第3話 ヴァイテヴェルト(広き世界)と竜の聖域
「実は……エルマー爺さんにこれを読んで欲しくて、持ってきたんだ」
エルマーがやんわりと用件を聞いてくれたので、若干、話の切り出し方に迷っていたアルバンは、ようやく、持ってきた緑色の布包みを、目の前にあるテーブルの上に置くことができた。布包みをテーブルに置くと、アルバンは直ぐにその結び目を解き、中身の古びた書物をエルマーに見せてみる。
「ほう、表題が古語で書かれておるな。『聖域の頂き』か。これは面白そうな書物じゃ。開かせてもらうぞ」
表題を確認したエルマーは、表紙に描かれた竜と大剣の絵にも、強い興味を抱いたようだ。早速、書物を開き、適当なページに目を通すと、エルマーが抱いた興味は、ますます強いものへと変わっていく。
「これは非常に興味深い! どのページの文章も、かなり難解な古語で書かれておるな。確かに、古語をよく知らぬお前さんたちでは解読できまい。そうじゃな、手始めに……」
書物のページをパラパラとめくりながら、そう話していたエルマーは、比較的易しい古語で書かれた章に目を留め、その最初の部分を丁寧に解読し、愛用の万年筆でメモを取っていく。
「よし、これで翻訳文ができたぞ。読み聞かせをしてあげよう。わしも長く生きて色々な本を読んできたが、なかなか深い内容じゃな。その内容に惹かれてしまってな。翻訳文を作るのに、ところどころ手が止まってしまったわい」
エルマーは顎の白ひげを撫でながらそう話すと、カミル、エミリア、アルバンが座っている方を向き、書物『聖域の頂き』の読み聞かせを始めた。
エルマーが読んでくれた、短い翻訳文の内容は、章の序文に当たる所であり、おおよそ次のようなことが書かれていた。
『ヴァイテヴェルト(広き世界)と呼ばれるこの世界のどこかに、竜と竜騎士、それに竜使いが共存して住む、特別な聖域が存在する』
まるでおとぎ話の始まりのような、章の序文である。しかしながらエルマーは、翻訳した序文の内容と、『聖域の頂き』という、この古びた書物の表題に、何かしらの心当たりがあるらしく、納得顔で、一人何度もうなずいていた。
「物語の一節……というわけじゃないのよね? エルマーお爺さん?」
あまりにも一人だけ、何かに合点がいっている風だったので、エミリアがエルマー翁にそう問いかけてみる。
「うむ、そうじゃな。恐らくこの書物には、事実が書かれておる。小説や戯曲といった、絵空事を書いたものではない。ある章の最初の部分を翻訳してみたわけじゃが、竜の聖域……わしは若い頃、その話を聞いたことがある」
エルマー翁にも当然ながら、若年の時代があったわけで、翁は学生時代、ヴァイテヴェルトの歴史と地理の勉強に没頭していたらしい。そのように探究的学習を進めていた時、若年だった頃のエルマー翁は、恩師から竜の聖域の存在について、幾らかの話を聞けたことがあった。
そうした若い頃の経緯があるため、表題の『聖域の頂き』が何を指しているのか、書物の表紙を見たとき、
「ある程度の見当がついていたんじゃ」
ともエルマー翁は述べている。
偶然の一致にしては壮大すぎる話である。更に言えば、エルマーが今しがた翻訳した章の序文は、カミルが何度も見てきた不思議な悪夢の内容とも、関連があるように見える。
そう考えたカミルは、意を決し、
「変なことを言っているように聞こえるかもしれないけど、俺は、この書物の表紙に描かれている大剣に、よく見覚えがあるんだ」
と、物心ついた頃から度々見てきた不思議な悪夢について、その内容を語り始めた。
「そんな夢をよく見ていたのか。カミルとは小さい頃からの付き合いだけど、初めて聞いたよ。だから、この『聖域の頂き』を見たとき、あんなに引きつけられていたんだな」
アルバンはそう感想を述べると、悪夢の内容をできるだけ詳しく告白したカミルの方を見て、
(聞けてよかった。その夢を見て、悩むこともあっただろう)
と、その心情を理解し、ゆっくりとうなずいている。カミルと一緒にいることが多いエミリアも、幼馴染のボーイフレンドの告白を聞いて、同様な理解を示したが、心優しい彼女は、
(なぜ、今まで私に話してくれなかったんだろう……。いや……そうじゃない。私はなぜ気づいてあげられなかったの?)
と、若干の自己嫌悪を感じているようだ。
皆がカミルの告白を聞いた後、初夏の薫風がそよそよと流れ込むこの居間に、しばらくの沈黙が走っていたが、
「まあ何にしてもじゃ。どうやら本腰を入れて、この書物を解読してやらねばならぬようじゃな。カミルがよく見る悪夢と、わしが若い頃、恩師から聞いた話、そして、この書物『聖域の頂き』との出会い。偶然が3つ重なれば必然になるとも言うからな。これは運命の引き合わせなのかもしれん」
エルマーが若者たちそれぞれの心情を酌み取り、そのように話をまとめると共に、書物『聖域の頂き』の、全文解読を請け負ってくれた。
話はこのように決まってきたのだが、エルマーが今日解読して、カミルたち3人に読み聞かせた内容は、この古びた書物のごく一部分であり、本格的な解読には、古語に精通したエルマーの知識をもってしても時間がかかる。そのため、アルバンはエルマーに、書物『聖域の頂き』を、しばらく預けることに決め、
「カミルのためにも頼んだよ。エルマー爺さん」
と、幼馴染の親友を気遣いながら、生き字引の老翁に、古びた書物を託した。




