奇跡のインフレと駄女神の囁き
主席神官カルミナは、執務室の椅子に深く腰掛け、眉間を指で揉みほぐしていた。その視線の先には、どこ吹く風といった様子で茶を啜るエリがいる。
「エリ、あなた……少し神力の行使が過ぎるのではないかしら?」
カルミナの静かな、だが重みのある問いかけに、エリはカップを置いて小首を傾げた。
「心外ですね。信者の願いを叶えろとおっしゃったのは、他ならぬカルミナ様ではありませんか」
「それはそうだけれど、限度というものがあるわ。奇跡が尊ばれるのは、それが稀にしか起きないからなのよ。あなたが動けば動くほど、世の中は『奇跡のインフレ状態』に陥って、却って神殿のありがたみが薄れてしまう」
カルミナの懸念はもっともだった。つい先刻も、行方不明の子供を「強制帰還」させたばかりである。
「出し惜しみするのは正しくないのでは? 救える力があるなら、使うべきでしょう」
エリが淡々と正論を口にすると、カルミナはさらに深い溜息を吐き出した。
「いい? 奇跡は起きないからこそ奇跡なの。日常的に起こることは、それはもはや単なる『現象』よ。今のままでは、早晩この界隈では『エリ現象』なんて呼ばれるようになるわ。そんなの、神秘性も何もないじゃない」
神殿のブランド価値を守りたい経営者としてのカルミナと、効率重視の現代人であるエリの意見は、平行線を辿る。
『エリ、気にすることないわ! 神力なんて使ってなんぼよ。カルミナの言うことなんか聞かなくていいわ!』
その時、エリの脳内に直接、無責任極まりない女神ミリエルの声が響いた。
(ミリエル……あなたのそういう囁き、神様っていうより悪魔の誘惑に聞こえるわよ。つまり、もっと自重しろってことね)
エリは心中で「駄女神」を切り捨てると、カルミナに向き直った。
「分かりました。少しは手加減します。……『奇跡』じゃなくて、もっと『科学的』というか『物理的』な解決策を模索してみます」
「……その言葉が、一番嫌な予感しかしないのだけれど」
カルミナの不安を余所に、エリは次の「お仕事」に向けて、脳内の兵器カタログをめくり始めるのだった。




