37話 無限回廊の中へ
あれほど遠くに感じていた旅行の日が、
あっという間にやってきた。
昨夜から降り出した雪は、
すでに積もりつつある。
ふたりは電車に乗って秋田県へと向かった。
白粉婆との旅行に、
風吹は興奮を抑えきれずにいた。
一方、
白粉婆は落ち着いた様子で、
ただ静かに車窓を眺めていた。
——————
ふたりは昼過ぎに秋田へ到着。
想像していた以上に、
雪は積もり始めていた。
白粉婆は表情ひとつ変えなかったが、
駅を出た瞬間、大きく息を吸った。
懐かしい故郷の空気を、
全身で感じているようだった。
彼女の故郷は、数百年前に閉村したという。
その村での暮らしについて尋ねても、
詳しい話はほとんどしてくれなかった。
理由は分からないが、
その話題を振ると、
決まって悲しげな表情をする。
だから、
風吹も深く踏み込めずにいた。
スマホの地図を頼りに、
駅からバスへ乗り込んだ。
本当に何もない雪山を、
バスは延々と進んでいく。
山の中は、真っ白な雪世界だった。
これほどの雪景色は街中ではあまり見ない。
森は息を潜め、
冬を越す準備をしているように見えた。
しばらくすると、
古びた寺が見えてきた。
「あれは!?」
突然白粉婆が、
その寺の前にあるバス停で、
降りると言い出した。
ここは、当初の目的地ではない。
だが彼女は、
何かを思い出したかのように
降りるという。
雪化粧をした木々に囲まれた境内の奥に、
手入れをされた記憶すら無くした、
小さなお堂が見える。
「あんたら、こんなとこで降りても、
何もねえよ。ほんとに降りるのかい?」
「うん。
どうやら、目的地がこの近くみたい」
「この辺りは、このバスが往復してるだけだ。
次に戻ってくるのは、1時間半後だぞ。
それに雪も降ってる。
あんたら薄着だし、寒さに耐えられんで」
「わたしたちは大丈夫さ。
心配してくれてありがとねー」
運転手の心配を振り切り、
風吹たちはバスを降りた。
運転手はバスの時刻表を渡し、
次のバスの到着時間を何度も確認してから、
バスを発進させていった。
流れる景色として見ていた雪山は、
実際に降り立ってみると、
すべてを覆い尽くす、
巨大で冷酷な存在に感じられた。
しばらく寺を見つめていた白粉婆が、
ぽつりと声を上げた。
「この寺……。
やっぱりそうだ……」
「何か、思い出したの?」
白粉婆の表情が、
はっきりと変わった。
普段、何事にも興味を示さない彼女が、
自ら先頭に立って歩き出した。
「この周辺に、村が3つあってね。
正月や祭の時期になると、
村人全員が集まって、この寺ではしゃいだもんだ」
「……なんだよ。
いきなり故郷に帰って来れたのか!?」
「こっちだ」
白粉婆は、
境内のはずれに向かって足を進めた。
風吹たちは、吹き荒れる雪の中、
枯れ木をかき分け、道なき山へと足を踏み入れた。
——————
雪がさらに強くなってきた。
風吹は白粉婆を追いかけるように、
山を登っていく。
白粉婆は雪など気にする様子もなく、
無我夢中で山を駆け上がっている。
これほどまでに感情を露わにする彼女を、
風吹は今まで見たことがない。
その姿を見て、
なぜだか胸の奥に不安が広がっていった。
——30分ほど歩いた頃。
「……おかしいね。
ずいぶん歩いたけど、谷も川も、平地すら見えやしない。
方角は間違っていないはずなんだけど」
前へ進む白粉婆の背を追うことに必死で、
風吹自身も冷静さを欠いていた。
降り積もる雪のせいもあって、
気づくのが遅れた。
先ほどから同じ場所を回っているだけで、
まったく前進していないのだ。
「ばあば……
さっきから同じ道を辿っているだけで、
一向に前へ進んでいない」
「なんだって!?」
——狐や狸が得意とする悪戯。
相手に幻覚を見せ、
永遠に同じ道を歩かせる
“無限回廊”の術。
ただ、それなら風吹や白粉婆は、
すぐに気づけるはずだった。
もう1つ考えられること。
——それは結界だ。
ある場所へ近づけさせないために、
広域に無限ループを
発生させる結界。
しかしそれは、
決して良い意味を持つ結界ではない。
「大昔にさ、
ここより先に行かさないように
誰かが結界を張ったんじゃねーの?」
「結界……」
「相当な広域結界だぞ。
術者が人間だとしたら
大陰陽師とかだよ、絶対!」
「……人間の結界?」
白粉婆の顔から、血の気が引いた。
その表情を見て、
風吹は白粉婆が気落ちしたのだと思った。
「そんな顔するなよ、ばあば!」
「!」
「少し時間かかるけど、
わたしがこの結界破ってやるよ!」
「……だめだ。
そんなことしてはいけないよ」
「平気だって!
解印術はパパから習ってるし、知識あるんだよ」
風吹は急いで、
結界の解析に取りかかった。
白粉婆はその場に立ち尽くしたまま、
呆然としていた。
その姿は、
郷愁ではなく——恐怖?
結界は思ったより単純な構造だった。
一定の間隔で立つ大木に印が刻まれ、
それが山3つ分の範囲を覆っている。
並の人間に張れる代物ではなかった。
大木の印を削れば、
結界の一部分を解除できそうだった。
「結界を部分的に解放するぜ。
……いいか?」
「お嬢……やはり、やめよう。
わたしのために、
ここまでしてくれる必要はないよ」
「さっきまでの勢いはどうしたのさ?
故郷が目の前だというのに、諦めるのかよ?」
「……しかし」
最初、この旅行には消極的だった白粉婆。
しかし少し前の彼女は、
確かに故郷へ想いを馳せていた。
それなのに――
結界の存在に気づいてから、
明らかに様子が変わった。
まるで、
結界がある理由を知っているかのように。
「ばあばってさ……
結界が張られている理由知ってるの?」
「……いや。
……知らないよ」
その答えは、どこか歯切れが悪かった。
何かを隠している――
そう感じずにはいられないほどだった。
念のため、
結界を解除する前に、
社のスマホへ一報を入れておくことにした。
――この連絡から2時間、
連絡がなければ救助に来て!
送信——
……しかし。
「……最悪だよ」
「どうした?」
「この辺りは圏外だってよ」
仲間との連絡手段が、
完全に断たれていた。
風吹は空を見上げた。
雪はさらに強くなっている。
本来なら引くべき状況だ。
しかし、
この時はそれ以上に――
彼女に故郷を見せてあげたい。
その想いの方が強かった。
「大丈夫だろ。
何かあっても、わたしが守ってやるよ。
昔のわたしじゃないんだぜ!」
「……やはり、やめた方が」
「大丈夫だって。行こう!」
風吹は白粉婆の制止を振り切り、
大木に刻まれた印を削り落とした。
これで結界が、部分的に解かれた。
こうして風吹たちは、
封じられし故郷へと——
足を踏み入れたのだった。




