表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/25

第23話「裂け目」

ただ、傍観しているわけには、いかぬことが、ある。


  *


磐石国ばんせきこく太史府たいしふ、ある朝。


――澪緒みおの記録。


記録の冊子を、新しい頁に、めくる。


窓の外、炊煙の昇る方角が、いつもと、すこし、ちがう。


煙の流れが、すこし、急いている。


筆を執り、一行、記す。


「六星、地に落ちて数日。磐石国の秩序は、ようやく上向きはじめた。されど、ところどころに、裂け目が、現れはじめている」


筆を置き、その「裂け目」という字を、見つめて、長いこと、頁を、めくらなかった。


それから、その下に、一行、足した。


「世界が、もとより裂けつつあったのか。それとも、あの六つの光が、何かを、連れてきたのか。わからぬ」


  *


霓京げいきょうの港、辰の刻。


ブルースが、港のこちら側から、歩いてくる。


今日の港も、いつものように騒がしく、いつものように活気があり、いつものように、あの拍子を口ずさんで荷を運ぶ者が、いる――


「OEOEO――SA SA――」


それを聞いて、口の端が、ひとつ、動いた。


だが、ひとつ、いつもとちがう所が、ある。


足を、止めた。


あの場所が、空いている。


春菜はるなの屋台が、ない。


机も、桶も、毎朝いちばんに来て、いちばん最後に帰る、あの小さな屋台も――


すべて、消えていた。


そこに立って、しばらく、見ていた。


それから、わきへ歩いて、あの老いた漁師を、見つけた。


「あのトウファの…ああ、春菜――」


漁師は手を止め、ブルースをひと目見て、ため息を、ついた。


「あの子なら?」


「昨夜、あの通りが、陥没した」


ブルースは、何も言わない。


「人は無事だ。隣の家にいる。だが、屋台は――壊れた」漁師は、首を振った。「あの通りは、もとから危なかった。ずっと、誰も手を、つけなかった」


ブルースは、うつむいて、その空いた場所を、見た。


昨日の、あのトウファの味を、まだ、覚えている。


二歩、歩いて、何か思い出して、漁師を、振り返った。


「どの通りだ?」


漁師が、方角を、指した。


ブルースは、うなずいて、足早に、歩いていった。


  *


同じ日。


智也ともやが、田の畔に、しゃがんで、その稲田を、見ている。


葉は、前に通ったときより、黄ばんでいて、何株かは、もう倒れている。


遠くに、老人が、田のへりに座って、うつむき、声が、小さい。


智也が、歩み寄って、老人の前に、しゃがんだ。


「どうした」


老人は顔を上げ、智也をひと目見て、また、うつむいた。


「四十年、作ってきた。今年は、おしまいだ」


「上流で、水を、せき止められた。ここの土は、乾いて割れて、稲も、じき、枯れる」


老人は、ひと息おいて。


「毎年、なんとかすると言う。毎年、言うだけだ」


智也は、うつむいて、その乾いて割れた田を、見た。


手が、腰の刀に、触れた。


だが、これは、刀で、解決できることでは、ない。


立ち上がって、倒れた稲を、一株、また一株、起こして、寄せて、置いた。


何の役にも、立たない。それは、わかっている。


老人は、それを見て、何も言わなかった。


智也が、手を、ぱんと払って、振り返る。


「上流のこと、訊いてくる」


老人が、一瞬、固まって、何か言う間もなく、智也は、もう、歩き出していた。


老人は、その背を見て、うつむき、起こされた数株の稲を、また、見た。


ずいぶんたって、ひとつ、ため息を、ついた。


  *


同じ日、白鷺神殿はくろしんでん


瑛子えいこが、あの傾いた柱の前に、立っている。


前に光が射したとき、隙間から、湿った跡が、すこし、滲み出ていた。


いまその裂け目は、柱の三分の一まで、伸びている。


しゃがんで、指で、そっと、その裂け目に、触れた。


小さな砕石が、音もなく、落ちる。


立ち上がり、柱のまわりを、ひとめぐりして、あらゆる角度から、見た。


それから、片目を閉じて、指で、宙に、框を作る。


あの柱の角度は、前より、傾いていた。


手を下ろし、その柱のわきに、腰を、おろした。


侍女が、歩み寄る。「神女様――」


瑛子。「もう少し、待って」


瑛子は、座ったまま、その柱が落とす影を、見ている。


その影の角度も、傾いていた。


心のなかで、そっと、見積もる。


いまの、この速さなら――


ごく軽く、ひとこと、漏らした。


「……まずい」


  *


煙嵐山えんらんざん、さらに山深く。


曜吾郎ようごろうが、湧き水のそばに、しゃがんで、指を、水に入れている。


長いこと、感じていた。


ちがう。温度が、また、下がった。


手を、水から抜いて、自分の指を、見る。


水の滴が、ひとつ、またひとつ、湧き水へ落ちて、水面の波紋に、消えていく。


松影まつかげが、いつのまにか、わきに立っていた。


二人とも、何も、言わない。


曜吾郎。「なぜか、わかるか」


問いでは、ない。


松影は、すこし黙って、それから言った。


「あの夜、星空に裂け目が現れてから、湯が、冷めはじめた」


曜吾郎の手が、止まった。


「裂け目?」平らな声で、くり返す。


「ああ」


「じゃあ、僕と――」


「お前がここにいたから、温もりが、戻っていたのかもしれん」松影が、言った。


曜吾郎は、その湧き水を見て、長いこと、黙った。


その湯気は、まだ、石の隙間から、ゆっくりと、昇ってくる。


手を、もう一度、水に入れて、その温度を、感じた。


まだ、ある。だが、先週より、低い。


手を抜いて、立ち上がり、もう何も言わず、小屋へ、歩く。


胸の奥で、温度への不安が、ざわめいて――


手は止めずに、今日の支度を、はじめた。


――第二十四話〈はじめて、向き合う〉へ――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ