プロローグ:フルダイブ
VRゲーム《ネオイロス》へのログイン
視界が暗転した。
身体から重さが消え、輪郭まで曖昧になっていく。耳の奥では、波音にも鼓動にも似たノイズが響いていた。
《システムチェック完了》
《脳波接続安定》
《ダイブプロセス開始》
闇の中に光の粒が浮かぶ。
星のように瞬いていたそれらが集まり、地面と空を形づくった。
世界が切り替わる。
《ログイン完了》
目の前に、村の広場が広がっていた。
石畳を囲むように木造の家々が並び、その向こうでは風車がゆっくりと羽根を回している。川のせせらぎに木の葉の音が重なり、風には土と草の匂いまで混じっていた。
探偵は片手を握り、足元を踏みしめた。
触覚に遅れはない。自分の身体を動かすのと、ほとんど変わらなかった。
(これがVRMMOか)
「ようこそ、《ネオイロス・オンライン》へ!」
軽快な声とともに、白く光る小さな物体が目の前へ飛び出した。
丸みを帯びた身体に、大きな目。人の形ではないが、表情も身振りもやけに豊かだった。
「オレの名はエコー! プレイヤーサポートAIにして、頼れる相棒さ!」
宙で一回転し、胸を張る。
「冒険の案内から相談相手まで何でもござれ。まさに万能のAIナビゲーター!」
探偵は黙って見ていた。
反応がないことに気づいたのか、エコーの動きが少しだけ鈍る。
「ま、まあ、質問があれば何でも聞いてくれ。ゲームの基本くらいは知ってるよな?」
返事を待たず、説明を始めた。
「操作は簡単だ。手を動かせば手が動くし、歩けば歩く。視線を向ければメニューも出せる」
試しに目を動かすと、半透明の画面が浮かび上がった。
《プレイヤーネーム:未設定》
《レベル:1》
《HP:100%》
《装備品:なし》
《所持金:500G》
ひと通り眺め、画面を閉じる。
「おいおい。まずは装備だろ」
エコーが足元を指した。
初心者用らしい木の剣が、石畳の上に転がっている。
「ちゃんと拾って装備しろよ」
探偵は木剣を見下ろした。
「邪魔だろ」
「は?」
「こんなものを持ってどうする」
「戦うんだよ!」
エコーの目が見開かれた。
「剣なしで、どうやってモンスターを倒すつもりだ?」
「素手でいい」
「よくない! お前、RPGをやったことないのか?」
探偵は肩をすくめた。
「必要になったら持つ」
「必要になるのが今なんだよ……」
エコーの声を聞き流し、村の外へ視線を向ける。
「せっかくログインしたんだ。まずは村を回ろうぜ。住人から話を聞いて、クエストを受けて、装備を整える。それが基本だ」
「そうか」
「そうだよ」
「なら、行くか」
「お、分かってきたな。まずは――」
探偵はそのまま村の出口へ歩き始めた。
「……は?」
背後でエコーの声が止まった。
次の瞬間、白い影が猛スピードで追い越し、目の前へ回り込む。
「待て待て待て!」
探偵は脇を抜けようとしたが、エコーも同じ方向へ動いて道を塞いだ。
「村人と話して、装備を整えて、ポーションの一つでも買ってから外へ出る。それが普通だろ!」
「そうか」
「その返事で進むな!」
構わず歩き続ける。
「本当に初期装備なしで行く気か?」
「駄目なのか?」
「駄目に決まってるだろ!」
エコーの制止を振り切り、探偵は村の外へ出た。
石畳が途切れ、足元が柔らかな土へ変わる。
草の茂る道は、そのまま森へ続いていた。
しばらく進んだところで、探偵は足を止めた。
風の音が乱れた。
遠くの枝が揺れ、草むらで小石が転がる。
(何かいる)
茂みから、赤茶色の影が飛び出した。
《スカーレットウルフ LV.3》
低く唸りながら、狼型のモンスターが一直線に迫ってくる。
飛びかかってきた爪を、身体をひねってかわす。
すれ違いざま、側頭部へ蹴りを入れた。
衝撃はあった。
狼もわずかによろめいた。
だが、頭上に表示された体力は減っていない。
(……何だ?)
命中している。それなのに、攻撃として処理されていない。
考える間もなく、狼が向き直った。
同時に、背後から別の気配がした。
左右の茂みから、さらに二匹が姿を現す。
前の一匹を避けて後ろへ跳ぶ。そこへ側面から二匹が飛びかかってきた。
《ダメージ HP-35》
爪が肩を裂いた。
痛みは鋭いが、現実のものとはどこか違う。そう認識した直後、背中に衝撃を受けた。
《ダメージ HP-30》
《ダメージ HP-40》
地面が迫る。
《YOU DIED》
視界が白く弾けた。
*
次に目を開けると、村の広場に戻っていた。
足元には先ほどと同じ石畳があり、風車も変わらず回っている。
(これがリスポーンか)
「……ぷっ」
顔を上げる。
目の前で、エコーが震えていた。
「あっはっは! お前、何やってんだよ!」
とうとう堪えきれなくなったらしく、宙を転げ回る。
「本当に装備なしで外へ出たのか?」
「ああ」
「しかも蹴ってたよな? 武器もないのに、なんで攻撃できると思ったんだよ」
「当たっていただろ」
「当たっただけだ! ダメージは入ってなかっただろ!」
エコーは腹を抱えるように丸まった。
「初ログインして、即死亡。見事な初心者ぶりだったな」
探偵は黙って、その笑い声が収まるのを待った。
「笑いすぎだ」
「いや、これは笑うだろ。お前、面白いな」
まだ小さく震えながら、エコーがこちらを向く。
「それで、次はちゃんと装備するよな?」
探偵は少し考えた。
「検討しておく」
「まだ持たないつもりか!」
エコーの声が広場に響く。
少なくとも、この世界の仕組みをもう少し知る必要はありそうだった。




