第10話「見つけた」
第四幕・小杏
霓京、港、午。
港の男たちは、今日もあの調子で口ずさんでいた。
「OEOEO——SA!SA!」
途切れ途切れに、遠くまで流れていく。
小杏は、餅の屋台車を押して、港のそばを通りかかった。
その声を聞いて、足を止める。
港のほうを、ちらと見た。
「あの南蛮人、昨日ここで騒いでた人?」
そばで瓜の種をかじっていた老漁師が、頷いた。
「ああ。あのでかいのだ。とんでもない力でな。」
「魚箱を、一人で担ぎ上げやがった。」
小杏は、そっちを見た。
箱は、きれいに積み直されて、元の場所にある。
「その人は?」
「行っちまったよ。街のほうへな。」
小杏は視線を戻して、また車を押した。
なぜそんなことを訊いたのか、自分でもわからない。
顔だって、ろくに見ていない。
それなのに、あの声だけ、なぜか覚えてしまった。
うつむいて、餅車を押して、先へ進む。
港のほうで、まだ誰かが遠く叫んでいる。
「OEOEO——!」
小杏は、振り返らなかった。
それでも、口の中で、そっと真似てみた。
自分でおかしくなって。
口の端が、ほんの少しだけ、動いた。
*
第五幕・土御門泰臣
磐石国、とある書斎、夜に入る。
神殿に「神女降臨」の報せは、日が暮れる前には、磐石国の隅々にまで広がっていた。
土御門泰臣は、書斎に立っていた。
机の上には、あの古籍の残頁——六石の咒術の図。
欠けて、霞んで。
もう何度も見た。
線の一本、符号の一つまで、すべて頭に入っている。
随従が、声をひそめて言う。
「大人。白鷺神殿、本日、神女降臨が確かめられました。」
「あの、六つの異なる色の光が落ちた、すぐ後のことで——」
泰臣は、何も言わなかった。
うつむいて、残頁と、ここ数日で拾い集めた手がかりを、一つずつ照らし合わせる。
「六つの異なる色の光。神女、降臨。」
何か、古い陣立て。
長いこと、立ったまま、口を開かなかった。
背後の随従は、息さえ、慎んでいる。
凝った肩を、二度ほど回す。
庭へ出て、夜空を仰いだ。
あの、六色の光が消えた方角を、見た。
闇の幕には、星だけが残っている。
今日の湿気でいっそう膨らんだ天然パーマを撫でて、ため息をついた。
自分にしか聞こえぬ声で、ひとこと。
「……とうとう、来たか。」
踵を返し、書斎へ戻る。
文机の前に座り、白紙を広げ、
筆を取り、迷わず、数文字を書きつけ、その紙を随従へ押しやった。
随従がうつむき、目を落とし、顔を上げる。
「大人、これは——」
「調べてまいれ。」
低く、命じる。一字一字に、重みがある。
「ここ数日、城に現れた見慣れぬ顔。」
「一人残らず、洗い出せ。」
随従。「はっ。」退がっていった。
泰臣は、また残頁に目を落とす。
霞んだ数文字を、もう一度見て、手を止めた。
閉じる。
「来たからには——」
誰もいない書斎に向かって、声は、とても軽い。
「もう、帰らなくていいだろう。」
腰をさすり、巻き毛を掻いて、冷めた茶をひとくち含み、眉をひそめた。
「冷めている。」
「淹れ直せ。砂糖を入れて。」
*
第六幕・土御門泰臣、網を絞る
磐石国、太史府、深夜。
書斎には、灯りが一つきり。
泰臣は、文机の前に座っている。
机には、古籍の残頁。
六星。
六石。
六つの異なる色の光。
その線の一本一本を、彼はもう、見抜きかけていた。
戸の外に、足音。
随従が足早に入り、頭を下げる。
「大人。」
泰臣は、顔を上げない。
「申せ。」
随従が懐から、数枚の紙を取り出す。
一枚、また一枚と、机に置いていく。
一枚目。
「白鷺神殿。」
「神女、降臨。」
泰臣の目が、流れる。
驚きはない。
二枚目。
「霓京の港。」
「見慣れぬ南蛮人、一名。」
「力、尋常ならず。」
「本日、六人分の魚箱を、独りで担ぎ上げた由。」
三枚目。
「藤介の茶館。」
「見慣れぬ男。」
「言葉ひとつで、水を巡る諍いを鎮めた。」
「館の者は、語り部と呼んでいる由。」
四枚目。
「太史府、蔵書閣。」
「素性の知れぬ文士。」
「目が覚めたら蔵書閣にいた、と申している由。」
五枚目。
「煙嵐山の奥。」
「見慣れぬ若者が、山の湧き湯に住みついた由。」
六枚目。
「南麓の荒れ野。」
「刀を提げた若者、現る。」
「石碑、砕け散る。」
書斎が、静まる。
蝋燭の燃える音だけ。
泰臣は、一枚ずつ、目を通していく。
ゆっくりと。
何かを、確かめるように。
最後に。
六枚の紙を、六角の形に並べた。
ぴたりと。
残頁の図と、寸分たがわず。
随従は、うつむいたまま。
声も、出せない。
長いこと。
泰臣が、手を伸ばす。
指の先が、神女の報せに、そっと触れた。
それから、港へ。
茶館へ。
蔵書閣へ。
最後は、刀を提げた若者の紙で、止まった。
ふいに、笑った。
ごく淡く。
ほとんど、見て取れぬほどに。
「なるほど、な。」
随従が、はっとする。
ここ数年で。
大人がこんな表情を見せたのは、初めてだった。
泰臣が顔を上げる。
窓の外の、夜空へ。
六つの星。
静かに、天に懸かっている。
「三百年。」
低く、言う。
「ようやく、巡ってきた。」
随従が、声をひそめて訊く。
「大人。人をやって、連れ戻しましょうか。」
泰臣は、しばし黙る。
首を振った。
「いや。」
ふたたび、六枚の紙へ目をやる。
その眼差しは、穏やかで。
それでいて、もう、先を見ているようだった。
「自分の足で、歩かせる。」
「人は、背を押されて進めば。」
「なぜ来たのか、永遠にわからぬままだ。」
蝋燭が、ひとつ揺れた。
窓の外、夜風が庭をよぎる。
泰臣は、六枚の紙をまとめ。
そっと、重ねた。
抽斗にしまう。
抽斗の閉まる音。
とても、軽い。
なのに、長い長い仕掛けが。
ようやく、回りはじめたかのよう。
低く、言った。
「見つけたぞ。」




