招き ── 砦に連行された俺、AI相棒の嘘つき判定で尋問突破
人の声で目が覚めた。
物置の壁にもたれたまま、座って眠っていたらしい。
首が痛い。
背中も痛い。
外で、誰かが誰かを呼んでいた。
鶏らしき鳴き声。
鍋を叩く音。
井戸の水音。
朝の音だった。
戸の隙間から、白い光が差し込んでいる。
昨夜の松明の橙とは、別のものだった。
「……生きてるな」
『生きてますよ〜♪』
頭の上で、カイラが機嫌よく光った。
立ち上がると、関節がいくつか文句を言った。
俺はそれを無視して、戸を押す。
村は、半分だけもとに戻っていた。
倒れていた人影は、もう井戸のそばにはない。
代わりに、井戸の石組みの一部が欠けていた。
誰かが、布を被せた何かを村の端のほうに運んでいる。
それが何なのかは訊かなかった。
訊くべき場所でもなかった。
村人が俺に気づくと、頭を下げた。
さっきまで、妙な格好の余所者を見る目だった人たちが、布で包んだ干し肉と、根菜と、固いパンを、俺の腕に押し付けてくる。
「助かった。これ、持ってってくれ」
「いや、こんなに」
「いい。村で出せるのは、それくらいだ」
押し問答にはならなかった。
俺は両手で受け取って、もう一度、頭を下げた。
レーゲルが馬の鞍を整えていた。
荷車も、もう半分ほど積み直されている。
「で、お前はどうする」
訊かれて、俺は口をゆっくり開いた。
──そういえば、どうする?
考えていなかった。
昨日、商隊にくっついて村に来た。
夜に山賊に襲われた。
明け方まで、頭がうまく動かなかった。
その先のことは、何も。
「……どうしましょうかね」
「俺は次の取引先に向かう。エルロン村の北西だ。街道沿いに──」
そこで、レーゲルが口を止めた。
地面の振動が、足の裏に伝わってくる。
それから、馬蹄の音がはっきり聞こえた。
数頭。
村の南の方角からだ。
馬上の影が、五つ、六つ。
革の鎧。
揃った装備。
腰の剣の鞘も、形が同じだった。
山賊の粗末さとは、別の世界の整い方だった。
先頭の男が、村の入口で馬を止めた。
四十くらい、と見えた。
日に焼けた肌。
短く刈った髪。
表情に、特に何も書いていない。
怒りも。
憐れみも。
興味も。
馬からは降りなかった。
鞍の上から村の中を、ゆっくり見渡す。
「ガルシス砦の巡回だ。変事はあるか」
そこまで言って、隊長は井戸のそばの欠けた石組みに目を留めた。
それから、村の隅に運ばれた、布で覆われた何かに目を移す。
眉が、わずかに動いた。
「……あったようだな。話せ」
村人たちが、さっと道を空けた。
誰も隊長と直接、目を合わせない。
村長が前に進み出て、深く頭を下げた。
さっきまで俺に礼を言った男とは、別人みたいに腰が低かった。
「お見回り、ご苦労さまでございます」
「挨拶はいい。何があった」
「へえ。夜半に山賊が押し入りまして。数は、おそらく二十ほど」
「死傷者は」
「死人が二人。怪我人が五人。井戸の周りで、なんとか食い止めました」
「賊は」
「逃げました。商隊の方々に助けていただきまして」
村長はここで一度、息を整えた。
それから軽く、俺のほうに手を向ける。
「それと、こちらの余所者の方が、戦いの差配を。お陰で、村はこの程度で済みました」
「余所者?」
「身元は、私どももまだ。商隊の方が街道で拾われたそうで」
隊長らしき男の視線が、ようやく俺に移った。
鞍の上から、上から下まで、ゆっくり撫でる。
グレーのパーカー。
Tシャツ。
ジーンズ。
スニーカー。
「妙な格好だな」
──また「妙な格好」か。
これで三回目だ。
レーゲル、村長、隊長。
みんな、最初に同じことを言う。
そのうち、この世界の挨拶だと思いそうになる。
「名は」
「キタミ・ナオト」
「キタミ・ネィオト」
隊長が俺の発音を、無表情に繰り返した。
区切りは、レーゲルより少し近かった。
「どこの者だ」
──そして、また同じ質問だ。
口に出さず、頭の中だけでため息をついた。
答えはまだ、決まっていない。
「遠くから来ました」
隊長の目が、少しだけ細くなった。
「遠く、では足りん」
ですよね。
「……俺にも、まだ分からないことが多くて」
「ふむ」
納得した顔ではなかった。
だが、その場で詰めるつもりもないらしい。
隊長は一度、村長に視線を戻した。
「身元不明者の保護。ならびに、変わった戦術を扱う者の調査。辺境警備の規則だ」
それから、また俺を見た。
「ガルシス砦まで来てもらう。准将が見る」
「それは、拒否できるんですか」
「勧めはしない」
即答だった。
「お前自身のためでもある。余所者が指揮を執ったという話は、村の口を通って残党の耳にも入る。ここに残るほうが危うい」
──つまり、断る選択肢はない。
それを、規則の形で並べてくれているだけだ。
レーゲルの「囮」を思い出した。
あれよりは少しだけ、丁寧な体裁だった。
「分かりました」
縛られはしなかった。
代わりに、馬の後ろを歩く形になった。
両側に、兵士が一人ずつ。
完全に自由ではない。
けれど、囚人扱いというほどでもない。
微妙なところだった。
出立の準備が整いかけたとき、レーゲルがゆっくり、隊長の馬の前に進み出た。
「隊長殿。一つだけ」
隊長が、視線だけで応じた。
「こいつを丁重に扱え、とは言わん。だが、粗末に扱ったとなれば、その話は商隊の間を回る」
低い声だった。
睨んでもいない。
詰めてもいない。
ただ、事実だけを置いた、という言い方だった。
隊長は、わずかに頷いただけだった。
否定も肯定もしない。
レーゲルも、それ以上は押さなかった。
レーゲルが俺の方を見る。
それから、自分の鞄から、布で包んだ干し肉と革の水袋を取り出して、俺の腕に押し付けた。
「持っていけ」
「いや、これは」
「持て」
二度目は、少しだけ強かった。
「……ありがとうございます」
レーゲルは答えなかった。
鞍の革紐を、また手で確かめ始める。
俺の方はもう見なかった。
ありがたい商人気質だった。
村人が、村の入口まで出て見送ってくれた。
何人かが頭を下げた。
何人かが手を振った。
子供が、何か言いたそうな顔をした。
けれど結局、何も言わずに口を閉じた。
歩き始めて、しばらくしてから。
カイラが耳元で囁いた。
『直人さん、これ大丈夫ですか〜?』
「知らん」
『私もちょっと分からないんですよ〜♪ でも、隊長さんの所作、暴力の予兆はなさそうです♪』
「それ、安心していいのか?」
『半分くらいは♪』
「半分かよ」
街道は、思ったより整っていた。
踏み固められた土。
馬車の轍が二本。
それが、緩く北へ向かっている。
日が傾く頃には、地平の手前に低い石壁と木造の建物がぽつぽつと見え始めた。
ガルシス砦、らしかった。
砦は、想像していたよりずっと簡素だった。
石積みは胸の高さ程度。
その内側に、木造の小屋がいくつか建っている。
物見櫓らしき木組みが一つ。
馬を繋ぐ柵。
煮炊きの煙。
要塞、というより、ちょっと真面目な集落と言われた方がしっくりくる。
辺境、というのは、こういうものらしかった。
俺は小屋のひとつに通された。
木の机。
木の椅子が二脚。
窓は小さく、油紙が貼ってある。
縛られはしない。
ただし、鍵は外からだけ掛かる仕様。
たぶん。
机を挟んで、隊長が座った。
椅子をきしませながら、書類を一枚、机に置く。
「名」
「キタミ・ナオト」
「出身」
「遠くから」
「それはもう聞いた」
ですよね、二回目。
──さて。
『直人さん、今、相手は嘘つき判定中ですよ♪ 曖昧すぎると怪しまれます♪』
頭の上で、カイラが小声で解説を入れてきた。
俺にしか聞こえない声だ。
──マジか。カイラさん、ナイス。
「東の方の山岳地帯です」
口が勝手に喋った。
咄嗟だったが、嘘としてはそんなに変な形にはならなかった。
山岳地帯、というのは確かめようがなくて便利だ。
「山岳地帯の、どこだ」
「ここで通じる名前ではないと思います。集落も小さかったので」
隊長は、しばらく俺を見た。
『今の言い方、けっこう自然でしたよ♪ 商人さんへの言い方より丁寧度が下がってます♪ 相手の信頼度が少し上がりました♪』
──え、上がったの?
下がったんじゃなくて?
『下がったのは丁寧度です♪ 商人さんには軽くて、隊長さんには重めに振っています♪ 相手の格に合わせる感じで自然です♪』
カイラが得意げに光を強めた。
俺は机の下で、こっそり指を握り直した。
──あれ。
俺、こういう局面で、意外と粘れるかもしれない。
そんな感覚が、ちらっと頭の隅をよぎった。
よぎっただけだった。
けれど、ゼロではなかった。
「戦の捌きは、どこで覚えた」
「父が、軍にいた時期がありました。子供の頃から、その手の話を聞かされていて」
「父の名は」
「もう亡くなっています」
これも、口が勝手に組み立てた。
隊長は書類に何かを書き込んだ。
書き込む手は止まらない。
完全に信じている顔ではなかった。
けれど、追及もやめた。
「ここで待て」
それだけ言って、隊長は椅子を引いた。
扉が閉まる音。
鍵が掛かる音。
俺は椅子の背に、ゆっくりもたれた。
背中に汗をかいていた。
『お疲れ様でした〜♪』
「……これ、マジでヤバいやつ?」
『えーと、たぶん大丈夫です♪ 敵意は強くないです♪ あの隊長さん、直人さんを警戒してますけど、害意ではないです♪』
「警戒と害意って、そんなに違うのか」
『違います♪ 警戒は「何者か知りたい」、害意は「どうにかしたい」です♪ 今は警戒寄りです♪』
「その分類、地味に怖いな」
カイラの解説は、相変わらず微妙にズレている。
そして、相変わらずちょっと役に立った。
しばらくして、扉が開いた。
隊長が戻ってきた。
書類は、もう持っていない。
「上に報告した」
「上?」
「ライナー准将だ」
──ライナー、准将。
俺は頭の中で、その音を一度繰り返した。
准将、というのがこちらの軍でどれくらいの位なのかは知らない。
けれど、隊長が「上」と言うときの抑揚で、それがかなりの「上」であることは伝わった。
「明朝、准将がお前を見る」
「見る、ですか」
「そうだ」
「面接みたいですね」
「面接?」
「あ、いや。こっちの話です」
隊長はそれ以上、突っ込まなかった。
「妙な真似はするな」
「しません」
隊長は、頷きとも言えない頷きをして、また出ていった。
鍵がもう一度、外から掛かった。
俺は立ち上がって、油紙の窓に近づいた。
小さな窓だった。
指で押すと、紙の繊維がうっすら浮かぶ。
外の薄暗い空気が、向こう側にあるのが分かった。
油紙の内側を、指でなぞる。
夜の青が、紙の向こうでゆっくり深くなっていた。
『直人さん、寝た方がいいですよ♪ 明日、偉い人ですから♪』
「だな」
『身だしなみ、大事です♪』
「この格好で身だしなみも何もないだろ」
グレーのパーカー。
Tシャツ。
ジーンズ。
スニーカー。
この世界に来てから、ずっと妙な格好扱いされている装備一式だ。
『でも、清潔感はありますよ♪』
「フォローが現代的すぎる」
頭の上で、カイラがぽうっと光った。
昼の白でもない。
夜の橙でもない。
ただの淡い色だった。
──まだ、何かが続いている。
そう思って、それ以上は考えないことにした。
考えると、たぶん眠れなくなる。
俺は椅子に座り直した。
机に肘をついて、目を閉じる。
明日、准将に会う。
異世界に来て、まだ二日目。
なのに、もう軍の偉い人間に面通しされるらしい。
……展開、早くないか?
そんなことを思いながら、俺の意識はゆっくり沈んでいった。




