勇者の尊厳
僕は何故逃げ出したんだろう。
そんな疑問もあったが、すぐに忘れることにした。
もう、分かってもらえなくていい。
僕が勇者であろうとなかろうと、僕は僕の正義でみんなを救えばいい。
昔とやっていることは変わらないじゃないか。
安心しろ。
「本当にそうか?」
悪魔が囁く。
「本当だ」
心が読めるのか、とか、そんなのは今更だ。
「じゃあ、お優しい勇者様はなんの見返りも求めずに人々を救い続けると?どんなに忌み嫌われようと?」
自分は正しい。正しいはずなのに、何故こんなに苦しい?
それでも救うしかない。
……それは本当に救いなのか?
僕は、救えているのか?
思い出せ。あの人々の顔を。
恐怖、怯え、こちらを見るあの目。
僕は、悪魔だけが僕を勇者としてではなく『僕』として見ていることに目を瞑る。
「乗合馬車があるな」
「ああ。そろそろ大きな街も近いんだろう」
「……乗るか」
「ああ!乗合馬車なんて初めてだから楽しみだな!」
僕はその言葉に目を瞬かせた。
「悪魔に初めてが楽しみなんて感情あるのか?」
「悪魔だって感情があるからなぁ」
そう言って嬉々として馬車に近付く。
その様は、いつもの悪魔より幼く見えて可愛らしかった。
……悪魔に可愛いってなんだ。
僕は、人間に絶望したから悪魔を選んだではなく、人間に理解されなかったから理解してくれる存在を選んだ。
そうなのかもしれない。
「待て。僕も乗る」
自身の考えを払拭するように、慌てて馬車に乗り込んだ。
僕が乗り込むのを確認すると、馬車は道すがら走り出して行った。
……乗合馬車に乗るのも久々だな。
勇者と祭り上げられてからはどこでも立派な馬車に乗せていただけたし。
まあ、それもご機嫌取りの一環だろうが。
僕が自嘲気味に小さくため息を吐くと、悪魔が近寄ってきた。
「嘆くなよ、相棒。菓子でも食うか?」
「要らないよ。それより、そんなものどこで拾った」
悪魔は大袈裟に肩を竦めた。
「拾ったなんて人聞きが悪い。あそこの坊やに貰ったのさ」
悪魔が指差す方を見れば、可愛らしい子供がこちらに向かって手を振っていた。
その姿があの子供に重なった。
子供は無邪気だ。
こちらの思惑なんて関係ない。
僕も手を振り返す。
「どうだい?食べる気になったかい?」
「ああ。貰おうか」
小腹が空いていたのは事実だ。
僕は貰った菓子を口に含んだ。
こんなに素朴な菓子を食べたのは久々だ。
栄誉を戴いてからはどこへ行っても高級食材を使用した料理ばかりを口にしていた。
貧しい村で過ごしていた、勇者になる前を思い出す。
僕の母も、よくこうして菓子を作ってくれた。
今はなき村を思い出して感傷に浸る。
「懐かしいな」
ぽつりと呟いた言葉に悪魔がニンマリと口に弧を描いた。
「だろう?いいもんだよな、人間のものって!」
そう言って悪魔も一口で菓子を食い切った。
ガタゴトと音を立てながら乗合馬車が走り続ける。
坊やを連れた親子は途中の街で降りて行った。
また新しい人達が乗ってきた。
この人達も僕が勇者であることを知らないらしい。
特に何を言われるでもなく、静かに時が過ぎていった。
ああ。僕が求めていたのはこんな安寧だったのかもしれない。
そう思い始めていた矢先に悪魔が舌を出す。
「いいや、違うね。お前が本当に求めているもの、お前はもう分かっているだろう?」
そう問われて目を瞑る。
僕が本当に求めたいもの。
僕の居場所。
勇者としての功績。
称賛の声。
憧れ。
……僕はとんだ俗物だ。
「ああ。だから好きだぜ、お前のこと」
悪魔は相変わらず口に弧を描いている。
「僕はお前のことなんか嫌いだね」
そう言い放って寝る体制を取った。
もう何もかもから逃げたかった。
何からも逃れられるはずなんてないのに。
次の街で、以前寄った街で暴動が起きていると知った。
あの子供が降りた街だ。
「戻ろう」
僕が提案すると、悪魔は飽きたように言った。
「もう死んでるって」
「それでも!……それでも、戻ろう」
別方向の乗合馬車がちょうど来たところだったので慌てて乗り、元来た道を戻っていった。
街は通りかかった時とは違い、見るも無惨な荒れた有様だった。
「おい!無事な人はいないか!?」
馬車を降りて問い掛ける。
「お兄ちゃん……」
あの子だ!
慌てて駆け寄ると、子供は嬉しそうに鋭い爪で僕の心臓を狙った。
「……魔物か。人間の子供に化けていたなんて」
「ちっ、仕留め損なったか」
魔物が舌打ちをする。
「悪魔!お前!この子供が魔物だと初めから気付いていたな!?」
「ああ。だからなんだ?」
なんてことのないように言う。
これだから悪魔は!
しかもこの魔物、なかなかに強かった。
いつのまにか四方八方魔物に囲まれていた。
「人々は……」
「もう生き残っていないだろうさ」
魔物の言葉に悔しさに唇を噛み締める。
僕が気付いていたら。
もっと早く話を聞いていれば。
たらればばかりで後悔が押し寄せる。
僕はまた戦った。
子供に化けていた魔物も、すべて倒した。
すると、隠れていた人間が壊れた瓦礫から複数人出てきた。
「よかった。まだ人がいた。大丈夫ですか?」
「勇者様!我々は存じ上げているのですよ!悪魔と手を組み、この世界を狙っていると!」
一人が叫び出した。
「この世界を狙っている?」
なんのことだ?
「悪魔と手を組んだのがその証拠!そこの悪魔はなんの関係なのですか!?」
「この悪魔は……」
「相棒だよ。なぁ、勇者様」
悪魔はまた気安く肩に手を乗せる。
「やっぱり、噂は本当だったんだ」
「噂?」
「悪魔を引き連れた勇者が訪れた街は、魔物に襲われて壊滅するって」
僕は慌てて弁明した。
「そんなことしていない!僕は襲われている街を助けてきたんだ!なあ、悪魔!」
悪魔を見ると、ニヤリと笑った。
ただそれだけだった。
否定も肯定もない。
それが人々の視線をより鋭くした。
「やっぱり、勇者が魔王になるつもりなんだ。みんな、武器を取れ!真の平和は自分達の手で掴み取らないと!」
「おお!!」
どこからか聞こえてきた宣誓により、民衆が武器を持って襲ってきた。
「待ってくれ、やめてくれ!僕に戦う意思はない!」
「それでも!魔王より強い人間が居る!それだけで恐怖の対象なんだ!」
街人の叫びに、剣に手が伸びる。
だめだ!やれ!やらなきゃ殺される!
苦悩して防戦一方の僕を、悪魔が菓子を食べながら見ていた。
……仕方がないのか?
柄に手を取り、剥き身の刃を現す。
民衆は一瞬怯むが、僕が勇者として人を傷付けないと思っているらしい。
「そんなこと、ないのにな」
一人目を切る。
どよめきが周囲に広がる。
人を殺そうとしておいて、自分が死ぬのを想像しないなんて!
「魔物の方がまだ強い」
言い終わる頃には、数十人いた人間全員斬り殺していた。
やってしまった。
けれど、自分の命を守るためだ。
許されないことだと分かっている分、気が重い。
初めて殺した人の感触は、魔物と比べて肉が薄いとしか思えなかった。
「さすが!勇者様だよなぁ!」
ようやく悪魔が口を開く。
「おいおい、ひどい顔だぜ。相棒。大丈夫か?」
「これで大丈夫だったら、僕は本当に人の心がない、勇者じゃない化け物だ」
「いいじゃないか、化け物で。悪魔の相棒としちゃ上出来だぜ?」
また気安く肩に手を乗せようとする悪魔にその手を払う。
「僕は勇者だ」
悪魔の笑っていない瞳が細められる。
「やっぱり、好きだぜ。お前」




