エリの帰還
「……ミリエル?聞こえる?」
エリが脳内の同居人?に呼びかけると、返ってきたのはいつもの軽薄な笑い声ではなく、耳が痛くなるほど凛とした、澄み切った声だった。
『はい。お呼びでしょうか、エリ様』
「……。……何でそんな、よそよそしい口のきき方するのよ。気持ち悪いわね」
顔をしかめるエリに、脳内の気配はどこか恐縮したような、それでいて絶対的な「理」に基づいた響きを返してくる。
『当然の振る舞いにございます。現在、エリ様の神格は私のそれを遥かに凌駕しております。格上の存在に対し、以前のような無礼な口をきくことは、世界の理が許しません』
「神格が上? 私、ただの女子高生だって言ってるじゃない」
『器がどうであれ、魂が刻んだ奇跡の密度が違います。今の貴女は、この世界の法則を書き換えかねない存在なのですから』
エリは、自分の手のひらを見つめた。白く、美しい。かつて銃を握り、魔を焼き払ったその手が、自分を望まない高みへと押し上げてしまった。
「……それなら。約束通り私を元の姿で、元の場所に戻してもらえる?」
『そんなことでしたら』
ミリエルの声が、一瞬だけ揺らいだ。
『エリ様がご自分で、好きなタイミングでお出来になります。格下の私が手を貸すまでもないことです。……チっ、もう、やってらんないわね!元の口調に戻すわよ』
急にいつもの「駄女神」の口調に戻り、舌打ちが聞こえてくる。
『……まあ、いいわよ。そうよ、今のエリの力なら、姿を変えることも世界を超えることも造作ないわ。元の姿で、元の場所、元の時間へ戻れ――そう強く念じるだけ。イメージが力になるのは、この世界の基本でしょ?』
「……戻れることが分かればいいわ。ありがとう、ミリエル」
『どういたしまして。精々、あっちで「平和」を楽しみなさいな』
脳内の声が沈黙し、エリはゆっくりと目を開けた。目の前には、心配そうに自分を覗き込むナイトホークがいた。
「エリ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ。ミリエルが何か仕掛けてきたのか」
「大丈夫よ、ナイトホーク。ミリエルが急にかしこまった口のきき方をするから、ちょっとビビっただけ」
エリは努めて明るく振る舞い、彼を見上げた。だが、ナイトホークの瞳には隠しきれない動揺が浮かんでいる。
「……元の世界に戻るのか?」
「そう。いろいろ変わっちゃったし、みんなには迷惑かけたけど……私はまだ、女子高生なのよ。戻って、学校に行って、友達とだべって、普通の生活をしなきゃいけないの」
自分の言葉が、どこか自分自身に言い聞かせているような、虚しい響きを含んでいることにエリは気づかないふりをした。
ナイトホークは長く重い沈黙の後、小さく首を振った。
「……おそらく、後悔することになると思う。だが、俺に止める権利はないな」
「後悔なんてしないわよ。あっちにはスマホもコンビニもあるんだから」
エリは主席神官のカルミナを呼び出すと、「しばらく不在にするわ」とだけ短く告げた。カルミナは驚きに目を見開いたが、今のエリが放つ、抗いがたい神威の前に、ただ深く頭を下げるしかなかった。
「……さて。じゃあ、行ってみようかな」
エリは、自分がこの世界に召喚された時に見ていた我が家の鏡をイメージした。
元の姿、元の場所、元の時間。
制服の感触、教室の匂い、ありふれた日常。
多少の不安と期待をこめてエリは念じた。
(――戻れ!)
強く念じた瞬間、エリの体から眩いばかりの光が溢れ出した。
「エリ様!」
オーエンの叫びが遠ざかる。光の中に溶けていく世界。
次の瞬間、聖ミルトス神殿の私室から、エリの姿は完全に消え去っていた。
残されたのは、静まり返った部屋と、重苦しい余韻だけ。
「……ナイトホーク殿、エリ様は……あの方は、本当に戻って来られるのでしょうか」
祈るようにオーエンが尋ねる。
ナイトホークは、エリが消えた鏡のあった場所をじっと見つめ、寂しげに目を細めた。
「エリ様次第、としか言えないな。だが……」
彼は腰に手をやり、独り言のように呟いた。
「一度『神』を知った魂が、再びただの人として存在を許されるものだろうか」




