36話 故郷へ
今年も、この街に雪が降る。
柔らかく、
優しくもある冷たい綿のようなそれは、
無常にも降り続け、やがて群れを成す。
群れを成した雪は、
すべてを覆い尽くし、多くの隠しごとをする。
降り積もった雪の下。
それは、美しく見せる表の顔とは別の顔。
あなたの想いも、あなたの後悔も、あなたの涙も。
ただ隠すように、雪は降り続ける。
深く、
ただ深く降り積もり、
あなたの心を、
光の届かぬところへと埋めていく……。
――――――
風吹は、
笑顔でいる彼女を
見た記憶がない。
たまに会っても、微笑み程度だった。
「ばあばさぁ、
そろそろわたしの婚約者に会ってくれよ」
彼女はうつむいていた顔を少し上げ、
慌てることもなく、
風吹の顔を見つめた。
生活感のある地味な和装に、
白髪を後ろで1つにまとめただけの素朴な格好。
人間年齢で見れば、
60代ほどに見える女性だった。
「人間はやめた方がいい。
お嬢は世間を知らなさ過ぎる」
「先生は、大丈夫な人間なんだよぉ!」
「それならなおさら、
こんな醜い妖怪と知り合いだなんて
思われてはいけない」
彼女は風吹の頼みを、
いつもそう言って断ってきた。
――――――
人間だった母を失ってからは、
風善からの頼みで、
彼女が嵐と風吹の面倒を見ていた。
風吹が社に振る舞う料理は、
基本的にすべて彼女から教わった料理だ。
彼女は秋田県の妖怪らしく、
よく郷土料理を振る舞ってくれた。
料理好きの妖怪ということもあり、
その腕前は、舌を巻くほどだった。
「うまっ!
この料理教えてくれよ。
今度、先生に作りたいんだよ」
「そうだろ。
これを食わせれば、大体の男は落とせる。
胃袋を掴めば、男なんて脆いもんさ」
「マジか!
よーし、いっぱい料理を覚えてやるぞ!」
彼女は白粉婆という妖怪だ。
白粉婆とは、
年老いた女性の姿をした妖怪。
化粧で若い美女に化け、
男を誘う妖怪として知られている。
だが、風吹にはそんな姿が
想像もできなかった。
彼女は、2階建ての1軒家に住んでいる。
昔から、
嵐と風吹だけは、
この家の出入りが自由だった。
そんな彼女は、
いつも2階の寝室の窓から外を眺めている。
椅子に腰かけ、そこから見える公園を見下ろす。
公園で遊ぶ子どもたちを、
愛おしそうに見つめる姿は、
どこにでもいる普通のお年寄りにしか見えなかった。
窓辺の彼女に気づいた子どもたちは、
よく手を振ってくる。
彼女は少し恥ずかしそうに、
いつも子どもたちに手を振り返していた。
「ばあばって、子ども好きだよな?」
その問いに彼女は答えず、
少しだけ笑顔を見せた。
風吹は人間社会での生き方も、
白粉婆から教わった。
学校に行くことや、
働くこと、
最近では、
学校やアルバイト先での人間関係、
社との関係まで相談に乗ってもらっている。
はじめて社の話をした時、
「人間は、やめた方がいい……」
風吹にはその一言が、
すごく重たかった。
風吹は白粉婆のことが大好きだ。
だからこそ、
社をいち早く紹介したいと伝えたが、
断られた。
「こんな醜い妖怪……
会わせれば、お嬢の評価が下がってしまう……」
彼女はいつも自らを卑下し、
社に会おうとはしなかった。
――――――
ある日の朝、
この辺りはひどく冷え込んだ。
雪が降ってもおかしくない寒さだった。
窓ガラスに白い綿のようなものが、
ついては消えた。
雪が降り始めたのだ。
「ばあば!
雪だよ!
初雪だ!」
白粉婆は表情ひとつ変えず、
舞い落ちる雪を見つめた。
風吹たちは東北の出身。
本来なら雪など、珍しくもない。
この辺りでの雪は、
招かざるものでもある。
「雪は……嫌いだよ」
白粉婆は、ぽつりと呟いた。
「ずっとそれ言ってるけど、
なんでだよ?」
毎回、風吹は問い返すけれど——
彼女はいつも、
それに対して答えてはくれなかった。
——————
翌朝。
積もりはしなかったものの、
前夜の雪の影響もあって、
ケンちゃんのフライドチキンの客足は悪かった。
「店長、来週の土日は旅行行くから、
強制的にシフト入れるのなしな」
「なんや、結局行くんかいな。
婆さん嫌がっとったんちゃうの?」
「なんでか嫌がってたんだよな。
でもまぁ、最終的には行けることになったんだよ」
「そうかいな、
その次の土日は入ってもらうで」
「……はいはい」
たまに白粉婆から、
故郷の話を聞かせてもらうことがあった。
楽しい話は極めて少なく、
苦労話が多かった。
それでも、故郷の話の中で
「ある村の景色が何よりも美しかった」
と、しきりに語る彼女の姿が、
強く印象に残っている。
旅行の準備は、
2か月前から進めていた。
白粉婆は、
故郷への旅行の話をすると、
なぜか浮かない顔を見せた。
しかし風吹は、
故郷に帰ること自体が嫌なわけではない――
そう思っていた。
故郷の話をする時の彼女は、
とても楽しそうだったからだ。
幼い頃からお世話になっている感謝の気持ちを、
この旅行で少しでも返せたら――
そんな想いもあった。
話に何度も出てくる村の景色を、
風吹もずっと見てみたいと思っていた。
だから今回の旅行は、
「絶対に一緒に行こう」と説得し続けた。
「礼など、せんでいいのに……」
彼女は、そう呟いた。
それでも、
風吹は引き下がらなかった。
「にいにとも言ってたんだ。
ばあばの故郷にいつか、
ふたりで招待しようぜって!」
「……」
「にいにがいなくなっちゃったから、
わたしとふたりだけど……
いいだろ?」
半ば強引ではあったけれど、
最終的に白粉婆は折れてくれた。
朧車を使えば数分で到着する。
けれど、
それでは「旅行」にはならない。
宿については、
人間の旅行会社で働いている妖怪に、
良い宿を紹介してもらった。
これはサプライズなので、
白粉婆には伝えていない。
しかしながら、他の予定は
すべて風吹が1人で考えた。
どうしても——
白粉婆に対する、
「おもてなしの旅」にしたかったからだ。




