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深淵の含み笑い

 エリの居室を辞し、静かな回廊を歩くカルミナの足取りは、先ほどまでの悲壮感漂うものとは打って変わって軽やかだった。

 その後ろを、困惑を隠せない様子で付き人の神官が追う。


「……カルミナ様、よろしいでしょうか。エリ様は、なぜあんなにも容易に鱗十枚もの採取を許したのでしょうか。あれがどれほどの価値を持つか、お分かりにならなかったのでしょうか」


 付き人の問いに、カルミナは歩みを止めず、口角をわずかに釣り上げた。


「簡単なことよ。エリ様は、ここではない『あちら側』の世界からお見えになった方。その異世界は、この地よりもずっと文明が進んでいるというわ。ならば、弱者に優しい高度な社会制度が整っているに違いないと踏んだのよ」


 カルミナは、窓の外に広がる王都の景色を眺めながら言葉を継ぐ。


「オーエンは以前、『あの方はそんな生易しい世界から来た方ではない』なんて警告してきたけれど、私はそうは思わないわ。あのエリ様の根底にある気立ての良さ、無防備なまでの善意……。それは、飢えや理不尽とは無縁な、温室のような優しい社会が育んだものだと睨んだの」


 その推測は、見事に的中した。

「福祉」という、抗いがたい大義名分を並べ立てただけで、現人神はあっさりと「許可」という名の白紙委任状を差し出したのだ。


「ですが、エリ様は『資金の用途は福祉に限る』と釘を刺しておられましたが……」


「そんなもの、後からどうにでも言いくるめられるわ。帳簿の書き換えなど、神殿の得意分野でしょう? 名目は孤児院の改築、実態は神殿の軍備増強や発言力の強化……。使い道なんて星の数ほどあるわ」


 カルミナは冷徹な瞳で、付き人の神官を見据えた。


「さて、そうと決まれば陛下に謁見を申し入れないとね。あんな巨獣の鱗を剥ぎ取るには、王国の工兵隊と大型船の協力が不可欠だわ」


「よろしいのですか? 王宮に鱗の採取を知られれば、彼らも黙ってはいないかと……」


 付き人の危惧に、カルミナは「ふふっ」と喉の奥で低く笑った。


「当たり前じゃない。神殿単独であの莫大な富を換金できるほど、世の中甘くはないわよ。王宮も最初から一枚噛んでいるに決まっているでしょう? ……陛下も今頃、私がエリ様から言質を取ってくるのを首を長くして待っているはずよ」


 信仰の象徴であるはずの神殿と、俗世の権力である王宮。

 両者が裏で手を結び、女神の「善意」という名の果実を貪ろうとする。


 カルミナの背中を見送りながら、若い神官は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

 女神として祀り上げられたあの少女が、自分たちの手のひらで転がされていると信じて疑わない、この老獪な主席神官の不遜な微笑みに。


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