第22話「あの一日」
翌日、帰り道。
馬車が、山を下りていく。
朝の光が、山の上から降って、馬車の屋根を、照らす。
曜吾郎が、馬を駆って、振り向かない。
ひとつ、曲がり角を過ぎて、わきの布袋から、昨夜の焼き残りのさつまいもを、いくつか取り出し、後ろへ差し出した。
「腹、減ってないか? これ、先に食べていい。腹の足しに」
ブルースが受け取って、うつむいて、ひと目。まだ、温かい。
「おい、いつ、包んだんだ?」
曜吾郎。「昨夜」
ブルース。「……」
さつまいもに、かぶりつく。熱い。だが、吐き出さない。
そのまま、噛みつづける。
智也は自分の分を受け取り、何も言わず、皮をむいて、食べはじめた。
蒼鷹は、ひとつ握って、まだ柔らかい、とうなずいた。
瑛子はさつまいもを手に、すぐには食べず、朝の光に、その色を、ひと目すかして見た。
それから、ひと口。
玄墨は受け取って、うつむいて、ひと目。
咳払いを、ひとつ。
何も言わず、食べて、水を、ひと口、飲んだ。
六人は、そうして、ゆれる馬車の上で、めいめいに、さつまいもを齧っている。
谷の口から、山風が吹いてきて、昨夜の草の葉の匂いが、まだ、散っていない。
馬車は、ゆれつづける。
ブルースが、智也に、おおげさな顔を、してみせた。
智也が、一秒、固まって、もっとおおげさな顔を、返した。
ブルース。「おお――!」
二人は、そうして、揺れる馬車の上で、ひとつ、またひとつ。
蒼鷹が、その二人を見て、摺扇を、くるりと回す。何も、言わない。
瑛子が、片目を閉じて、框を作り、その画を、なかに収めた。
「……構図が、いい」
ブルースが、すぐに振り向いた。
「お前も来い!」
瑛子。「いや――」
ブルースが、引っぱり込んだ。
つづいて蒼鷹、つづいて智也――
最後に、玄墨ひとりが、うつむいて、残った。
三秒、沈黙。
ブルース。「玄墨」
玄墨。「いやだ」
ブルース。「玄墨――」
玄墨が顔を上げ、咳払いをして、ひどく抑えた、ひどく真剣な、ひどく玄墨らしい顔を、作った――
そこで馬車が、がたんと跳ねて、その顔が、ゆがんだ。
その場が、爆笑した。
玄墨は、何も言わない。
だが、口の端が、守りきれなかった。
玄墨が、ふいに、口を開いた。「あの……飯」
みなが、見た。
「まだ、あるか」
曜吾郎。「ある」
玄墨。「……いい」
そのまま、また目を閉じる。
ブルースが、そのまま、噴き出した。
「ほら見ろ!」
「こいつも、飯になった!」
智也が、腿を叩いて、大笑い。
「飯代表!」
蒼鷹が、額を、押さえる。
「人に、変なあだ名、つけるなって」
瑛子が、ひどく真剣に、うなずいた。
「飯代表は、本も、よく読む」
玄墨。「……」
山道が、ひとつ、またひとつ、曲がる。
陽が、ゆっくりと、西へ落ちていく。
六人の笑い声が、馬車の上で、ずっと、騒がしかった。
ずっと、ずっと、あとになっても。
きっと、覚えている。
あの一日は。
本当に、楽しかった。
谷の口から、山風が吹く。
馬車が、ゆれる。
六人の笑い声が、山道に、風で、吹き散らされていく。
いつまでも、いつまでも、やまなかった。
曜吾郎は、前で、馬を駆っている。
耳が、また、すこし、赤かった。
馬車が、ふもとに止まり、六人は降りて、辻に、立った。
「また明日」とも、「今度また来よう」とも、誰も言わない。
ただ、自然に、めいめいの方へ、歩いていく。
玄墨は――太史府へ戻り、蔵書閣の戸を押し、腰をおろして、書を広げた。
だが、読まない。
ただ、座っている。
昨夜、自分に問うた、あの一言を思い出す。「なぜ、こんなに……もとから、知り合いだったように」
まだ、答えはない。
でも今日は、そう急いでは、探さなかった。
*
夜の色が、ゆっくりと、降りてくる。
霓京の灯が、ひとつ、またひとつ、ともる。
なのに六人は、まだ同じ谷に、残っているようだった。
あの一日は。
本当に、楽しかった。
――第二十三話〈世界が、噛みはじめる〉へ――




