第2話「最後のステージ」
「へへっ……あった!」
ブルースが、通路から、駆けこんできた。
手に、サングラスを、ひとつ、かかげて、息を、切らしている。
「前の公演で、あっちに、置いてきたやつ。さんざん、探した」
三秒の、沈黙。
蒼鷹。
「もう、本番だぞ」
ブルースは、サングラスを、かけて、あの、ひとを、いらつかせる角度に、首を、かしげた。
「わかってるって!」
智也が、ぷっと、噴き出して、ひと口かじった、ピザを、ブルースの前に、突き出す。
あごで、二度、しゃくった。
ブルースが、うつむいて、ひと口、かじる。
二人、目を、合わせて。
たがいに、ピザへ、満足の、笑みを、おくった。
二人にしか、わからない、なにかの、確認を、終えたように。
「あと、最後の一切れ、誰か、いるか?」
智也が、みんなに、きく。
まさかの、ほかの五人、全員が、手を、あげた。
瑛子と、蒼鷹は、口まで、あけて、智也に、食べさせてもらうのを、待っている。
曜吾郎が、つづけて、言った。
「じゃんけん」
六つの、手が、いっせいに、出る。
「最初は、ぐー――」
これは、昔からの、決まりごと。
「ぱー!」
きいた本人の、智也が、また、勝った。
ほかの五人から、めちゃくちゃな、ぶーいングと、歓声。
智也は、にやにやと、目を、まんまるにして、最後の、ひと切れに、かぶりつく。
あいつらにしか、わからない――最後の公演の、まえの、最後の、ひと切れ。
玄墨は、顔も、あげずに、ひと言だけ。
「次は、出る前に、マネージャーに、もう一度、確認しろと、言っておけ」
ブルース。
「はーい」
言って、また、つけ加える。
「さっき、ほんとに、超、探したんだぞ」
蒼鷹が、低く、笑った。
「お前、毎回、これだな」
ブルースが、両腕を、ひろげて、ソファに、どさっと、倒れこむ。
「だって、最後の公演だもんな!」
その、ひと言が、出たあと。
舞台裏が、ふっと、一秒、静かに、なった。
悲しいんじゃ、ない。
ただ、六人とも、同時に、気づいた――
本当に、最後だ。
六十二公演。
冬から、夏まで、歌った。
小さな会場から、五万人の、競技場まで、歌いきった。
外の、歓声が、また、ひと揺れ、した。
スタッフが、戸口から、顔を、のぞかせる。
「五分後、昇降台に!」
「了解――」
蒼鷹が、返して、ほかの面々を、ふり返った。
「行くか」
六人が、立ちあがる。
そして、たがいを、押すように、前へ。
舞台へ、つづく、黒い廊下を、歩いていく。
両がわの、作業灯が、ひと枠ずつ、点いていく。
遠くの、観客の歓声が、だんだん、近づく。
低く、声を、ならす者。
流れを、頭で、なぞる者。
手をあげて、振りを、確かめる者。
サングラスを、まっすぐ、なおす者。
ブルースが、なにか、言いかけた。
そのとき、蒼鷹が、さきに、顔を、あげた。
ごく自然に、ひとわたり、なでる。
一。二。三。四。五。六。
みんな、いる。
それから、ようやく、手を。
となりの、肩に、のせた。
次の、瞬間。
曜吾郎も、のせた。
つづいて、智也。
玄墨。
瑛子。
最後に、ブルース。
六人が、肩を、組み、すこし、腰を、かがめて、頭のてっぺんを、寄せ合う。
かけ声も、ない。
がんばろう、も、ない。
ただ、一秒、止まって。
ほどいた。
いくつかの、ことは、最後には、もう、言わなくて、いい。
浮動台が、ゆっくり、上がっていく。
追い光が、落ちてくる。
舞台に、六人。
歓声が、津波みたいに、はじけた。
その瞬間。
イヤホンの、雑音も、スタッフの、カウントも、舞台裏の灯りも――ぜんぶ、消えた。
残るのは、舞台だけ。
残るのは、六人だけ。
重低音が、ずしんと、落ちる。
五万本の、ハンドライトが、いっせいに、灯る。
流れる、星の海みたいに。
智也が、拍子を、踏んで、前へ、突っこむ。
ブルースが、手を、あげる。
蒼鷹の、最初の一声が、会場の歓声を、まるごと、押さえこむ。
瑛子の、ターンが、追い光の中で、刃みたいに、光る。
曜吾郎が、中盤の、リズムを、どっしり、受けとめる。
玄墨が、中央の、定位置に、もどると、すべての歯車が、また、噛み合ったみたいだった。
六人。
ひとりも、拍子を、遅らせない。
曲が、終わる。
花火が、はじける。
観客は、まだ、叫んでいる。
その、数秒の、すきま。
舞台の上は、とても、静かだった。
蒼鷹が、左を、見て、右を、見る。
みんな、いる。
ずっと、胸に、つかえていた、あの息が、ようやく、ほどけた。
顔を、あげて、五万人の歓声に、むかって、力いっぱい、笑った。
瑛子は、いちばん、はじに、立って、顔を、あげ、今夜の、灯りの角度を、見た。
うなずいた。
そう。
それから、観客に、いちばん、きれいな笑顔を、返した。
曜吾郎の、手が、自然に、揺れている。
体が、リズムに、つれて、すこし、横へ、寄り、自分の、定位置に、もどる。
このことは、とうに、考える、必要も、ない。
玄墨は、息を、切らして、自分の、手を、ちらと、見て、それから、顔を、あげ、六十一回、立った、あの位置に、もどった。
智也は、旋律に、つれて、肩を、ゆらす。
体の中に、まだ、音楽が、抜けきらず、残っているみたいに。
首を、かたむけて、となりの、人に、ひとつ、笑った。
何も、言わずに。
そして――
五万人の、歓声が、灯りの、消える、一瞬に、最高潮へ、達した。
――第三話「六人、揃う」――




