、確かにそこにはあった。
それを見つめながら、私は自分の胸に手を当てる。
(終わることって、『なくなる』ことじゃないのかもしれないな……)
私も、いつか「お母さん」の役割が一段落する日が来る。
でも、それは私が消えてしまうことじゃない。
ただ「好き」という気持ちがあれば、人生はいつでも、何度でも再起動できる。
「無駄なことなんて、何一つないんだ」
カシャリ、と、もう一度心地よい音が響いた。
「ちはるさん」
サワムラが振り返り、少年のように悪戯っぽく笑った。
「このカメラ、現像に1週間もかかるんですよ、現像専門の写真屋に送らないといけない」
「来週、またここに来ます。傑作が撮れていたら、見てもらえますか?」
「はい!」
満面の笑みで答えた。
「美味しいパンと……それから、まことさんの爆発『しない』方のスイーツを用意して、お待ちしていますね!」
サワムラの去り際のカウベルは、とても清々しく、黄金色に似た音色を響かせていた。




