堕落
「神の御言葉が聞こえなくなったんです」
やつれた表情で、数日後に訪れたあの子が言った。
「そう。それは大変だ」
すべてを知っている僕は、何も慌てずこの子に紅茶を差し出す。
「そういえば、お友達が一人足りないみたいだけど」
意地悪くそう言えば、分かりやすく肩を揺らした。
「聖女も、神殿も、王も、国も、全部嘘をついていました」
告解に似たそれは、二人きりで行われた。
いつも招く魔王城の中庭が、厳かな雰囲気になる。
「……あなたは、こんな苦しみに耐えたんですか?」
「ううん。耐えれなかったよ」
「えっ?」
あの子が顔を上げる。
今日初めて視線が合ったな、なんて考えながら僕も告白する。
「僕は僕を裏切ったすべてを憎悪した。憎んだ。だから悪魔と契約した」
「勇者様……」
そこで微笑む。
「僕は勇者で、魔王で、悪魔の半身になる道を選んだ。君はどんな選択をするのかな?」
聖女を手にかけた、とは言わない。
もう、どっちにしろ僕と君とは同類なんだ。
近寄りそっと告げる。
「僕もね、昔は神の御言葉が聞こえていたんだ。でも、気付いたら聞こえなくなっていた」
あの子が瞳を閉じる。
「それでもあなたは、まだ神を憎みきれていないでしょう?」
僕の指先が少し震える。
次にあの子が瞳を開けた時には覚悟が決まっていた。
「あなたと共にありたいと思います」
「人間も反魔王派の魔族も敵に回しても?」
「はい」
指輪が熱くなる。
僕の気持ちも高揚していた。
あの子がここまで堕ちてきた!
手を叩いて笑い出したかった。
神よ、あなたが選んだものはつくづくあなたを裏切る。
僕は天を見た。
先程まで快晴だったのに、悲しみを表すかのようにどんよりとした空模様になっていた。
今更惜しむのか?
僕は初めて神を軽蔑した。
「勇者様……」
「なんだい?」
「僕のことを、神に代わりお導きください」
僕は今度こそ堪えきれなかった笑いを吹き出した。
なんて滑稽なんだろう。
神は、僕たちを捨てた。
悪魔も、僕も、代わりに選んだ勇者も。
……いや、勇者が神殿や国の腐敗に気付いたのは僕の話だけじゃない。
悪魔の力もあると思う。
水晶を見ている時、指輪が熱かった。
あれは悪魔のせいだろう。
僕が寂しくないように、同胞でも作った気になっているのかもしれない。
その悪魔は近々神と対話すると言っていた。
神が何を考えているのか、ようやく分かることが出来る。
それをこの子に言うべきか。
まだ誰にも言っていない。
神と敵対した僕達に、神はなんて御言葉をかけるだろうか。
「ねえ、神が憎い?」
「……わかりません」
「信仰はまだある?」
「神殿も聖女も王も国も腐敗していましたが、信仰は、まだ捨てきれません」
そこで僕は頷いた。
分かるよ。
僕も神のことを見捨てきれなかった。
でもね、君もきっと見捨てるようになるよ。
僕は微笑んで神が与えなかった慈悲を与える。
「大丈夫。君もきっと救われるよ。僕が救う」
そう言って手を差し出す。
あの子は恐る恐る手を取って、忠誠を誓った。
新生勇者も堕ちて、僕の手のひらにきた。
すべてを守るために、手駒は多い方がいいよね。
にこりと微笑むと、あの子は微笑み返して手も握り返してくれた。
ようこそ、地獄の深淵の入り口へ。




