第11話「あの声」
序・澪緒の記録
磐石国、太史府、とある朝。
記録冊を、新しい一頁にめくり、窓の外を見た。
城では炊煙が立ちのぼり、屋台が並びはじめ、牛車が街角を、ゆっくりと過ぎてゆく。
磐石国は、毎日、同じだ。
だが、いくつかの場所が、変わった。
茶館で、誰かが、ひとつの物語を語っている。
神殿の神女様が、出かけようとしている。
山では、誰かが、薪を備えている。
記録冊に、一行、書き記した。
「六つの光、おのおの何かを尋ねておる。
されどそれら、徐々に同じ一処を指しておるようだ」
*
磐石国、日が暮れる。
藤介の茶館の灯りは、まだ点いている――隅に座った蒼鷹の手の中で、扇が、ぱたりと止まった。
深山の湧き湯は、まだ湯気を立てている――曜吾郎は薪を積み終え、振り返って、あの笠の影がいない方を、ちらりと見た。
蔵書閣の古書は、まだ開いたまま――玄墨は本を閉じ、顔を上げた。窓の外の夜空に、六つの星が、瞬いている。
白鷺神殿の燭は、まだ燃えている――瑛子は一番いい光の角度に座り、指で框を作った。
城外れの畦道――智也は刀の柄に触れ、明日、街を少しぶらつこうと思った。
城のとある路地の入り口――ブルースは、まだ繋がらない、あの一本の線に、ひっかかっていた。
六人は、同じ夜に、同じ夜空の下にいた。
まだ、互いの居場所を、知らない。
夜風が、しずかに、ゆっくりになった。
蒼鷹が、まず、扇を止めた。
玄墨の、頁をめくる手も、止まった。
瑛子が、ゆっくりと、手を下ろした。
ブルースは路地の入り口で、眉をひそめた。
智也が、あくびをしながら、顔を上げた。
最後に。
深山の曜吾郎が、世界に半拍遅れたように――
やはり、顔を上げた。
同じ一秒に。
六人は、同時に、空を見上げた。
夜空は、とても静かだった。
でも、何かが、繋がりはじめていた。
六つの星のうち。ひとつが。さっきより、少し暗くなった。
六人はまだ、互いを探している。だが、もう、先に、彼らを見つけた者がいた。
*
霓京、藤介の茶館、辰の刻。
昨日のせいだ。
藤介が瓜の種をかじりながら「舞台に上がって、ためしてみたら?」と言った、そのせいで、今、蒼鷹は舞台の上に立っている。
だが、舞台に立った瞬間、
扇をぱっと広げ、二本の指で、宙を、とんと突いた。
ひとくさり、語った。
客席は、どっと沸いて、笑い転げた。
できる。
蒼鷹は、目を閉じた。
笑い声が、だんだん小さくなり、しずかに、待ちはじめた――
表情が、変わった。
何かを、探すような、表情。
そして、口を開いた――
「ある場所がある」
「どこなのか、うまく言えない」
「でも、行ったことがある」
「とても広い」
「中は、ぜんぶ、光だ」
その手が、無意識に、すっと上がった――
「燭でも、提灯でもない」
「目を閉じたくなるほど明るくて、でも、閉じるのが、惜しい」
茶館が、ふいに、静まりかえった。
「その場所には、たくさんの人がいる」
「街じゅうの人が、そこに集まったみたいに」
「みんな、手に、一つずつ、灯りを握っている」
ひと呼吸、置いた。
「そして――一つの声が、噴き出す」
「その声が何なのか、うまく言えない」
客席の全員が、同時に、顔を上げた。誰も、口を開かない。
蒼鷹は、その顔たちを見て、続けた――
「今でも、覚えている」
扇を、そっと閉じた。
「あの声は、六人そろって、はじめて出せる」
沈黙。
そして、客席の誰かが、ごく小さく訊いた――
「……その六人は、今、どこに?」
蒼鷹は、その方を見て、すこし黙った。
「わからない」
「でも、思うんだ――」
顔を上げ、窓の外を、ちらりと見た。
「たぶん、みんな、いる」
言い終えると、舞台から飛びおり、隅に腰を下ろして、茶を一杯たのんだ。
藤介が向かいに座り、懐から、あの小さな布靴を取り出して、卓に置き、蒼鷹のほうへ、すっと押す。
「昨日これに触っただろ。今日もう一度触っとけ。運がつく」
蒼鷹は、その小さなものを、しばらく見た。
手をのばし、ひとつ、触れて、言った。「ありがとな」
その「ありがとな」を口にした、まさにその時。
蒼鷹の目が、戸口の前を、よぎっていく二人を、とらえた――
胸の奥が、きゅっと、動いた。
次の瞬間。
蒼鷹は、戸口へ駆けていた。
石畳の路には、行き交う人影が、残っているだけ。
蒼鷹は戸口に立ったまま、長いあいだ、動かなかった。
「あの声……俺が思ってる、あの声か?」
――第十二話〈迷子の手〉へ――
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