40話 あの頃へ
不知雪村は、
200人ほどの人間が暮らす小さな村だった。
付近には同じような村が2つあったが、
特にこの村は立地が悪く、
人の行き来がほとんどなかった。
道なき山を越えねばならない厳しさが
人の足を遠ざけ、
冬を迎える頃には、
完全に孤立した集落となっていた。
住処を点々としていた白粉婆は、
そんな村に
ある日辿り着いた。
白粉婆は、
化粧によって美しい女の姿へと
変化することができる。
その美しさで男を魅了し、
生気を啜って生きながらえる妖怪。
一夜を共にしたあと正体を明かし、
男たちの絶望する顔を見るのが
彼女の歪んだ楽しみだった。
そんなことを繰り返して
生きてきた白粉婆は、
巡り巡って不知雪村に辿り着いたのだ。
しかし、この村には妖怪の先客がいた。
そいつは、
この村の守り主として
居座っていた。
その妖怪の名は、
雪女の——ゆき。
雪女とは、
一族総じて美しい女ばかりの一族。
人間と添い遂げることを好む妖怪だ。
当時の白粉婆には、
彼女たちの自然な美しさが疎ましく、
嫉妬しかなかった。
いけ好かない妖怪がいる村だと知り、
すぐに立ち去るつもりでいた。
――そんな矢先のことだった。
「もし……あなたも、
人ならざる者ではありませんか?」
雪女の方から、
声をかけてきたのだ。
「雪女が統べる村だとは知らなかった。
すぐに出ていくよ。悪かったね」
「そんなこと気になさらなくていい。
ずっといてくれていいのですよ」
近くで見るゆきは、
なお一層、美しかった。
そして、周りの妖怪にまで
気遣う優しさを持っていた。
人間の男が放っておく理由が
見当たらないほどの、
良い女。
当然ながら、
彼女はすでに人間との所帯を持っていた。
白粉婆は距離を保ちつつ暮らし、
頃合いを見て村を去るつもりでいた。
だがある日、
ゆきは1人の男を紹介してきた。
名を、草太といった。
ゆきの夫の親友で、
村一番のお人好し。
誰に対しても底なしに優しいことが、
彼の唯一の取り柄だった。
その男が、
白粉婆の生涯で唯一愛した人間になるなど、
その時は想像もしなかった。
村では「お里」と名乗って暮らしていた白粉婆。
当初、草太から生気を啜って
村を去るつもりでいた。
化粧によって美しい姿に化けた妖怪に、
草太はあっさりと魅了された。
散歩、山菜採り、釣り、狩り――
2か月ほど共に過ごした。
あとはいつも通り、
生気を啜って村を去るだけ。
――そのはずだった。
だが、草太は違った。
奥手な男だとは思っていたが、
彼は一切、手を出してこなかった。
どんな状況でも、
手すら握らない。
業を煮やした白粉婆は、
牛小屋へ彼を呼び出して
色仕掛けで迫った。
今までどんな奥手な男でも、
この色仕掛けで落とせなかったことはない。
だが――
「結婚もしていないのに、
そんなことをしてはいけない!」
——説教された。
心の底から呆れた。
これ以上一緒にいても埒が明かない。
せめて正体を明かし、
心に傷を残して村を去ろうと決めた。
本来の醜い姿を見た男は、
必ず絶望する。
それだけは、変わらない。
その場で白粉婆は化粧を落とし、
醜い老婆の姿で彼の前に立った。
「草太、見てごらん。
これがわたしの正体だ。
わたしは白粉婆という妖怪なんだよ」
「う……嘘だ……」
「ふんっ……
あんたの可愛いお里は、
こんな醜い婆の化け物だったのさ……」
当然の反応だ。
例外など、あるはずがない。
「生気を啜れなかったのが心残りだよ。
もうこれであんたとはお別れだ。
じゃあな……」
彼女が踵を返した。
その時だ。
「もう……もう、会えないのか?」
声をかけられた。
「これから、どこへ行くんだ?」
「……何を言ってるんだい。
もう関係ないだろう」
この姿の時に、
人間から話しかけられたことなどなかった。
しかし、
草太は平然と続けた。
「ずっと、ここにおればいい。
お里の事は誰にも言わないから」
「あんた馬鹿なのか?
あんたの好きなお里の正体はコレだったんだよ!」
「知らねえよ、そんなの」
とことん話が噛み合わなかった。
変わった人間だとは思っていたが、
ここまでとは思わなかった。
すべて放ってこの村から出ていこう、
こういう馬鹿は放っておくに限る。
——そう、思った。
「最後まで思い通りにいかない男だ、
むかつくね!」
白粉婆は、
捨て台詞を吐いて
その場から立ち去ろうとした。
すると、草太は彼女の腕を掴んで言った。
「見てくれなんてどうでもいいんだ、
俺はお里とずっと一緒にいたい」
この人間はとんでもないこと言い出した。
今まで出会った男とは、
何もかも違っていた。
この男は、
確かに言った――
一緒にいたいと。
この……わたしと?
人間ごときに
愚弄されているのかとも考えた。
しかし、
この草太という人間と2か月間一緒にいる中で、
人や物を粗末に扱うような
人間ではないとわかっている。
――こいつは本気で言っている。
「正直ベッピンなお里の方がいいけどさ、
そんなんじゃないんだよ。
俺はお里が一緒にいてくれるだけで幸せなんだ。
妖怪って聞いて驚いてるけど、
お里が悪い奴じゃないってのも知ってる」
村一番のお人好し。
今までに出会ったことのない人間——
「この姿を見て……怖くないのかい?」
「そりゃ、いつものお里から
急にその姿になったから怖いよ。
怖いけど……お前はお里なんだろ?」
言葉が出なかった。
この姿に恐れず会話ができて、
この姿を見てまだお里を想っている。
「今度の満月の夜に言おうと
思っていたことがあるんだ」
「なっ、なにをだ?」
「俺と所帯を持ってほしい」
本当に馬鹿な人間。
己が何を言っているのか
わかっていないのだろう。
2人には埋めようにも
埋めようのない違いがある。
真に受けてはいけない。
「もうしばらく俺と一緒にいてくれよ。
それで俺が信用できない人間だと思ったら
俺を見限ってくれていい」
——今さらの話だ。
いつの世も同じ——
人と妖怪は混ざり合えない生き物。
悔やんでも悔やみきれない。
白粉婆は彼の言葉を信じて、
村に残る道を選んでしまったのだから――
40話までお読みいただきありがとうございます。
まだまだ物語は続きますので、よろしくお願いします。
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