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悪魔の甘言、勇者の選択  作者: 千子


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8/25

鬱屈した日々

船旅を続けていると、小さな違和感が積み重なってきた。

まず、寝付けない。どんなところでも寝れるはずが、魔物や人の気配を察知して起きるのとは違う。

そして同じ夢を見る。

あの時、人を切った感触は生々しく僕の手に残る。

何度も同じ悪夢で魘されて起きた。

いや、事実なんだ。

僕は人を殺した。

それを誰かが、何かが魔物のせいにした。

それも分からない。

平穏な船旅というのは、剣を握る理由さえ思い出せなくなる。

僕から剣をとったら何になるんだろう。

それが怖い。

「いいじゃないか、勇者様。今は平和な世の中だぜ?お前のおかげでな。人を殺したのも気にするな。あれは正当防衛だった」

悪魔は甘く僕を誘惑する。

そう言われて楽になれたら、どれほど良かっただろう。

「煩い」

覇気のない声だと自分でも分かる。

だけど、つらい。いやだ。にげたい。

そんな感情があるのも事実だった。

「海風にでもあたるか……」

甲板に出て、柵に腕を乗せて風を感じる。

潮の香りが鼻をくすぐった。

アズガンダルまでまだ少しある。

それまでに僕の精神は保てるだろうか。

今まで船旅をしたことがないなんてことはなかった。

もっと長い間、乗っていたこともある。

それでもこんなに鬱々とした気持ちになったことはなかった。

あの頃は、世界を巡って各地を助けて回ることに燃えていた。

ただひたすらに、前だけを見ていた。

……今は、考えることがありすぎる。

「アズガンダルに行けば、何かが変わるはずだ」

それは祈りに似た呟きだった。

アズガンダルに行けば。

また魔族と魔物を倒せば。

僕は認められるし必要とされる。

しかも相手は公爵様だ。

きっと、他のみんなも喜んでくれる。

僕はそう信じた。信じなきゃ、やってられない。

「僕は、認められたいから剣を振るうのか?」

考えにひやりとした。

だって、それじゃあ、あの憎むべき魔族や魔物が僕の存在意味みたいじゃあないか。

思わず自身を抱き締める。

堪らなく怖かった。

余程異様に見えたのだろう。

同じ船旅をしていた客員に声を掛けられた。

「おい、兄ちゃん。大丈夫かい?」

「……ええ、少し酔ってしまったみたいで」

「分かるぜ、その気持ち。俺も同じ室内にいたら鬱屈してしまってこうして海風にあたりにきたんだ」

「僕もです」

久々の普通の会話に自然に笑みが出る。

「おっ、顔色が戻ってきたな」

「はい。あなたのおかげです」

にこり、と今度こそ笑えた気がする。

「そっか、それならよかった。またな、兄ちゃん」

そう言って、声を掛けてくれた人は立ち去っていった。

そうだ。僕はああいうなんてことのない普通の民を守るために剣を取ったはずだ。

それを忘れるな。

海風はまだ潮の香りがして、どこまでもその地平線を彩っていた。

「……他も歩いてみるか」

気分転換に、船の中を歩き回った。

入船日に悪魔と巡ってみたが、知らない場所もまだたくさんあった。

悪魔は知っているんだろうか?

ふと、悪魔のことが気になった。

悪魔が相棒なんて知られたら、余計に厄介者扱いされるだろうからアズガンダルへ着いたら悪魔に言い含ませないと。

僕も気安く悪魔って呼ばないようにしないと。

……仮の名前でもつけるとか?

考えながら散々船内を探索して自室へと戻る。

「ただいま」

「よぉ、おかえり」

悪魔は寝転びながなら窓から海を眺めていた。

「飽きないか?」

「飽きないねぇ」

鼻歌を歌いながら悪魔が答える。

「悪魔の世界に海はないのか?」

「あるにはあるけど血の海だしなぁ」

想像して恐ろしくなった。

聞くんじゃなかった。

僕も自身のベッドに座る。

甲板から見る景色と、同じようで違う。

僕もきっとそうなんだろう。

それが悪魔と契約した故なのか、僕の正義が歪んでしまったのか……。

「そうだ、悪魔。アズガンダルではお前のことを悪魔と呼びにくい。仮の名前でも付けたいんだが……」

ひやりとした悪魔の視線に晒される。

「契約したからって俺の主人はお前じゃない。名前で縛ろうとするな」

「そ、そうか……。悪かった」

忘れるな。こいつは悪魔なんだ。

冷や汗をかいた体を忘れるようにベッドに寝転んだ。

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