第26話 伊賀は従わず、逆らわず
## **第26話 伊賀は従わず、逆らわず**
### **■ 近江・観音寺城(義仲一人称)**
伊賀からの最初の報が届いたのは、俺の官位就任の噂が京の辻々で語り草になり始めた頃だった。
届けられた文には、具体的な「反意」も「臣従」も記されていない。ただ、現地の空気が重く、淀んでいることだけが伝わってくる。忍びは言葉の中に棘忍ばせて来る厄介ではあるだが
(……動きはある。だが、刃は抜いていない。そういう報告が、一番厄介だ)
報告に来た草(忍び)の顔も、心なしか蒼白かった。少し俯きながら口篭りながら報告していく。
伊賀の連中は、俺が『伊賀守護』として大軍を送り込むのを待っている。あるいは、賄賂を積んで懐柔しに来るのを冷笑して待っている。それのどちらが来るのかどっちも起こるのを予想して対策している違いない
(従えば負け、逆らえば死ぬ。だから奴らは、沈黙という名の檻に閉じこもり、こちらがしびれを切らして踏み込むのを待っているんだ。……伊賀らしい、実に嫌な待ち方だ)
「お館様、伊賀の忍者衆は、明らかに殿を試しておりますな探り探りながら御館様の気持ち試して遊んでおる!」
評定の間。平井綱正が、苛立ちを隠さずに扇子を膝に叩きつけた。バチンと乾いた音が鳴り響いた
「刃を向けず、かといって挨拶に来るわけでもない。……これは、値踏みです。我ら六角の腰が引けているか、それとも強引に踏み込んで自滅するかを、影から嘲笑いながら見ているのですぞ!我ら武士も罵って会いあってる違いないと思いますぞ!」
「左様。特に服部や百地といった上忍三家は、三好や北畠とも繋がっているという噂。このまま放置すれば、家中に『弱気』との謗りが出かねませぬ」
後藤基綱も眉をひそめ、広間の空気をさらに重く沈めていく。
(……家中の連中も、焦っているな。名門・六角が、たかが一国の忍びどもに足踏みしているのが我慢ならんか)
そんな中、**宇野宗秀**が、静かに、しかし透き通るような声で口を開いた。
「殿、ここは『力』ではなく『立場』をぶつけられてはいかがでしょう。……左衛門佐の官位。これを使わぬ手はございませぬ御館様が苦労して手に入れた物ここで使って見ては」
「左衛門佐、か確かに使う手はあるか」
「はい。伊賀守護として命令を下せば、奴らは必ず反発します。ですが、**『京の治安を預かる左衛門佐として、背後の憂いを断ちたいだけだ』**と伝えれば、それは命令ではなく、公的な『通告』に変わります」
(なるほどな。宗秀。……伊賀の連中を『配下』として扱うのではなく、『都を守るための障害』として定義し直すわけかそれもいい手だつまり伊賀にとっても我ら六角家にとってもか)
「面白そうだな。だが盛長は、不満なようだが?何か言いたいことあるのだろう?言え訳を」
視線を向けると、小川盛長が鼻息荒く一歩前に出た。大きく口を開けて息を吸いて喋り始めた
「回りくどいですな! 忍びなど、山を焼き、根を断てばそれまで。左衛門佐だの何だのと、高貴な肩書きを連中にくれてやる必要などありますまい!」
「盛長。それをやれば、伊賀は霧のように消え、翌晩にはお前の寝首を掻きにくるぞ先代や先祖と同じ狢になるぞ落ち着けて考えるように!」
俺が低く制すと、盛長はぐっと言葉を呑んだ。
「忍びは敵に回すより、所在を把握しておく方が遥かに厄介だ。……俺が欲しいのは、奴らの首じゃない。奴らの『沈黙』だ」
◇
### **■ 数日後・伊賀の忍者集会**
伊賀の山中、月の刺さぬ深い谷底。
六角義仲から届けられた一通の文を囲み、影たちが揺れていた。
「……六角義仲。従五位下・左衛門佐。京の治安を預かる者として、伊賀の静謐を望む、だと?」
低く、地を這うような声。
「命令ではない。服従を求めているわけでもない。ただ、『都を見張っている俺の目に、伊賀の騒ぎを映すな』と言ってきやがった」
「……癪だが、上手い。守護として来られれば殺し合えるが、左衛門佐として来られれば、こちらが動くたびに『朝廷を敵に回す』ことになる」
「近江の大狼……。吠えもせず、ただ真っ直ぐにこちらを見つめてやがる。……どうする?」
沈黙。
殺気はあった。だが、それを抜くための「大義」を、義仲の文は巧妙に奪い去っていた。
「……動くな。今はまだ、あの狼の視線を浴びておくだけでいい。……噛みつく隙は、向こうから見せるはずだ」
◇
### **■ 夜・観音寺城(義仲一人称)**
宿所に戻り、俺は一人で灯りを落とした。
手元に届いた報によれば、伊賀の動きはピタリと止まったという。
(……十分だ。従わなくていい。反発の火種があってもいい。だが、俺が『見ている』と自覚させただけで、奴らの自由は半分消えた)
官位とは、決して剣ではない。
だが、抜かずに相手を動けなくする、巨大な「鞘」のようなものだ。
「……左衛門佐、か。使いようによっては、万の兵より頼りになる」
(だが、これは薄氷の上を歩くようなものだ。名を使えば使うほど、俺はその名に縛られていく。三好が、その縛られた俺を笑いに来る日はそう遠くないだろうな)
俺は自嘲気味に呟き、暗闇の中で碧金の刀を少しだけ抜いた。
月光を吸い込んだ青い刃が、静かに、しかし冷酷に輝いている。
「吠えるな、と。……そうだな。狼は、獲物を仕留めるまで声を出さんものだ」
近江の大狼は、まだ牙を見せない。
だがその視線は、伊賀の深い闇の奥に潜む者たちの心臓を、確実に捉え始めていた。
### **第26話 後書き**
第26話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、一見すると大きな動きがない「静かな回」でしたが、作者としては**物語の中で最も神経を尖らせて書いた一幕**でもありました。
### **■ 「伊賀」という、掴めぬ霧との対峙**
今回のテーマは、伊賀特有のスタンスである**「従わず、逆らわず」**です。
これが為政者にとっては一番厄介なんですよね。力でねじ伏せようとすれば霧のように消え、油断すれば背後から刺される。そんな一筋縄ではいかない土地に対し、義仲はあえて「兵」も「命令」も出しませんでした。
彼が投げたのは、**「名と立場」という名の灯り**です。
* **「左衛門佐」という官位の使い道**
義仲にとって、この官位は決して飾りではありません。刀を振るうためではなく、**「ここにはお前たちを見守る“目”があるぞ」**と知らせるためのビーコン(灯台)として機能させました。
「命令する」のではなく「見守っている」と伝える。この絶妙な距離感が、伊賀の忍者たちを一時的に沈黙させました。
### **■ 「見られる側」としての覚悟**
今回の執筆で特に意識したのは、義仲が**「自分は忍びに“見られる側”である」**とはっきり自覚している点です。
強者は追いかける必要はありません。ただそこに堂々と立ち、睨みを利かせるだけで周囲に影響を与える。「近江の大狼」が吠えずに立ち続けることで、伊賀という闇との間に一種の境界線を作り上げました。
この「静かな距離」は、今のところは安定をもたらしています。ですが、この静寂を誰が、どのように踏み越えてくるのか――。
### **■ 次回予告:静寂に走る亀裂**
嵐の前の静けさは、長くは続きません。
次話では、伊賀の内部から湧き上がる反発か、あるいはこの様子を苦々しく見つめる三好の横槍か……。この「心地よい緊張感」に最初の亀裂が入る予定です。
義仲が手に入れた「名」と「役」が、次にどのような波乱を呼ぶのか。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです!
> **【作者より】**
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> また第27話でお会いしましょう!
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