琴乃の決断
聖神大学附属病院の屋上でフェンスにもたれながら、琴乃は深い溜息をついた。
海辺から吹いて来た潮風に琴乃の髪の毛がフワッと、
揺れる。強い風にはためくスカートを押さえながらフェンスに置いた手に目を隠した。
踏切の遮断機の警笛が途切れ、数台の車が線路を超えていく音が聞こえる。
「わたし、死ぬのかな」
16歳の琴乃にはとても重い決断だった。
生まれてきてたったの17年である。大人への階段を駆け上がるこの一番楽しいはずの時期に、余命宣告を受けたようなものである。
しかも、あまりにも残りの日数が短かった。
琴乃は指折りで自分が生きられる日数を数える。
1日目、琴乃は親指を曲げる。全てが始まった日―サングラスの男がわたしを列車に突き落とした日である。そして、この日を今の私は乗り越えている。
2日目、琴乃は人差し指を曲げる。わたしの時間軸ではサングラスの男に銃弾で撃たれた日である。1日目に捕まえていたら、この事件は起こらなかった。
わたしは辛くも乗り越えられた。
3日目、琴乃は中指を曲げた。4日目、薬指を曲げる。5日目、小指を曲げた。6日目、小指を上げる。そして、7日目最後の日だ、薬指を上げた。
7日目の最後の日が1日目へ戻る強制イベントであるということを考えると私が生きられるのは今日を入れて後4日間。
「こんなのないよー」
やっぱり生きたいなぁ。やっと結衣くんと仲良くなれたんだ。3年間も引き伸ばし続けた恋が、こんな形で終わってしまうなんて。
分かっていたら、中学生の時、周りに引かれようが何しようが、わたしは結衣くんと付き合っただろう。
「何がオタクよ、何が一緒に帰らない方がいいよ。そんなのわたしの勝手じゃない」
思わず過去の友人達に文句を言ってしまう。
でも、そうじゃない。一番問題だったのは、引き伸ばし続けたのは、他ならぬわたしなんだ。
結衣くんの行為を全て避け続け、無為な3年間を送ったのは、このわたしなのだ。
高校に入ったらチャンスだと思ってた。きっと結衣くんも好きになってくれて、一緒にあたりまえのちょっとリア充な高校生活が送れると思ってた。
それがこんな形で終わってしまうなんて……。
死んだら痛いのかなあ、どこいくのかなあ。
記憶の中に感じる痛み、その後の記憶の欠損、その後はわからない。
そもそも選択しなかった選択肢の先なんてないのだから。
そして、思う。自分が死んだ後のことを考えてなんになるのだろう、と。
いくら考えても答えなんて分からないし、分かったところで、それが楽しい選択とは絶対にならないのだ。
そんなことより、もっと重要なのは、結衣くんを説得できるかなのだ。
「どうやって説得するかなあ」
結衣くんと未来の結衣は、わたしを助けるつもりでいる。このまま何も起こらなくても7日目に来た時点で、わたしが亡くなり、それをタイムリープにより巻き戻す。
説得するのであればこの七日の朝が来る前に彼らを説得しなければならない。
記憶をたどると今まで行わなかった無数の選択肢がわたしの中に流れ込む。それはまるでゲームの選択肢をクリアしていった後のように整然と並んでいる。
しかし、そのどこにもトルゥルートがなかった。
この現実をそのまま口にすれば、納得するだろうか。冴子のことを話せばきっと未来の結衣が拒絶反応を示す気がする。
全てわかってこんな低い可能性を探してるのだから、冴子のことを伝えれば、それは逆効果になる。
やめない理由を強める要素にしかならないのだ。
そうであるならば、自分の口で言うことをまとめなければならない。
どのタイミングで、どう言えば効果的だろうか。
全ての記憶を思い出したことはしたほうがいいだろう。
それを言わないと、きっと彼らはわたしの話を聞いてはくれないだろうから。
ゆいは瞳を閉じる。
先ほどもみたあまりにも多い選択肢の数々、それがさっき見たより、はっきりと現実的なバッドエンドを見せてくる。
それら全てを未来の結衣は知っているのだろうか。
恐らくこの選択肢の数々は、今の流れだけでなく、過去の流れ、そのまた過去の流れと綿々と繋がれてきたのだと思う。
そうであるのならば、未来の結衣が知らないことがたくさんあるはず。私の意見を聞いてくれるかもしれない。
視線を上げた琴乃は、雲の隙間を眺める。
ゆっくりと流れていく雲の塊が、人の顔に見えてきた。ただの雲の集まりが琴乃には結衣の顔に見えた。
「結衣くん、私はどうしたらいいと思う?」
目の前で言ってしまえたら、どんなに楽だろう。
全て曝け出して、彼の胸に飛び込めたらどんなに楽だろう。
そして、……彼の目の前で泣けたら、どんなに楽だろう。
つぃ、滴が瞳から流れた。
やがて、頬をゆっくりと線を幾重にも作り流れ出す。
そうだ。
わたしはもともと泣き虫だった。
結衣くんの前では気丈に振る舞ってきたけれども、
そんな選択をできるほど強くはないのだ。
それでも、と思う。
『わたしの結衣くんがこれ以上、無理をして欲しくなんてない』
琴乃は、うーん、と背伸びをした。薄手のワンピースだから、胸の谷間が強調される。しかも、ずり上がったワンピースから小さなおへそが出ていた。
琴乃は男なら悩殺できるポーズを戻すと、あたりを見渡した。
誰も見ていなかったことを確認した琴乃は、近くのベンチに腰掛ける。
それにしてもこの因果が始まったのっていつのことだろう。
誰とも一緒に帰らずに、列車の一番前に立っていた。
これがわたしが犯したきっかけだ。
しかし、因果率が川の流れのようにずっと一方向に流れていたのであれば、これはわたしの責任じゃなくて因果律の全体の問題ということにもなる。
やはりトルゥルートに至る選択肢なんかないのだろうか。
未来の結衣に詳しく聞いてしまうこともできた。だが、突然その話をすると冴子の存在に感づいてしまう可能性だってある。
うまくそれとなく聞けるのであれば別だけれど。
選択肢のなさについても不自然に思える。
なぜ、普通の女子高生の亡くなる確率がこんなに高いのか。ほとんど現実世界に影響を与えないわたしのような―ちょっと可愛い(ここは自重すべきですが)―女子高生がこのタイミングでほぼ助からないというのも変なのだ。
この世界には選択肢なんて、全くないまま時間が流れていっているのだろうか。
それであれば未来の結衣だって助けるのを諦めたかもしれない。
コンピュータがあげた確率は限りなく0には近いが、0ではなかった。
数奇な可能性ではあるが、生きる可能性を数字は証明していた。
足掻いてみたいなあ、とも思う。
きっとそれを言ってしまえば、わたしは止められない。結衣くんに泣きながらお願いして結果として、結衣くんは絶対、絶対、絶対、助けようとする。
それは言えない。きっとそれはお約束のように繰り返して来た過去。わたしが生きたいと訴え。その数だけ結衣くんはそれに応えてきたのだろう。
「あっ」
ベンチに座り考えを纏めていると結衣くんが、お見舞いのお菓子を持って屋上で立っていた。真ん中に座っていた琴乃はツイッと移動する。ちょうど一人分の空間ができた。
「どうぞ」
手を表から裏に返し、座ってもらう。
「うわわわっ」
その胸に思いっきり抱きついた。両腕に力を入れる。
わたしの胸が結衣くんの胸に押しつけられる。
顔を真っ赤にした結衣くんの視線はわたしの胸をしっかり捉えていた。
「エッチ」
「うわわわわっ」
「うふふふっ」
そうだ、わたしはこの時をめいいっぱい楽しむめばいい。
結衣くんに言わなければならない重要なことはある。
ただし、それはわたしにとってはこれから4日間の間に言えばいいのだ。
それよりも、重要なこと―今を生きないと。
先のことを今考えても仕方ない。そんなことはその時のタイミングで言うべきなんだ。
でも、時間ははっきり言って全くない。
だから、躊躇してなんかいられない。
わたしは今を生きた二人の証を残したいのだ。
「こんな娘は、お嫌いですか?」
椅子から立ち上がり、一歩下がってお辞儀をしながら琴乃はにっこりと笑う。
少しくらいなら見てもいいよ。白いワンピースから見える太もも。チラリといやらしくならないように意識しながらさりげなく……。
「そんなことないよ、琴乃はいつも可愛いし」
結衣くんありがとう。可愛いは正義だよ。たくさんの人から言われる可愛いより、結衣くんが言ってくれる可愛いがずっと聞きたい言葉だ。
「それじゃあ、行こ」
わたしは結衣くんと一緒に駆け出す。
病室にお菓子の袋を母親に押し付けて、
部屋を抜け出した。
不思議に脇腹の傷は、あまり痛くない。
「だ、大丈夫?」
気遣う結衣くんにそのまま返す。
「うん、大丈夫……」
「じゃあ、あそこへ行こうよ」
わたしたちは走り出した。病院を抜け出して踏切を超えて、少し坂道を登り、やがて病院近くの海岸に立つ。
外洋から打ち寄せる波を防ぐために設置された防波堤には、釣りを楽しむ人達が楽しそうに並んでいた。
そこから、降りて海の近くまでやってくる。遠浅の海岸線に寄せては返す海の流れに潮の香り。
綺麗、夕焼けに沈む海岸線も綺麗だと思うけれども、昼間見る海岸線も太陽の陽光を受けて輝いてるところが美しい。
海から生命が生まれたというけれども、そんな神秘ささえ感じる。
「どうしたの、こんなところまで」
「二人でデートするなら初めては海に行きたいなあって……」
水平線の向こうを眺めると遠くに船の煙突が見える。
それがだんだん近づくにつれてやがて海面に押しあがってくるのだ。
「何かあったの?」
結衣くんが心配そうにわたしの正面からじっと眺めた。確かに変だったかな。突然、積極的になり、胸を押しつけ、二人で病院を飛び出し、海まで。
今まで考えられなかったことだ。
「なーんでも、……ないよ」
今言わなくてもいいよね。わたしは、結衣くんの優しさを感じニッコリと微笑む。
「ならいいけどよー」
結衣くんは不安な瞳で見ているが、それを隠そうとした。結衣くんは優しい。そりゃそうだ。
わたしの命のために昨日必死になってくれたこと、時間を止めてまで、助けてくれたこと、手を恥ずかしそうに繋いだこと、ちょっとエッチなことなどなど。
わたしの知らないわたしの記憶までもが優しい結衣くんで一杯だった。どんなに好きと伝えても、結衣くんの好きの方がきっと大きいに違いない。
わたしが亡くなった後、結衣くんは10年もかけてわたしを助けるためにタイムリープマシーンを完成させる。
天才科学者として立派になる結衣くん。そんな彼はやがてわたしを助けるために限りなく0の可能性に挑む。
女性から聞いた未来とわたしの知ってた結衣くんと、わたしが知らない結衣くん。
その全てが今のわたしにはあった。
未来の結衣くんの話は、受け売りだけどね。
そんな結衣くんをきっと解放してあげる。
「ねえ、結衣くん」
結衣くんの顔を眺める。ちょっと悪戯そうな表情をしながら。
「キスしたことある?」
「な、なに言ってるんだよ」
わたしの代わり様にびっくりしてるのかな。
確かにそうだ。わたしはずっと消極的で結衣くんが来てくれるのを長い間待ち続けてたんだ。
変えたのは時間。
わたしにの残った時間が限られている。後わずかしかないのだ。今やっておかないときっと後悔する。
亡くなった後のことはわからない。
でも、亡くなる瞬間、やっておけばよかったと思うのは嫌なのだ。
だから、わたしは決めた。
わたしは今からずっと結衣くんに恋をするんだ。
戸惑った横顔、何度も見て来たよ、ずっと見てるなんて言えなかったけれども。
「ゆいくん、驚いた?」
「そりゃ、なあ……」
「そうだ」
「キス、……してみよか」
「でも、俺琴乃と手も繋いでないぜ」
そうだった。何度も繰り返されて来たために忘れてた。わたしは今の時間ではまだ結衣くんと手も繋いだことがない。
「ゆいくん……」
わたしはゆっくりと手を差し出した。
結衣くんとわたしの手が繋がれる。
ついでに……。
結衣くんの指にわたしの指が絡まる。
「あっ……」
「へへっ、恋人繋ぎ……」
流れていく時間は待ってはくれないのだ。少ししかない時間を全力で生きないと……。
琴乃は限られた時間を生きる決意をした。




