62話 遠想の管狐
時間は遡り、
数分前の鞍馬山の迷い家——
あかなめが牛丸の名を呼びながら
廊下を走っていた。
「牛丸様ー!」
牛丸は自室に座し、
現世の様子を窺っていた。
もちろん新四天王の動きを
感知したからだ。
水晶玉を通して現世を見渡す中、
複数の妖怪の不穏な動きが見られた。
「牛丸様ー!
緊急事態でございます!」
「どうした、あかなめよ?」
「突如我らの管理領域内で、
妖怪が群れを成して
百鬼夜行を行なっております!」
「わしもそれを今見ているところだ……」
「新四天王かと!」
「間違いないの……」
「氷花様がすでに応戦中のようです!」
「……嫌な予感がするのぉ」
その瞬間――
牛丸の背筋が震えた。
牛丸は、この迷い家に何者かが
侵入したことを感知した。
とてつもない妖力。
なにより、
現世から迷い家のある
この隠世へ出入りできる者がいる。
——危険だ。
「あかなめよ、
ここにおる者を連れて迷い家から――」
ドーン!
ドーン!
言い終わる前に、
爆発音と叫び声が響いた。
牛丸は急いで庭へと向かった。
「!」
池のある美しい庭、
すでにそこには鞍馬山の妖怪たちが、
血を流し、無残な姿で倒れていた。
豆腐小僧、ろくろっ首、かんばり入道、
黒髪切り、しょうけら、家鳴――。
この屋敷に住み込みで働く
仲間たちだ。
屋敷の門から、
ぞろぞろと侵入者たちが
群れを成して入ってくる。
その群れの中心に、
その妖怪はいた。
そいつは、
妖怪たちの引き千切った無数の首を
両手にぶら下げながら、
優雅な佇まいで歩いてきた。
――鈴鹿御前。
「なんとむごいことを……」
「まずは挨拶からだろうに、天狗殿。
わたしを目の前にしてつれないねぇ」
「何をしに来たのだ、鈴鹿御前」
「何をしに?
そうだねぇ……」
鈴鹿御前は首を傾げる。
「とりあえず、
死んでくれるかい。天狗殿」
――――――
朧車で迷い家へ向かう氷花。
頼んだわけではないが、
朧車は鞍馬山の上空で一度停車した。
「朧車!
迷い家に急いで欲しいんだ。
鞍馬山では——」
どうやら、
氷花に鞍馬山の現状を見せるために
停まったようだ。
そこから見える景色は――
山の妖怪たちが殺され、
散乱している死体の山だった。
「朧車……お願い。
急いで迷い家へ行って欲しい!」
朧車はそのまま迷い家の正門へと移動した。
正門は崩れており、
屋敷全体に無数のひび割れが見られた。
戦闘があったと一目でわかる。
正門を潜ると、
なじみの妖怪と
見知らぬ妖怪たちの死体が転がっていた。
死体は庭へと向かうほど増えていく。
氷花は言い知れぬ不安に
息が詰まりそうになりながら先へ進んだ。
「!」
池の前。
倒れている牛丸の姿が目に入った。
「爺様!」
急いで駆け寄った。
牛丸の上体を起こして呼びかけたが
反応がない。
全身に深い傷が無数に刻まれている。
回復系の妖怪の力が必要だった。
――この傷では、
回復術をもってしても。
いや——まずはろくろっ首を探さないと。
視線を走らせると、
庭の傍らに
首を引きちぎられたろくろっ首が倒れていた。
「そんな……」
この山の妖怪たち。
迷い家の仲間たち。
みんな、殺されたのか?
「おや?
妖狐は麒麟が担当だったはずだけどね。
何かあったのかえ?」
縁側で、
この家の茶を飲む鈴鹿御前が声を掛けてきた。
「わざわざ死にに来てくれるなんて、
いい子よのぉ」
「お前が爺様を……」
氷花は尾を5本発動させ、
戦闘態勢に入った。
その時。
牛丸が氷花の腕を掴んだ。
「爺様!」
「……氷花よ」
「今から煉のところへ連れて行くよ。
鳳凰の力があればきっと——」
牛丸は震える手を懐に入れ、
札の貼られた、一本の竹筒を取り出して
氷花へ手渡した。
その竹筒は管狐の寝床。
札には『遠想』と書いてある。
牛丸は氷花をじっと見つめていた。
「なにさこれ?
とにかく行くよ!」
「運がいい……
死ぬ前に渡せた……」
牛丸は、
この場から動くことを拒んだ。
もう自分は助からないと
わかっているようだった。
「爺様!
しっかりしてよ!
みんな死んでしまった、爺様だけでも!」
牛丸は氷花の手を握り締めた。
「玉藻は『氷』に『火』と書いて、
お前を“氷火”と名付けた」
「こんな時に何を言っているのさ?」
「だが、お前は幼い頃から花が好きだった。
だからわしが“火”を“花”に変えてしまった……
玉藻には悪いことをした」
「もういいって!」
「筒を開けるのだ……」
氷花は牛丸の顔を見た。
声を出すだけでも苦しそうだ。
それどころではない。
それどころではないのに――
今、
この管狐の筒を開けなければならない。
そう牛丸の目が訴えかけてきた。
「遠想の術の中の1時間は瞬きの時間……。
お前の母が儂に預けた物だ……」
「お母様が?」
「大人になったら渡そうと思っていた……。
母が死ぬ前に残したものだ。
筒の栓を外して逢ってこい……母上に」
そのやり取りにまったく興味を示さず、
よほど気に入ったのか鈴鹿御前は
2杯目の茶を淹れた。
「送別の儀はまだ続くのかい?
これを飲み終わる頃には
終わらせておくれよ」
氷花は牛丸の思いを汲み取り、
遠想の管狐の栓を抜いた。
竹筒から管狐が飛び出してきた途端――
氷花の意識は、
真っ白な空間へと飛ばされていった。




