第5話 「OEOEO」
──澪緒の記録
磐石国、太史府、とある夜。
その頃のわたしは、まだ年若い記録官にすぎなかった。大人のそばに付き従い、その言葉も、見たものも、一字も漏らさず書き留めるのが、役目だった。
その夜、泰臣さまは燭の灯りの下に座っていた。書見台には、古い書物の、破れた一頁。
絵は欠け、墨はすでに濃く沈んでいたが、六星のかたちだけは、まだ残っていた——
六つの異なる色の光が、六角のかたちに、並んでいる。
泰臣さまは、その図を、長いこと見つめていた。
立ち上がり、窓辺へ歩み寄り、
唇を噛みながら、夜空を見上げる。
「——もう、すぐだ。」
そう言った。誰も、答えなかった。
わたしは頭を垂れ、記録冊に、その一言を書き留めた。
それから、大人にならって、窓の外を見上げた。
墨を流したような夜空に、点々と、星の光が——
わたしの筆は、ある時刻で、ふと止まった。
幾年も経って、あの夜の記録を開いたとき、初めて気づいた——
星象の欄の、いちばん最後に、わたしはこう書いていた。
「六つの異なる色の光、天より墜ち、磐石国のいずこに散りしか、知れず。」
それが何であったか。
その時のわたしは、何も、知らなかった。
*
貨物の箱の山の裏から這い出してきたブルースが、体の埃を、ぱんぱんと払う。
頭はまだ起ききっていないのに、口のほうが先に動いた——
「あれ、あいつらは?」
言ってから、自分で、きょとんとした。
がらんとした港を見回して、それから、うつむいて、ひどく真剣に考えこむ。
「……おれ、なんで『あいつら』って言った?」
そばで荷を下ろしていた南蛮の人足が言う。「誰のことだ?」
ブルースは振り返って、ものすごく誠実に答えた。「わかんない。」
人足は箱を置いて、ブルースを、長いこと見た。「……あんた、大丈夫か。」
「おれは元気だよ」とブルース。「ただ、あいつらがどこにいるのか、わかんないだけで。」
「だから、あいつらってのは——」
「誰だか、わかんない。」
人足はぽかんとブルースを見て、また箱を持ち上げ、運びはじめた——
「変なやつに会った」という顔で、去っていく。
ブルースはその場に立って、その背中を見送る。
「ま、いっか。」首を振って、それ以上は、考えるのをやめた。
ふらりと、港の魚市へ。
何人がかりでも動かせない、特大の魚箱。
「おれがやる——」
ブルースは魚箱を一目見て、次の瞬間には、もう担ぎ上げていた。
しかも歩きながら——「OEOEO——!」
港に、その声が、まだ消えないうちに。
ふいに、
年老いた漁師が、つられて声を返した。「……SA! SA!?」
ブルースの目が、ぱっと輝いた。「そう! もう一回——OEOEO——!」
老漁師は、もう一度、真剣に応えた。「SA! SA!」
そばで荷を下ろしていた若者が続き、それから三人目、四人目——
港じゅうに、音程の外れた大合唱が、あちこちで湧きあがって、
しまいには、みんな、笑いだした。
ブルースは真ん中に立って、両腕を広げ、顔を上げ——
「そう、これだよ」とでも言いたげな、大きな子どもみたいな、満ち足りた顔。
少し離れたところで、この荷の持ち主が、波止場じゅうの人足が手を止めるのを、なすすべもなく見ていた——
彼はブルースの前まで来て、おそるおそる言った。「……今日は、もう、上がっていいぞ。」
ブルース。「あ、はい。」実に気持ちよく貨物から飛び降り、ぱんと手を払って、町のほうへ歩きだす。
持ち主は、その腕の筋肉と、その背中を見て、深く息を吸った。
たいして流してもいない汗を、ぬぐった。
人足たちは、名残惜しそうに散っていく。まだ小さく、あの調子を口ずさんでいる者もいる。
*
ちょうど港のはずれで、小杏が、うつむいて移動式の餅の屋台を整えていた。
顔を上げたときには、ブルースはもう、屋台の前に立っていた。
港のほうでは、人足たちが、まだ遠くであの調子を口ずさみながら、ゆっくり散っていく。
小杏は、人の散っていくほうを、ちらりと見た。
それから、餅を、ブルースの前に差し出す。
ところがブルースは、横の桶を指さした。「これ、なに?」
「豆花。」
ブルースの目が、輝いた。
「豆花!」
小杏が、きょとんとする。
ブルースは、また嬉しそうに、もう一度。
「豆花!」
小杏は、思わず、笑ってしまった。
「……あたし、小杏。」
ブルースは、ずいぶん真剣に、それを覚えこんだ。
そして、うなずく。
「小杏。」
今度は、ちゃんと、言えた。
小杏は、豆花を彼の前に押しやる。
「食べな。お代は、いらないよ。」
ブルースが顔を上げる。「ほんとに?」
小杏は、笑って首を振り、また、うつむいて商売を続けた。
――第五話〈OEOEO〉へ――




