神の権威と深海の略奪者
神殿へと帰還したカルミナは、その足でエリのもとへと向かった。慇懃無礼なまでの礼を執りながらも、その唇には隠しきれない嘲笑が浮かんでいる。
「……エリ。あなたが厳格に管理していたはずのレヴィアタンの鱗ですが、市場では二束三文でしたわよ。あまりに大量に出回りすぎて、もはや値も付かないほどに」
「そんなはずはないわ!」
エリは思わず声を荒らげた。神の座から見届けたはずなのだ。カルミナが強欲に手を伸ばしたあの一件の後、残りの部位はすべて海の藻屑となり、誰の手にも届かぬ深淵へと沈んだはずだった。
「……あなたが採取したあの数枚を除いて、すべては海に帰したのを、あなただって見たでしょう?」
「ええ、ええ、地上ではそうだったのでしょうね。けれど、海の中には別の隣人がいた。マーメイド族よ。奴らは海底に棲む、欲深い種族。古くから沈没船の宝や海に沈んだ遺骸を漁っては、市場へ流して私腹を肥やしていたのよ」
「彼らが、沈んだ死骸から……。だったら、それは仕方のないことじゃない。彼らには彼らの生活があるのだから」
エリは困惑しながらも、事態を収めようと言葉を紡ぐ。だが、カルミナの追及は止まらない。
「エリ、甘いわ。神であるあなたが『採取を禁じた』ものを、彼らは勝手に市場へ持ち込んだのよ。これは立派な越権行為。神の権威と矜持を踏みにじる暴挙を見過ごせば、人々は神の言葉を軽んじるようになるわ。いずれあなたの声に耳を貸す者はいなくなる」
「私は……別に、そんな権威なんてどうでもいいけれど」
エリが視線を逸らしたその時、脳内に鈴を転がすような、けれど冷徹な声が響き渡った。
『――エリ、そういうわけにはいかないわ』
先輩神ミリエルの声だ。
『神には権威が必要なの。あなたがこの不始末を放置すれば、秩序を重んじる他の神が黙っていない。マーメイド族や、それに関わった商人たちに、苛烈な天罰を下しに来るでしょう。あなたの不手際を掃除するためにね』
エリの顔が青ざめた。
「そんな……。私にどうしろと言うの? 誰も悪くないのに、私が誰かを裁かなければならないなんて……!」
『あなたの不作為の後始末を、別の神に委ねるのも一つの手だけど。私はお勧めしないわ。自分の領域で起きたことは、自分で裁くべきよ』
ミリエルの突き放すような言葉が、重くのしかかる。カルミナは勝ち誇ったようにエリの反応を窺い、沈黙が神殿の空気を支配した。
「……少し、考えさせて」
絞り出すようなエリの声は、どこか震えていた。神という座の重みと、理不尽なまでの「責任」という鎖が、かつての少女を縛り付けていく。




