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善意の天秤と守護者の忠告

 カルミナが退室し、再び静寂が戻った居室。


 エリはソファに深く身体を沈め、窓の外に広がる王都の景色を眺めていた。雨上がり、しっとりと濡れた街並みは美しい。だが、エリの心には小さな、しかし無視できない「おり」のようなものが残っていた。


『エリ。あんた、本当にお人好しよね』


 不意に、脳内に呆れたような声が響いた。ミリエルだ。


「……何よ、急に。聞こえてたの?」


『筒抜けよ。あのアドバイザー面した神官……カルミナだったかしら。彼女が、あの鱗十枚で得られた莫大な財宝を、すべて福祉の充実だけに使うと思っているの?』


 ミリエルの指摘は、エリ自身の内側にある懸念を正確に射抜いていた。


「……私も、それは感じたわ。だからこそ、用途は福祉だけにしろって釘を刺したのよ」


『甘いわね。エリならきっと誤魔化せる、そう思っている顔をしてたわよ、彼女。あなたが暮らしていた世界ではどうだったか知らないけれど、この世界の人間は、神の言葉を都合よく解釈する天才なんだから』


 ミリエルの言葉には、古くこの世界に君臨していた先輩の「女神」としての、苦い経験が滲んでいるようだった 。


「……もし、私の指図に従わないのであれば。たとえ筆頭神官といえども、神罰が下ることを見せつけることになるわね」


 エリは、自分でも驚くほど冷めた声で言った。ミリエルの瞳を模した今の私の姿に、一瞬だけ鋭い「戦神」としての光が宿る 。


『……その覚悟があるのならいいわ。神たるもの、躊躇ってはダメよ』


 そう言い残すと、ミリエルの気配はふっと消えた。


 入れ替わるようにして、部屋にオーエンとナイトホークが入ってきた。二人の顔には、隠しきれない不安の色が浮かんでいる。エリは、先ほどカルミナと交わした「鱗十枚」の取引について、短く説明した。


「……というわけ。孤児院や養老院の予算にするなら、悪い話じゃないでしょう?」


 だが、返ってきたのは沈黙だった。


 まず口を開いたのは、神殿の内部事情に精通しているオーエンだった。

「……カルミナ様を古くから知る身としては、にわかには信じがたい申し出です。彼女が『福祉のために』財宝を使いたいなどと口にするのは、どうにもらしくありません」


 賢者として知られるオーエンの言葉は重い。彼の目には、カルミナの言葉がただの「美しい包装紙」に包まれた毒に見えているようだった。


「ナイトホーク、あなたはどう思う?」


 傍らで腕を組んでいた黒龍の化身が、鼻を鳴らした。


「竜族の経験から言わせてもらえば、人族はずるくて狡猾な生き物だ。……エリ、お前は人族の出身としては、奇妙なほど高潔すぎる。この世界は、お前の基準では動いていないんだぞ」


 ナイトホークの言葉は、ミリエルの警告と重なった。現代日本という、高度に整備された社会で育った私の「当たり前」は、この弱肉強食の世界では「致命的な隙」になりかねないのだ 。


「……そう。どうやら、私だけが少し楽観的すぎたみたいね」


 エリは椅子から立ち上がり、手の中に小さな、透明な魔法の球体をイメージした。


「カルミナがその鱗をどう料理するつもりか、泳がせて監視させてもらうわ。私の『善意』を踏みにじるのがどういうことか、彼女が忘れないうちにね」


 王都を潤す慈雨の裏で、どろりとした人間の欲望が蠢き始めている。


 エリは、神殿の奥底へ向かうカルミナの背中を、見えない神の目とテクノロジーの目で追い始めた。


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