1 回想:探偵事務所にて
数日前。
午後の光が、カーテン越しに探偵事務所へ差し込んでいた。
机の上には書類が積まれ、その脇に置かれたコーヒーはとうに冷めている。古い時計の針が、静かな部屋に乾いた音を刻んでいた。
向かいに座る男は、細身のスーツの胸元に企業ロゴの入ったバッジを付けている。
机に置かれた名刺には、《ネオイロス・オンライン開発部門》とあった。
「つまり、ゲームの中に幽霊が出ると」
探偵が資料をめくりながら言う。
男はわずかに眉を寄せた。
「社内では、その呼び方を避けています」
「プレイヤーはそう呼んでいる」
「……否定はしません」
《ネオイロス・オンライン》は、正式リリースを控えたフルダイブ型のVRゲームだった。
現在は限られた参加者によるβテストが行われている。
問題が報告され始めたのは、二週間ほど前からだった。
「何を見た?」
「人のような姿です」
男は数枚の報告書を探偵の前へ並べた。
「白い服を着た女だったという者もいれば、子どものように見えたという者もいる。顔を思い出せないという証言もありました」
「同じものを見たとは限らないな」
「目撃場所も一致していません。森、廃屋、閉鎖された坑道、街の裏路地。通常のクエストでは立ち寄る必要のない場所ばかりです」
探偵は報告書の一枚を手に取った。
そこには、テスト参加者への聞き取り内容が記録されている。
道の向こうに誰かが立っていた。
声をかけられた気がして、あとを追った。
気づくと、自分がどこにいるのか分からなくなっていた。
記憶はそこで途切れていた。
「人影を見たあとの記録は?」
「一部は移動ログが不自然に途切れています。異常終了したケースもありますが、すべてではありません」
「映像は残っていないのか?」
「本人の視界記録には、背景しか映っていません」
男が静止画像を表示する。
薄暗い森。
崩れかけた石壁。
誰もいない路地。
証言にある人影は、どこにも見当たらない。
「対象になりそうなNPCやイベントは?」
「存在しません。該当する時間と座標を調べましたが、キャラクターもオブジェクトも配置されていない」
「表示の不具合なら?」
「再現できませんでした。描画エラーや通信障害の記録もありません」
探偵は資料を机へ戻した。
「それだけなら、見間違いや噂の影響とも考えられる」
「我々も、最初はそう判断しました」
男の声が少し低くなる。
「問題は、目撃したプレイヤーの一部に、その後、一時的な異常が出たことです」
「どんな?」
「直前の行動を思い出せない。質問には答えられるのに、話の筋がつながらない。自分がどこにいるのか分からず、同じことを繰り返し尋ねる」
「現実に戻ったあとも?」
「数分から、長い者で一時間ほど続きました。現在は全員回復しています。医療機関でも、明らかな異常は見つかっていません」
「全員、同じ機器を使っていたのか?」
「メーカーも型式も違います。通信環境にも共通点はありません」
「目撃しなかったプレイヤーには?」
「同じ症状は確認されていません」
探偵は椅子に背を預けた。
存在しない人影。
記録に映らないものを追い、通常の経路から外れるプレイヤー。
その後に起きる、一時的な記憶と言語の混乱。
因果関係があるとは、まだ言えない。
だが、無関係と切り捨てるにも一致が多すぎた。
「御社の技術者は何を調べている?」
「サーバーログ、描画処理、接続機器、プレイヤーごとの通信記録。考えられる範囲は一通り調べました」
「それでも何も出ない」
「はい」
「俺に何をさせたい?」
「プレイヤーとして中へ入り、報告された現象を探していただきたい」
探偵が男を見る。
「技術者ではなく、探偵に?」
「社内では、システム上の異常を探すことしかできません。しかし、目撃者がなぜ本来の行動から外れたのか、何を見て、何を追ったのかは分からない」
男は一度言葉を切った。
「噂を知ったテスターを追加で投入すれば、先入観の影響も出ます。あなたには、プレイヤーの立場から状況を観察してほしい」
「幽霊を捕まえろ、という依頼ではないんだな」
「正体を確認していただければ十分です。人為的な悪戯なのか、ゲームの不具合なのか、それとも目撃者側の問題なのか」
「どれでもなかった場合は?」
男はすぐには答えなかった。
「その可能性も含めて、調べていただきたい」
探偵はもう一度、何も映っていない静止画像を見た。
人影を見たという座標には、木と石壁しかない。
それでも、複数の人間がそこに何かを見ている。
「テスト用のアカウントを用意します」
「一般のプレイヤーと同じものか?」
「検証用ですが、ゲーム内で使える機能は一般プレイヤーとほぼ同じです。調査中の行動ログはこちらで保存します」
「操作説明は?」
「初回ログイン時に案内機能が起動します。必要なら、事前の講習も――」
「いらない」
男がわずかに目を瞬いた。
「VRゲームの経験は?」
「ない」
「RPGは?」
「ないな」
男はしばらく探偵を見た。
「……事前講習を受けたほうがよいのでは?」
「現地で覚える」
「調査以前に、普通に死亡する可能性があります」
「死んでも戻れるんだろう?」
「ゲーム内では、ですが」
探偵は書類を閉じた。
「いいだろう。引き受ける」
男の表情には、安堵よりも不安のほうが強く浮かんでいた。




