48話 積年の決着へ
業の深いわたしのことだ、
簡単には死ねないと思っていた。
最後の一撃が、
ゆっくりと見える。
頭部に直撃すれば即死だ。
——思ったより楽に死ねるじゃないか。
白粉婆は、
そっと目を閉じた。
《動くな!》
その声とともに、
将軍狢の動きが止まった。
まるで、
将軍狢だけ時間が止まっているように。
乱戦により、
積雪が視界を邪魔する中、
1人の人間が白粉婆の前に姿を見せた。
彼こそ、
風吹の婚約者——社亮介。
この荒れ狂う世界の中で、
彼女の危険に気づいて助けに来たのだ。
「大丈夫ですか!」
「……」
「白粉婆さんは下がっていてください」
社は将軍狢の前に立ちはだかり、
睨み合った。
「わたしのことなど放っておけ。
あんたは1匹でも多くの狢を……」
「放っておけるわけないでしょ。
風吹の大切なおばあ様なんだから」
「?」
風吹が、
そのように社に紹介してくれていた。
その事実が、彼女の心を痛める。
「あの子とわたしは本当の家族などではない。
何も聞かされていないのか?」
「ものすごく大切な家族だと聞いています」
「!」
「いつもあなたの話を聞いています。
いつか紹介したいと。
でも、ばあばに断られているって」
「……馬鹿な子だ」
「えぇ、本当に馬鹿な子です」
「……」
「だから知らず知らずの内に……
放っておけない子になるんです」
将軍狢が雄叫びをあげて
飛びかかってきた。
術の効果が切れたようだ——
丸太を振り上げ、
社に怒りの矛先を向けている。
「テメェーからぶっ殺してやるぁーっ!」
社は将軍狢の猛攻をすべて躱した。
すでに、
社の姿は変化が始まっていた。
鋭い目つきに、筋肉質な身体。
全身には鬼を表す黒い紋様——
そして、
絶対的な鬼気。
社の姿をした別の者。
それは——
社と入れ替わった、
酒呑童子だった——。
——ズパァーンッ!
酒呑童子の拳が、将軍狢の腹部を貫いた。
酒呑童子の拳は、
空間すら砕く拳——
将軍狢は、
ガラス細工が砕けたように
崩れていった。
「あっ……あんたは一体?」
「三下はよく喚く……」
「!」
「我は、この醜き妖・狢が嫌いでな……
見ているだけで反吐が出る」
「……」
「すべて散りにしてやるわ……」
そう言うと、
正面に向かって、拳を振るった。
音が飛び、
色が飛び、
空気が飛んだ。
一瞬だけ、
社から見える範囲の全てが、
消えたように見えた。
目の前に見えていた狢の群れは、
割れて砕けていった。
「亮介、
あとは好きにするがいい……」
「!」
鬼の模様が消えていく。
「……もう。
いつも気まぐれに現れるんだから」
狼狽える白粉婆に社は目を向けた。
「もうすぐ、
終わりますから」
彼はやさしく微笑んだ。
——————
強かった。
牛丸も、氷花も、煉も。
風吹は、とんでもない仲間に囲まれているのだと、
白粉婆は思った。
「僕から離れないでください。
風吹が戻るまで、責任持って守りますから」
「……」
「おばあ様が死にたいと思ってるって知ったら、
風吹が悲しみます……」
「!」
「あなたは死んじゃいけない」
「……どうして、
そのことを?」
社は火鳥の方を向いて答えた。
「彼の眼、サトリの眼なんです。
彼が教えてくれました」
「ふっ……ふふ。
まさか、あの人間が“サトリの眼”を
持つ者だったとはね……嫌な眼だよ」
白粉婆は俯いた。
2人のもとへ行きたいと願った。
たとえ許されないとしても、
一目逢いたいと思った。
けれど――
まだ、彼女は
死ぬことを許されていないようだ。
――――――
平野の中心部に、
古ぼけた小さなお堂がある。
その昔、村人たちはここに集まり、
祭事をしていた場所だ。
そして今、
この堂内に刑部狸がいる。
妖気を抑え、
気配を殺して潜んでいる。
「風吹よ、この中か?」
「うん。
全部で3つの妖気を感じる。
うち2つは大狢だよ!」
「……ようやくだ」
そう言うと、
なまはげは2本の刀をお堂に向けて振り切った。
瞬時に壁や屋根が吹き飛んだ。
月明かりに照らされた堂内に、
3体の化け物の姿が見える。
確かに2匹は大狢。
もう1匹は……かなり大きい狢。
何かで見たことのある
将軍狢よりも大きかった。
目の前の巨大狢は、
袈裟のような衣を纏っている。
将軍狢や大狢でさえ腰巻き程度しか
身に着けていない。
この狢が特別な存在であることは
一目でわかった。
「何をしに来た、お前たち。
この俺が刑部狸と知ってのことか!」
――こいつは刑部狸ではない。
なまはげも同じく気づいている。
「お前が四国の雄、刑部狸だと……笑止千万」
「なんだぁ、お前?」
「刑部狸殿とは幾度か会っているが、
貴様などとは似ても似つかんわ」
風吹も幼き頃に、
父・風善から刑部狸について
聞かされたことがあった。
彼は妖力だけでなく
仁徳でも名高い存在だと教えられた。
袈裟のような物は纏っているが、
滲み出る品の無さが偽物だと物語っている。
妖力も確かに狢の中では上位なのだろうが、
なまはげの足元にも及ばなかった。
「おおかた刑部狸の名を騙る
不届きな低級狸なんだよ、師匠!」
「雑魚がよ!
こんなもんは名乗ったもん勝ちなんだよ。
いつか本物の刑部狸を殺って、
俺が成り代わってやるわ!」
「立派な目標だな、おい!」
呆れ過ぎて、反吐も出ない――
「……ところでだ。
結界を開けてくれたお前らに
感謝が無いわけでもねぇ。
ここから退くなら、
これ以上手は出さねぇでいてやるが、どうだ?」
「ペラペラ話している間に、
狢の群れをここへ集めようと企んでるんだろ?
だけど誰も来ねぇーよ。
わたしの仲間が、1体も来させないからさ」
大狢2匹が、
風吹たちの前に立ちはだかった。
主は巨体を震わせながら逃げようとしている。
「俺は、この程度の者に
長き間苦しめられていたのか……。
何百年も手を出せずにいた己が情けない」
護衛の大狢2匹が、
飛びかかってきた。
「妖抜刀術・大鎌切!」
次の瞬間、
目にも留まらぬ剣閃が走った。
風吹の鬼切丸が、
大狢2体を一刀両断に切り伏せた。
そして、
風吹はなまはげに目を向けた。
なまはげの全身から、
怒りの妖気が溢れかえっている。
「糞がぁ!」
狢の主が悪態を吐く。
数珠を掲げ、詠唱を始めた。
術の発動——
金縛りの術だ。
狢の主は、
なまはげと風吹の動きを止める。
しかし——
「結界術も妖気探知も使えぬ己の無能さを、
長く恨み続けてきた。
それゆえに――」
なまはげは、
金縛りをものともせず前進した。
「術の耐性くらい、身につけておるわ!」
「なっ、なんだと!」
「無数の狢を操ったままでは、
大した金縛りの術も使えまいて!」
狢の主は、
群れを統制する操心の術を解き、
拡散していた妖気を、
自身へ一極集中させた。
そして、
すべての妖気を数珠へ集める。
「俺の本気を見せてやる!
死ねやぁ!」
「――遅いわ」
狢の主に、
なまはげの刀捌きは見えなかった。
数珠を振り下ろそうとした瞬間、
主の身体は細断され
すでに崩れ落ちていた。
今この時をもって、
なまはげと風吹は
この地に纏わり付きし積年の雪辱を——
ついに果たしたのだ。




