第20話「湯と、声」
谷の、天然の湯、黄昏。
空が、まだ暗くなりきらないうちに、六人は湯に浸かった。
ブルースが、わざと、ものすごくゆっくり湯に腰を沈めていく。
「あ――」
「きもちいい――」
おおげさな芝居でも、しているみたいに。
智也。「腕、かったいなあ!」
ブルースは、ボディビルダーみたいに顔をしかめ、腕をL字に曲げて、叫んだ。
「イェーイ!」
瑛子が、水位を見た。
「気持ちいい」
ブルース。「……」
曜吾郎が、しゃがんで、指で湯を試し、すこし、間。
「水が、いい」
蒼鷹。「なんで、わかるんだ?」
曜吾郎。「体が、水を知っている」
三秒、沈黙。
ブルース。「……わかったよ。早く入れって!」
月が、そっと、昇ってきた。
六人が湯に浸かって、誰も、口を開かない。
火の音、湯の流れる音、遠くの鳥の声。
そのとき――
瑛子が、なぜか、声を、出した。
言葉ではない。ひとつの、音。
高くて、澄んだ、歌詞のない、ただの、ひとつの音。
「ん――」
喉の奥から浮かびあがって、夜空へ、漂っていく。
誰も、何も言わない。
それから、ブルースが、水面を見おろして、知らず知らず、声を、重ねた。
同じ音ではない。もう一本の線が、下から、その声を、支える。
つづいて玄墨の、低い声が、そっと加わる。
智也が、つづく。
曜吾郎が、つづく。
最後に、蒼鷹が、二本の指で、湯のふちに、軽く拍子を刻んで――
すこし、かすれた声で、和音を、足した。
六つの声が、谷のなかで、一本、また一本と、重なっていく。
指揮する者は、いない。
長いこと練習したのか、と思うほど、ととのっていた。
その声は、谷の壁のあいだを、行きつ戻りつ、こだまして、だんだん大きくなり、
また、ゆっくりと、小さくなって、月の色に、溶けていった。
最後の、ひと音。
声が、空へ駆けのぼる――ブルースと瑛子の高音が、夜空へ、突き抜けた。
声が止まり、うねりは、また一本の線に戻る。
夜風に、運ばれて、
谷の上で、消えた。
六人は、よくやっていて、しばらくやっていなかったことを、したような顔をしていた。
ブルースは、うつむいて、水面を見ている。
さっき歌ったときの息が、いまも、胸いっぱいに、残っている。
それが何かは、うまく言えない。
ただ、あの声を、覚えている。
ここ数日の記憶では、ない。
ここより、もっと深いところで、覚えている。
蒼鷹の指は、まだ、湯のそばの石に、置かれたまま。
最後のひと打ちの感触が、指先に、残っている。
智也が、顔を上げた。
夜空を、見て。
長いこと、たって。
ようやく、言った。
「……俺たち、前に、きっと、一緒に歌った」
誰も、反論しなかった。
曜吾郎が、湯のなかへ、すこし沈んで、何も言わない。
その沈黙は、どんな答えより、「そうだ」に、近かった。
月の光が、水面を照らし、六人を照らし、遠くの稜線を照らす――
夜空の、誰にも気づかれぬどこかで、ひとすじの裂け目が、そっと、ほんの少し、ひらいた。
光もなく、音もなく、誰も気づかない。
ただ、そのように、静かに、ほんの少し、ひらいた。
それから、また、閉じた。
息のように、さっきの声に、応えるように。
――第二十一話〈六つの石〉へ――




